Chapter3:同調
「すぅぅー……はぁー……」
大きく息を吸い、そして吐いた。
「——現在時刻8時32分。タイムリミットまで、残り28分です!」
目の前に横たわる妹の寝顔を見つめ、改めて覚悟を固める。
「——マスター。これより作戦を開始します! 再確認になりますが、一度失敗すればプログラム再実行まで30分のインターバルが必要です」
つまり、失敗は絶対に許されない。
もしも失敗すれば…………、海羽はもう、二度と目覚めない。
「——マスターの合図で、プログラム起動準備に入ります!」
ホタルがそう言うと、コアキューブは俺の手のひらから離れ、高速回転しつつ空中にふわふわとホバリングする。
俺は数秒、そっと海羽の手を握る。けれど、握り返してくる感触は無かった……。
ゆっくりと優しく海羽の手をベッドの上に戻し、コアキューブの上方に投影されたホタルと目を合わせる。
「…………行くぞホタル」
「——はいマスター! いつでも問題ありません!」
ゴクリと生唾を飲み込み、俺は伸ばした右手を海羽にかざして発声する。
「——略式化!!——」
遡ること12時間前。
「やっと成功した……」
「——おめでとうございますマスター! これでアライメントキューブNo.6の情報を取得しました!」
溜まりに溜まった疲労感で、声を出しながら大きく息を吐き机に倒れ伏せる。
もう残り時間も少ない。既に海羽が絶縁症を発症してから約48時間が経とうしていた。このままだとあと半日もすれば……海羽は死ぬ。
「——ッ! マスター! 朗報です! さっき取得した情報により、必要なプログラムが全て揃いました!」
そのホタルの言葉に、思わず突っ伏していた頭が跳ね上がる。
「じゃあっ、これで海羽は助かるのか!?」
心底安心したような表情で言う俺に、ホタルは申し訳なさそうに目線を逸らした。
「——いえ、ごめんなさいマスター。実際に妹さんの脳からテクスチャを分離するためにはマスターの協力が必要になります」
何をいまさら……。もう十分協力しているつもりだったんだが。
「それで結局、今度は何をすればいい?」
「——それでは、マスターに作戦概要を説明します!」
ホタルは改めて俺の方に向き直り、真面目な表情で話を始める。
「——まず、マスターにはNo.3にて取得済みの『略式化』にてキューブを生成して頂きます。『略式化』はあらゆる暗号化パターンを分析しキューブ状に置換、アライメントキューブを構築するプログラムになります」
「あらゆる暗号化パターンって……そんな事出来るのか?」
思わず、沸いた疑問が口をついて出る。
「——可能です。最もフラットな3×3×3のキューブでも、配置パターンに換算して約4325京通り。キューブの大きさを変動させることで更に多くのパターンを再現可能です」
ホタルに言われたことを自分なりに頭の中で整理する。
つまり、3×3×3のキューブでも配置パターンが約4325京通り近くあるってことは、例えば典型的な数字のみのパスワードなら、0000……から9999999999999999999までをキューブ状に置換し、それを完成させることでロックを解除する事が出来るって事か。
ましてや、俺がついさっきまで手を焼いていたNo.6の6×6×6のキューブのようにキューブ自体の大きさを増設していけば、理論上確かに無限通りのパターンをキューブ状で再現できる。
ただ、明らかにこれは今のこの惑星の技術を凌駕している……。話には聞いていても改めてこうもオーバーテクノロジーをまざまざと見せつけられると、ファーストプランやらなんやらの事も本当に事実なのかと思い知らされる。
「——『略式化』にて対象テクスチャの乱数軌道ルーティーンを分析し、特定時点における通過座標を算出。当該座標にホタルちゃんが投網を展開しテクスチャを捕縛します!」
「えっとぉ、つまり俺がすることは……?」
「——マスターにはこれまで通り指定時間以内にキューブを揃えて頂く、それだけです」
なるほど。最初からそう言ってくれればわかりやすい。
ともあれ本番はもう目前、明日の午前中だ。
今日も昼頃に海羽のお見舞いに出向いたが……やっぱり、海羽は既に聴覚も失っていた。
約束通り、俺が手を握ると弱弱しくもぎゅっと握り返してきたり、聴覚が無いせいで上手く話せないのか、言葉にならない言葉で必死に俺に話しかけようとしてくれた。
いつ俺が来るとも分からないのに海羽がその時起きていたのは、単なる偶然か、それとも光も音も無い世界でずっと兄の手の温もりだけを待っていたのか、それは本人にしか分からないけれど、俺はより一層なんとしてでも海羽を救うと決意を固め、そっと可愛い妹の頭を撫でた。
「明日は、万全のコンディションで行く」
「——はい。そうですね。それではマスター! おやすみなさいっ!」
その夜、湯水のように湧いてくる不安や雑念を必死に押し殺し、俺は決戦に備えて半ば強引に眠りに落ちた。
「…………行くぞホタル」
「——はいマスター! いつでも問題ありません!」
ゴクリと生唾を飲み込み、俺は伸ばした右手を海羽にかざして発声する。
「——略式化!!——」
コマンドの発声と同時に、コアキューブから飛び散るようにガラスの破片にも似た光のエフェクトが周囲に舞った、かと思えばすぐにその光のエフェクトは海羽の身体の上、空中に集まり立方体へと再構成される。
「——略式化の成功を確認っ! 対象の乱数軌道を解析。15秒以内に、16秒後の通過座標を特定してください!」
15秒。
俺は、コアキューブから空中に投影されたキーボードに指を掛ける。
この15秒で、海羽の……いや俺たち兄妹の人生が大きく変わる。
こんな事で、こんな理不尽で、たった一人の妹を奪わせたりさせない。
「くっ、デカい……!」
生成されたキューブのサイズは6×6×6。つい昨日、初めて攻略したNo.6のキューブと同じサイズだ。
あの時でも掛かった時間は約17秒。ただ、こればかりはスクランブルによる初期配置の運もある。
とはいえ今回は泣いても笑っても一発勝負。運だの何だのと言い訳は出来ない。まして、時間制限は昨日挑戦していたものよりもさらに5秒も短いと来ている。ハッキリ言って厳しい……でも、やるしかない。やるしかないんだ……!
