第2章 測られる日々 第11話 失敗の記録 1/2
「聖女に必要なのは、強靭な魔力ではありません」
講師は、黒板の隅に小さく書き添えた。
その文字は評価であり、警告だった。
『魔力残存:不明
判断:適切』
「鈍感にならないことです。
この評価が付く者は、生き延びます」
その座学は、まだ続いていた。
次に講師はマジックバックから、分厚い記録束を取り出した。
羊皮紙を綴じたそれは、角がすり切れ、表紙には細かな傷が無数に走っている。
何度も運ばれ、何度も開かれ、そして閉じられてきた痕跡だ。
新品の硬さはなく、指に触れた部分だけが柔らかくなっている。
積み重ねられた時間の重みだった。
講師は教卓の中央にそれを置き、指先で位置を整えてから、ゆっくりと一冊を抜き取る。
紙が擦れる低い音が、妙に大きく響いた。
「これから挙げるのは実際にあった事例です。
扱うのは、成功例ではありません」
候補生たちの背筋が、わずかに伸びる。
「聖女候補の失敗。
そして──」
講師は、視線を落としたまま続けた。
「死亡記録です」
教室の空気が、はっきりと冷えた。
誰かが無意識に息を吸い直し、別の誰かは椅子の背に指をかけたまま固まっている。
「目を逸らしても構いません」
ですが、記録は消えません」
逃げ道はない、と静かに告げる声だった。
講師は羊皮紙に視線を落とし、淡々と読み上げる。
記録番号:第七二三例
発生地点:北方集落・冬期
要請内容:重度凍傷三名の救命
使用奇跡:肉体再生・中位
結果:奇跡失敗
聖女:死亡
最後の一行が読まれた瞬間、教室のどこかで喉が鳴った。
恐怖ではなく、「次は自分かもしれない」という想像が、身体に触れた音だ。
読み終えたあと、講師はゆっくりと顔を上げた。
「この事例。
失敗の原因は何だと思いますか」
──沈黙。
誰もすぐには答えない。
講師はそれを責めることもなく、次の頁をめくりながら黒板に向かう。
チョークが走る。
『魔力残存:推定六割以上』
『使用優先度:正当』
「残存魔力、十分。
奇跡の選択、妥当。
詠唱も、構築も問題なし」
候補生の中で、誰かが小さく首を傾げる。
条件は、教科書通りだった。
一拍置いて。
「……では、なぜ死んだ?」
講師の視線が、ゆっくりと教室を巡る。
逃げ場はないが、指名もされない。
考えるしかない時間。
やがて、候補生たちの中から、一人が口を開いた。
「……判断が、遅れた……?」
声は確信よりも確認に近かった。
講師は、小さく頷く。
そして、「正確には……」と言いながら、黒板に新たな文字が書き加えられる。
『状態の誤認』
白い文字が、先ほどの評価を切り裂くように並ぶ。
「この聖女は、“まだ使える”と判断しました」
候補生の中で、自分の手の震えを思い出した者がいた。
「魔力は残っていた。
だから、いけると思った」
講師は淡々と、列挙する。
「手の震え。
視界の歪み。
一瞬の詠唱遅延」
それは、先ほど目を閉じて確認した感覚と、重なっていた。
「すべて、前に話した兆候です」
講師の声は変わらない。
感情も、強調もない。
だからこそ、逃げられなかった。
「奇跡は、失敗しません。
──壊れるのは、使う側です」
候補生たちは、息を呑んだまま動けなかった。
数字ではなく、自分の身体が評価対象だと、はっきり理解してしまったからだ。
しばらくの沈黙の後、講師は記録束に視線を戻す。
「……続けます。」
ページが、また一枚めくられた。




