第2章 測られる日々 第12話 静かな評価(3/3)
日が傾き、訓練場を照らしていた光が黄金色から淡い橙へと変わる頃、校庭にも校舎にも、ゆっくりと静寂が降りてきた。
昼間は絶え間なく響いていた足音や号令も途切れ、風が木々を揺らす音だけが、遠くで微かに聞こえる。
講師長マルコは、その日の訓練の観察を終え、講師室の机に広げた書類に視線を落としていた。
紙束の重みは、単なる記録ではない。
そこには、候補生たちの“判断”と“未熟さ”、そして可能性が、静かに積み重なっている。
部屋の反対側では、イザベラが端末を操作しながら観察記録を整理し、ラファエルも椅子に深く腰掛け、手書きのメモをまとめていた。
「脱落者の数名確認。
例年通り、自室を退出する際に、“戻らない前提”で指示を出します」
「了解」
イザベラの伝達事項に短く返事をする。
三人とも言葉少なだが、沈黙は思考の時間だった。
「……結論は、まだ出さない……」
マルコの小さな呟きが、静かな室内に落ちる。
それは誰に向けたものでもなく、自身への確認のようだった。
才能や数値だけで決めるつもりはない。
彼が見ているのは、候補生たちが将来、任せられる“命の数”を、どれだけ守れるかという一点だ。
判断の余地を残すべき者か。それとも、早い段階で限界を示すべき者か。
その見極めを誤れば、犠牲になるのは彼女たち自身だけではない。
ビリジーナは、確かに高い適性を示している。
安定性、
理解力、
再現性──
どれを取っても優秀だ。
ジェンメリアは、注意深く観察を続ける必要がある。
突出した行動力は武器にもなるが、同時に致命的な選択を生む可能性も孕んでいる。
そして、テリカ。
数値には現れない、しかし無視できない特異性。
事故を起こさせない力。
結果として“何も起きない”という、評価しづらい成果。
だが──。
今は、まだ判断を下す段階ではない。
あえて結論を保留すること。
それが今のマルコにとって、最も慎重で、最も合理的な選択だった。
『まだ名は与えられていない』
“名を与えられる”ということ。
それは、この訓練校において、正式に“聖女候補生”として認定されることを意味している。
期待と責任。
そして、退路を失うということ。
今はまだ、観察と評価の時期に過ぎない。
誰も正式には選ばれていない。
彼女たちは皆、未来の可能性を秘めた“途中”の存在だ。
誰が名を受け取るのか。
それは、この日々の積み重ねの中でしか決まらない。
マルコは書類を一枚ずつ揃え、静かに閉じた。
同時に、次の訓練日の構成と負荷を、頭の中で組み立てていく。
保留──。
それが、今の彼に出せる、最も確かな判断だった。
マルコが一つの結論を胸の内で固めた頃、ラファエルは背もたれに体重を預け、腕を上げて軽く伸びをした。
関節が小さく鳴る。
「そろそろ、お開きにしませんか」
気の抜けたその声に、即座に返ってきたのは、冷たい視線と呆れを含んだイザベラの言葉だった。
「何を仰ってるんですか?
次の模擬救助訓練。
シミュレーションが、まだ何も決まっていないじゃないですか」
ラファエルは一瞬、言葉に詰まり、小さく息を吐く。
「……そうでした」
諦めの表情を浮かべながら、再び机に向き直る。
講師たちの仕事は、訓練が終わってからが本番だ。
誰かが休めば、誰かが危険に晒される。
校舎の外では、すでに夜の気配が濃くなり始めていた。
だが、彼らの夜は、まだ終わらない──。




