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 第4章 選んだあとの距離 第2話 現地実技 6/7

 

 仮設区画の外れ。


 風通しの悪い通路で、

 ラファエルはジェンメリアを呼び止めた。


 湿った空気が滞り

 布で仕切られた区画の隙間から

 かすかに薬品と汗の匂いが漂っている。


 周囲には誰もいない。


 声が届く距離に、人影はなかった。


 

 


「少し、いいか」


 ジェンメリアは足を止め、ゆっくりと振り返る。

 頬にはまだ熱が残っていた。

 恐怖ではない。高揚の名残だ。

 奇跡を行使した直後の、身体の奥に灯る微かな震えが消えていない。


「さっきの判断だ」


 ラファエルは彼女の目をまっすぐに見て言った。

 責めるでも、褒めるでもない。ただ事実だけを拾い上げる声だった。


「出力を落としたのは正解だ。

 持続を切った判断も、間違っていない」


 ジェンメリアの眉が、わずかに動く。

 認められた、と受け取ったのだろう。

 胸の奥で強張っていた何かが、ほんの少しだけ緩む。


 だが、次の言葉が続いた。


「だが、場所が悪かった」


 ジェンメリアは反射的に口を開きかけて、止めた。

 言葉が喉元まで上がる。

 しかし飲み込む。

 その一瞬の逡巡を、ラファエルは見逃さなかった。


「人が集まる位置だった。

 期待が集まる位置だ。

 奇跡を使った瞬間、場の主導権が、お前に移った」


「……助けなきゃ、死ぬ人がいた」


「分かっている」


 ジェンメリアの低く、押し出すような声に、ラファエルは即答する。


「だから止めなかった。

 俺も、イザベラも、マルコもな」


 ラファエルは一歩だけ距離を詰める。

 威圧ではない。

 現場で指示を交わすときの、実務の距離。


「だが、覚えておけ。

 お前が立った場所は、“一人を救う場所”じゃない。

 “場を背負う場所”だ」


 ジェンメリアは唇を噛んだ。

 わずかに視線が揺れるが、逸らさない。


「奇跡を使えば、声が集まる。

 使わなくても、視線が集まる。

 お前は、その両方を引き寄せるタイプだ」


 ラファエルは少しだけ目を細める。


「それは才能だ。

 だが、制御しなければ、周りが壊れる」


 通路の奥で布が揺れ、遠くの咳がひとつ響いた。

 沈黙が落ちる。


 ジェンメリアは視線を逸らさなかった。

 胸の奥で、まだ熱がくすぶっている。


「……じゃあ、どうすればよかったの?」


 問いは真剣だった。

 言い訳ではない。

 答えを求める、率直な響きだった。


 ラファエルはすぐには答えなかった。

 代わりに、遠くの区画へと視線を向ける。

 先ほどまで人が集まり、ざわめきが渦を巻いていた場所だ。


「正解は、ない」


 静かな声だった。


「だが、“次に繋がるやり方”はある」


 視線を戻す。


「声を出せ。

 指示を出せ。

 奇跡は、最後に使え」


「間に合わないこともある」


「ある」


 これも即答だった。


「だから、お前は前に出る。

 だが。

 一人で背負うな」


 ラファエルは、ほんの一瞬だけ笑った。

 それは慰めではなく、経験を知る者の表情だった。


「一人でやれると思った瞬間、現場は終わる」


 ジェンメリアはしばらく黙っていた。

 指先がわずかに震えているのを、自分でも気づいている。

 やがて、低く答えた。


「……分かりました」


 だが、その声には、まだ納得しきれていない響きが残っていた。

 理解と反発が、同時に胸の内でせめぎ合っているのだ。

 ラファエルは、それで十分だと判断した。


「今日は、それでいい」


 そう言って踵を返す。


「あ──、次は、止めるぞ」


 脅しではない。

 予告だった。


 ジェンメリアは、その背中を見つめながら、小さく息を吐いた。


 ──止められるなら、止めてみろ。


 そう言いたげな光が、瞳の奥に宿る。

 だが同時に、彼女は初めて、自分が“場を壊す側”に立っていたかもしれないことを意識していた。


 その自覚が、彼女を救うか、壊すか。

 それは、まだ分からない。


 日が傾き、仮設区画に影が伸び始めていた。

 赤みを帯びた光が布越しに差し込み、通路の床を細く切り取る。


 現場は、まだ終わっていない。

 だが、訓練としての役割は、一区切りを迎えつつある。


 候補生たちは知らない。

 この場所が、「かつての自分たち」で満ちていることを。

 そして、「ここを通り抜けた者」が、今も現場に残っていることを。


 


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