第3話 親友曰く、愛される努力よりも――
『愛されるための努力』なるものをすればいいことは分かった。
だが、肝心の『何をすればいいのか』がまるで分からない。
ミレーヌは「褒める」とか「プレゼントをしている」と言っていたが、どうにも腑に落ちなかった。
私の場合はもっと見た目を磨いたり、女性らしいしなやかさを身につけたりしなければいけない気がする。
でも、私ときたら殿方が好む傾向がさっぱり分からない。
社交界の華である親友なら、愛されるために何が必要か、きっと熟知しているはず……!
「ヴィー、教えて! 私はどうすればいいのかしら!」
「あなた、それ……本気で言ってるの?」
手入れの行き届いた美しい庭園。
その中に置かれたテーブルで、優雅にティーカップを持ったまま顔をしかめたのは、私の親友――公爵令嬢、ヴィクトリア・ヴェルシェ。
ゴージャスで豊かな深紅の髪に、氷のように鋭く透き通った青い瞳。
目が覚めるような美貌の持ち主である彼女に、私はさきほどのできごとを、手土産のタルトを食べながら打ち明けたばかりだった。
「え……?」
「浮気するような男のために、浮気相手の言葉を真に受けて、『愛される努力』をしようとしているのかって聞いてるの」
「その通りよ」
「このあんぽんたん!」
「いたっ!」
ヴィーは傍らに置いていた扇子をさっと手に取り、私の額を軽く小突いた。
「あなたに非はないわ! 努力しなきゃいけないことなんて、一つもなくてよ! あなたは今まで、あんな愚か者のために十分すぎるほど努力してきたじゃない!」
ヴィーも彼のことをよく知っている。
セオドアも含め、私たちは幼い頃からの幼馴染で、子どもの頃は三人でよく遊んでいた。
「まったく、あの馬鹿は……昔から無駄にモテるのが厄介なのよね」
セオドアは男らしく凛々しい顔立ちと、誰にでも明るく接する性格で、小さな頃から女の子に人気があった。
婚約が決まったときには、多くの女性から妬まれ、嫌がらせを受けたこともある。
ワイバーンを討伐して名を上げてからは、ミレーヌをはじめ、彼に近づく女性の数はさらに増えていた。
そんな状況に困りながらも、どこか得意げな顔をしていた彼に、かつてヴィーが言い放った言葉を思い出す――。
『婚約者がいると分かっていながら近づくような低価値な女に囲まれて、鼻の下を伸ばすとは、何て阿呆!』
あのときの痛烈な一言と、すっかり縮こまっていたセオドアの様子を思い出し、思わずくすりと笑みがこぼれた。
「あなた、笑ってる場合じゃないわよ? あの手の阿呆には、何度言っても通じないんだから、頭を何度もカチ割ってやらないとね! もちろん、『思案をこらす』って意味じゃなくて物理的によ」
「物理的にやったら、彼の棺が必要になるわ」
「それはそれで構わないわ。わたくしの扇子の中でいちばん硬いのを貸してあげるから、一思いにやってしまいなさい。……いえ、やっぱりわたくしの手でやるわ」
そんな物騒なことを言いながらも、優雅に紅茶を一口すするヴィーの姿に、思わず笑みがこぼれる。
「私のために怒ってくれて嬉しい。ありがとう、ヴィー」
寄り添ってくれる親友の存在に、私は心から救われていた。
感謝の気持ちを込めて微笑むと、ヴィーは椅子から立ち上がり、今にも泣き出しそうな悔しさをこらえた顔で、勢いよく抱きついてきた。
「ルーはこんなにも愛らしいのにっ! 病弱アピールと不幸自慢ばかりのしょうもない小娘に振り回されるなんて、もう、腹が立って仕方ないわ!」
「そんな言い方はやめて。彼女、ご両親を亡くしてつらい思いをしてるのは事実なのよ……」
「ええ、確かにそう。でも、それを盾にして誰かの幸せを奪ったり、不幸に陥れるのは、間違ってるわ。わたくしはそんな人、助けたいなんて思えない。あなたも……本当はそうでしょ?」
ヴィーの言葉に図星を刺された私は、思わず苦笑いを浮かべた。
「……そうね」
「それでいいのよ!」
可憐な見た目に似合わず、鼻息荒く頷いている姿があまりに可笑しくて、つい笑ってしまう。
こういうところが、私は本当に大好きだ。
「そもそもセオドアが強くなれたのも、ワイバーンを倒して名を上げられたのも――全部、ルーのおかげじゃない!」
自分の席に戻ったヴィーが、再びセオドアに怒り始めた。
セオドアが強くなれたのは彼の努力や家族のサポートがあったからだと思うが、私も子どものころは怖がりで痛いことに怯える彼をよくはげました。
一人ではがんばれない、というセオドアに付き添って鍛えたので、弓はそれなりに扱える。
ワイバーン討伐については、本当に偶然だったのだが……。
私たちが暮らす王都には、かつてワイバーンの襲撃によって多くの命が奪われたという歴史がある。
けれど、それ以来、百年以上も姿を見せることはなかった。
そんなある日――セオドアと一緒に狩りへ出かけていたとき、私はワイバーンの痕跡を見つけたのだ。
