令和7年2月投稿における伏線の解説1
令和7年(2025年)の2月以降の「沙織の部屋」の投稿は、全て「神明節制定・・・」の投稿の伏線である。簡単に解説する。
決戦! 2/1
https://note.com/saori_no_heya/n/n7090a78ad899
崇神天皇と大物主に対する糾弾が主で、「神明節制定・・・」と重なる内容が含まれている。
天照を「大神」と呼ばれることは不本意と表明。
「大昔に外宮の某が由緒を捏造」の「外宮の某」は外宮の神官である度会氏のこと。
https://imidas.jp/genre/detail/L-102-0104.html 参照。
伊勢神道における天御中主神や国常立尊との同一視は天照がはっきり否定している。
https://note.com/saori_no_heya/n/n16359eab9edc
「「愛し子の愛子」を次期天皇に指名した」は、天照による発言参照。
https://note.com/saori_no_heya/n/naff2c7a7872a
イノベーションは止めない 2/12
https://note.com/saori_no_heya/n/n032cb53dec85
過去への回帰を目指すのではなく、未来に突き進むとの意思表明。
特に、暴力装置としての技術の競争優位性への言及(後日、改めて言及される)。
「自ら考え前に進もうとする姿勢が未来を拓く」と過去の天照・豊受の連名の投稿でも記されている。
https://note.com/saori_no_heya/n/n674cdd0a0539
反日と「あるべき日本」 2/13
https://note.com/saori_no_heya/n/n24628279b2d8
「集団における統合の象徴となるのは、多くの構成員が受け入れられる「あるべき社会」「あるべき未来」を提示し、体現する人です」が最も重要な主張である。
「神明節制定・・・」で天照は頭領として「あるべき社会」「あるべき未来」を提示し、自分が集団における統合の象徴だと暗に宣言している。
我慢の先にあるものは 2/14
https://note.com/saori_no_heya/n/n2a5569f9aa20
既存の「神と人の在り方」以外を是認し、享楽的な価値観もよしとしている。
解釈の問題 2/15
https://note.com/saori_no_heya/n/nf2d6e4cc2c08
日本人より優遇される外国人についての攻撃(繰り返されている主張である)。日本にとって有害とされる者に対し超自然的、超法規的な方法による制裁を行う可能性の表明。外国人への攻撃等は、国民の総意ではなく、誰か一人の祈りにより発動しうることを示している。
「コンビ打ちの麻雀のような強引な手段」も遠慮なくとると言っているが、いつでも息のかかった弟に祈らせて、それを錦の御旗として神々が動くことができる。実際に「神明節制定・・・」で発動している。
息のかかった弟に祈らせて・・・は「お願いをする・お願いすることをお願いする」参照。
https://note.com/saori_no_heya/n/n766dfcd26824
天皇になれる人は 2/16
https://note.com/saori_no_heya/n/n8072e36f0950
皇位継承に関わる議論への言及と、天壌無窮の神勅の解説。
天照があえて指定した者を天皇にしないとなると、宝祚(皇位)の価値がなくなる、それでもいいのか、との主張。
みこともち とは 2/17
https://note.com/saori_no_heya/n/n7633355187d4
固有名詞こそ出していないものの、神社本庁への批判。「私たちが認めない団体の指示に従うことはありません」は、神社本庁を無視することの予告。
国の記念日 2/18
https://note.com/saori_no_heya/n/ne83adb9c8878
宝鏡奉斎の神勅が無視されている間は日本が乗っ取られているとの主張(宝鏡奉斎の神勅に関する言及は頻繁に行われている)。日本を正常化する日を新たな記念日とする旨の提案。春分の日が提案されているが、急遽、桃の節句に前倒しになったのだろう。