表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
56/68

 第3章 覚悟を測る 第4話 何も起こらない場所 5/6

 


 「自分が今、

  何を感じているか分からない者は、

  奇跡を使う資格がありません」


  イザベラは最後にそう告げた。


  声は低くも高くもならず、

  言葉だけが、空間に正確に置かれる。


 「感情は、力です。


  そして同時に、

  最も信用できない要素でもある」


  その一文が終わった瞬間、

  誰かが小さく息を吸い直した。

 だが、それ以上の音は生まれなかった。

 言葉だけが、候補生たちの胸の奥に沈み、重さとして残る。


 

 


 教室の照明は、さらに段階を落とされた。

 天井の光が消え、窓から差し込む午後の光だけが、机に伏せた手や、強張った横顔の輪郭を淡く浮かび上がらせる。

 影が長く伸び、机と椅子の脚が、床に細い線を描いた。


 やがて、魔導映像装置が起動する。

 低い作動音が、静まり返った空間にゆっくりと広がった。


「次に、失神・暴走・後遺症の実例について扱います」


 その声には、これまで以上に抑揚がなかった。

 感情を削ぎ落としたというより、最初から含めていない声音だった。


「警告しておきます。

 この講義に、成功例は出てきません」


 映し出された最初の映像は、一見すると穏やかな治癒の場面だった。

 若い聖女が、傷ついた兵士に手をかざしている。

 姿勢は安定し、呼吸も乱れていない。


「この症例は、奇跡そのものは完全に成功しています」


 数値が表示される。

 魔力出力。

 持続時間。

 効果範囲。

 どれも基準値の枠内に収まっていた。


「ですが、行使から三十秒後」


 映像が進む。

 次の瞬間、聖女の膝が、力を失ったように崩れ落ちた。

 支えようとした兵士の手が、間に合わない。


「失神です」


 教室の空気が、はっきりと冷えた。

 候補生の喉が鳴り、誰かの背筋がわずかに伸びる。


「原因は、魔力枯渇ではありません」


 波形が強調表示される。

 なだらかだった線が、見えないところで歪んでいる。


「出力制御のために、無意識下で精神負荷を引き上げ続けた結果です」


 イザベラは、映像から目を離さずに続けた。


「本人は“無理をした自覚がない”と証言しています」


 次の映像に切り替わる。


 今度は、瓦礫の残る街。

 空気の色が違い、背景に緊張が張りついている。


「こちらは暴走例です」


 奇跡が行使された瞬間、魔力が膨張し、周囲を包み込む。

 境界が曖昧になり、光が必要以上に広がる。


「救おうとした人数は、五名」


 映像が一時停止する。


「実際に救われたのは、三名。

 残り二名は、魔力干渉による二次被害で死亡しています」


 息を呑む音が、今度ははっきりと聞こえた。


「暴走とは、奇跡が失敗することではありません」


 イザベラは、そこで初めて言葉を区切った。


「“成功の定義”が、使用者の意思から外れることです」


 再生された映像では、聖女が叫びながら奇跡を続けている。

 声は届かず、魔力だけが流れ続ける。


「止めようとしても、止められません。

 魔力は流れ続け、本人の意識は奇跡に置き去りにされる」


 画面が暗転する。


「彼女はこの後、奇跡行使不能となりました」


 教室に、重い沈黙が落ちる。

 椅子の上で、誰かの指先が、無意識に膝を掴んでいた。


 そして、最後の映像。


「三つ目は、後遺症の例です」


 映し出されたのは、静かな部屋で椅子に座る一人の女性。

 窓辺の光が、動かない横顔を照らしている。


「奇跡は、問題なく行使されています」


 だが次の瞬間、彼女の視界を再現した映像に切り替わる。

 世界が歪み、光が滲み、人の輪郭が崩れていく。


「魔力の流れが、神経系に定着しました」


 イザベラの声が、わずかに低くなる。


「結果として、彼女は常に“奇跡の残響”を感じ続けています。

 日常生活は可能です。

 ただし──」


 一拍。


「二度と、正常な魔力感知は戻りません」


 映像が消える。

 暗闇と静寂だけが、教室に残った。


「失神。暴走。後遺症」


 イザベラは、ゆっくりと候補生たちを見渡した。

 視線を受け止めきれず、何人かが無意識に目を伏せる。


「これらは、特別な失敗ではありません」


「訓練を受け、評価も高く、“優秀”とされた聖女たちの記録です」


 視線が、ほんのわずかに鋭くなる。


「奇跡は、人を救います。

 同時に、使う者を壊します」


 一呼吸。


「だからこそ──」


 イザベラは、はっきりと言い切った。


「“使わない判断”ができる者だけが、長く生き残る」


 講義は、終わりを告げた。


 椅子が軋む音は、まだ生まれなかった。

 誰一人、すぐには立ち上がれなかった。


 



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