セオドアは気づかなかったが、私は騎士団の資料室でワイバーンに関する記録を読んだことがあったため、すぐにそれと分かった。
しかも、近くに巣を作り、卵を産んでいる可能性があった。
本来ならすぐに騎士団に報告すべき事態だったが――当時のセオドアは、入団したばかりで雑用しか任されておらず、功績を立てて認められたいという焦りから、私の制止も聞かず、独断で動き始めてしまった。
彼を一人で行かせるわけにはいかなかった。
人を呼びに戻っている間に何かあったら手遅れになると判断した私は、そのまま彼と討伐に挑むことにした。
真正面から戦って無事でいられる可能性は低いから罠を仕掛けた。
それでかなりダメージを与えることはできたが、仕留めることはできず――。
空を飛ぶワイバーンと剣を使うセオドアの相性は悪く、苦戦。
結局、私の弓でトドメを刺したのだった。
けれど、彼の名誉になるならそのほうがいいと思い、私がそこにいたことは一切伝えていない。
だから、王都の人々は皆、「セオドアが一人でワイバーンを倒した」と信じている。
ヴィーにはすべて隠さず話したのだが、そのときも「なんて小さな男なの!」と怒っていたなあ。
「センスよくカッコつけられるのもルーのおかげだし、ルーがいなかったら、あんなちょっと顔がいいだけのあんぽんたん、誰も見向きもしないわよ!」
セオドアは新人騎士の中でも『センスのいい男性』として注目されているけれど、彼が身につけているものの多くは私が仕立てたものだ。
伯爵家の人たちはみんな、派手なものを好んで身につけているのだが……少々成金くさいというか……。
だから、私は子どものころからよくセオドアのコーディネートを買って出ていた。
伯爵家の人たちは地味だと言っていたが、周囲の評判がよかったのでセオドアはそのまま私に任せてくれていた。
でも、最近はあまり一緒にいる時間がなかったからコーディネートできていない。
そういえば、さっき着ていたあの袖がフリフリのシャツ……。
細身の男性なら似合うかもしれないけれど、がっしりした体格のセオドアには、正直合っていなかった。
それにやけに大ぶりな宝石がいくつも付いたブローチまで身につけていたけれど、あれは散歩に着けるようなものじゃないし、服装ともまるで合っていなかった。
おそらく、あれもミレーヌからのプレゼントなのだろう。
彼女の趣味なのか、あるいは、派手好きなクロヴァル家の嗜好と似ているのかもしれない。
そんなことを考えていたら、『愛される努力』というセリフがまた脳裏に蘇った。
「ヴィーが私の努力を見てくれていて嬉しい。でも、ミレーヌの言葉を聞いて、たしかに『愛される努力』はしたことがなかったなと思ったの」
「まだ言うの! このすっとこどっこい!」
「いたっ」
「貴族である以上、親が決めた結婚に従うことは自然でしょう。だから、受け入れなければならない。ルーはそう思っているのよね?」
「え、ええ……」
「だからと言って、何をされても我慢することはないのよ? 第一、あなただけが努力するなんておかしいじゃない。セオドアはあなたのために何をがんばったの?」
「それは……騎士としてがんばっているわ」
「それはセオドア自身のためよ。もちろん、騎士としての地位が上がれば、妻となるあなたの地位もあがるでしょうけど……そういうことじゃないの。あなたはセオドアのためを思って努力しているけれど、セオドアがあなたのためを思って行動していることってあるかしら?」
「それは……」
ヴィーの質問に答えられなかった。
今の私は『少しの時間も作って貰えない婚約者』でしかない。
「ルーなら許してくれると甘えているのよ! でも、そろそろ思い知らせてやらないと! 今度はあなたが自分のために行動する番よ!」
俯いてしまっていた私の手をヴィーが握った。
「私の……番?」
「そうよ! セオドアを後悔させてやりましょう! わたくしに任せなさい!」
ヴィーが勝気にニヤリと笑った。
任せて、って……何を企んでいるの?
怖いような……でも、少しわくわくしてしまっている自分がいる。
「ルー、聞きなさい!」
「はい!」
私の傍らにきて優雅に見下ろすヴィーの覇気に圧されて、思わず大きな声で返事をした。
「愛される努力なんて必要ないけれど、あなたにはたしかに『足りないもの』があるわ!」
「そ、それは何なの!? 教えて!」
「それは……『乙女の輝き』よ! あなたときたらまだ何も味わっていないうら若き乙女だというのに、もうある程度酸いも甘いも経験したご婦人のような落ち着きようだわ!」
「!!!!」
ヴィーの指摘に、雷に打たれたような衝撃が走った。
心当たりがありすぎる……!
お茶会でも同年代と話すより、黙々と作業をしているときの方が断然楽しい。
「私はどうしたらいいの!?」
「教えてあげましょう」
祈るように両手を組み、息を呑んでヴィーの言葉を待つ。
「あなたに必要なのは、浮気するような愚か者に愛される努力ではなく『推し』よ!」




