第3章 覚悟を測る 第3話 正しさが動くとき 2/6
低い駆動音が、訓練場全体にじわじわと広がっていく。
音は一定だが、床下を伝わる振動は場所によって微妙に違い、候補生たちの足裏に不安定さを残した。
次の瞬間、足元で板がずれる。
平坦だったはずの床は、数秒のうちに別物へと変わっていった。自分が立っている「位置」が、もう信用できない。
段差がせり上がり、重心が持ち上げられる。踏み替えようとした瞬間、その段差が沈む。
通路だった場所に壁が現れ、壁だと思った部分が、突然、的として前に押し出される。
視界が、追いつかない。
「……え、動く?」
誰かの喉から、思わずこぼれたような声。
驚きというより、理解が一拍遅れた音だった。
「動きます」
教官の声が、即座に返る。
そこには躊躇も、強調もない。
「現場も、動くからです」
その言葉を追いかける暇もなく、人形の一体が不規則に動き出した。
関節の動きはぎこちないが、進路を塞ぐには十分だ。
視界の端で、的が回転する。視線を向けた瞬間には、もう角度が変わっている。
最初の候補生が、踏み出した。
人形へ向かおうと、体を傾けた瞬間。
通路が閉じる。
板がせり出し、視界が遮られる。
反射的に足を止めた、その横から、別方向の的が迫る。
考えるより早く、魔力が走った。
手のひらが熱を持ち、魔力球が弾かれるように放たれる。的は停止した。
だが。
背後で、別の人形が倒れた。
鈍い音が、床に落ちる。
「終了」
それは教官の声だ。
候補生は、その場に立ち尽くした。
呼吸が少し早くなっていることに、今さら気づく。
──何を、失敗した?
自分では、間違えたつもりがない。
正しい対応をしたはずだ。
だが、何かが足りなかった。
次の候補生に移る。
今度は、慎重だった。
一歩ごとに視線を走らせ、障害物を一つずつ確認する。的を止め、人形を安定させ、通路を確保する。
正しい。
教えられた通りの動きだ。
だが、時間がかかる。
その「かかった時間」の間に、別区画で、人形が限界値を超えた。
反応が遅れた、という表示が淡く光る。
「終了」
教官の声。
誰も、評価は告げない。
正解も、不正解も、口にされない。
動きは規則的だ。
だが、完全には予測できない。
一定のリズムがあるようで、候補生の動きに合わせて、配置が微妙に変わっていく。
一人が止まれば、別の場所が動く。
一人が進めば、どこかが塞がれる。
進路を塞ぐ障害物の表面には、淡く光る紋様が浮かび上がっていた。
魔力の流れを示す印。魔力球を当てなければ、解除されない仕組みだ。
祈りではない。
奇跡でもない。
──自分で作り、自分で当てる力。
候補生たちは、必死に「正しい動き」を思い出そうとする。
足の運び。
姿勢。
呼吸。
集中の仕方。
魔力を練る感覚。
間違えてはいけない。
遅れてはいけない。
聖女として、迷っているように見えてはいけない。
そう思えば思うほど、視線は正面に固定される。
次の段差。
次の的。
次の一手。
周囲を見る余裕は、誰の中にも残っていなかった。
最初の魔力球が生成される。
淡い光の球が、震えながら手のひらに浮かぶ。
制御しきれない魔力が、指先を微かに痺れさせる。
勢いのまま、放たれる。
命中。
障害物が解除され、通路が開く。
誰にも聞こえないほどの、小さな息が漏れる。
──できた。
──合っていた。
その安堵が、空気をわずかに緩めた、その瞬間。
別の場所で、床が沈む。
足場が崩れる。
段差の変化に気づけなかった候補生が、体勢を崩し、咄嗟に隣の者へ手を伸ばす。
ぶつかる。
よろめく。
足音が重なり、動きが連鎖的に乱れる。
誰かの成功が、別の誰かの視界を奪い、通るはずだった動線を塞いでいる。
それでも、ほとんどの候補生は気づかない。
自分は、正しく動けている。
そう信じることに、必死だったからだ。
理解できていない。
それでも、理解したつもりで動いてしまう。
その歪みが、訓練場のあちこちで、静かに形を取り始めていた。
「……おかしい」
誰かが、息を吐くように呟く。
「正しくやっているのに」
その声は届いている。
しかし教官は、反応しない。
理解できていない。
それでも、理解したつもりで動いてしまう。
その歪みは、訓練場のあちこちで静かに広がっている。
まだ、誰の目にも見えないままだった。
──三人の少女を除いて。