あえて前向きに捉えるなら、昨日までさんざん何度も挑戦を繰り返してきた6×6×6。ウンザリするほどの試行回数で、すっかり指が慣れていた。
「——マスター! 残り10秒です!」
一つ一つ、ホログラムのキーボードを叩いて、キューブをくるくると回転させる。
間に合えという焦りと、ミスできないという緊張、こんなに真剣に……こんなにひたむきにキューブに向き合ったのはいつ以来だろうか。
……決まっている。あの時以来だ。
俺が、最後にスピードキュービングを辞めた……あの日。
「ねぇおにぃちゃん? おにぃちゃんがどんだけ悔しかとか、私じゃ分かってあげられんやろうけど……。でも、おにぃちゃんがあれを大好きなことは、おにぃちゃんが分からんようになっても、私が知っとるけんね? だから……ね? 捨てるんだけはやめとこ?」
きっといつか、自分を許せる日が来るから。俺が部屋にあったキューブを全部捨てようとした時、海羽が俺にそう言った。
……もしかしたら、俺は今日この日の為に、ずっと積み上げてきたのかもしれない。
もし、俺のこの研鑽が無駄じゃなくて、海羽を助けることに役立ったなら……。
俺は……自分を許せるのかもしれない——。
「——マスター! 残り5秒です!」
このままいけば……間に合うか!? 強運な事にスクランブルに恵まれた。ギリギリではあるがこのままのペースでミスをしなければ、なんとか…………
そう、頭をよぎった瞬間だった——。
「ぁ——」
俺の視界から……色が消えた。
病室の壁紙も、窓の外の風景も、横たわる海羽も、そして目の前に浮かぶキューブも。
全てが灰色になって、色彩が失われる。
これじゃ……もう揃えることなんて……。
……結局、俺はこうなのか。
結局、俺はまたこうなのかよ……。
もしかしたら今日、俺は俺を許せるんじゃないかって、そう思ったのに……。
俺はあの日からなんにも変わっていない……。当たり前だ、あの日から俺の時間は止まったままなんだから。
やっぱり俺には……何も……ごめん。海羽……。
『おにぃちゃん! これ揃わんくなった~、揃えてよ!』
『うわぁ~、ほんとに早う揃えるよね~。見よって気持ちよかよ~。……私? 私はぐちゃぐちゃにするの担当やけんねっ! えへへっ』
『なんか、何回混ぜてもパパっとすぐ揃えてくれるけん、楽しくなっちゃったっちゃん!』
……昔は、よく海羽がぐちゃぐちゃに混ぜたキューブを俺のところに持ってきて、揃えてくれとせがんで来た。
思えば、最初に俺がキューブを揃えたのも、海羽のためだったっけ。何かの景品でついてきたおまけのおもちゃ。それが、俺が初めて揃えたルービックキューブだった。
海羽がカチャカチャと遊んで、戻せなくなったと泣きそうになりながら俺のところに持ってきたのを覚えている。
勿論、俺だって「戻して」と言われたって、やり方なんか分からなかった。でも、妹のために付属の説明書とにらめっこをして、四苦八苦しながらも揃えたのを覚えている。
揃えたキューブを妹に「はい」と渡したその時の海羽の笑顔も、強く記憶に残っている。思えば、あの笑顔が俺の始まりだったと思う。
いつしか、海羽は色んなキューブを俺のとこに持ってきて、俺を試す様に「揃えて」と言ってきて、俺も負けじと全部揃えてつき返すと「おにぃちゃん凄かね!」とまた楽しそうに笑っていた。
それからは早く揃えることにも楽しさを感じるようになって、幼いながらも大会なんかにも出るようになった。
……でも、それでも俺は結局、肝心な時に……。
そもそも、なんで今こんな事を……、これじゃまるで走馬灯だ。
もうどうしようも無くなって、海羽との思い出が頭を次々よぎっていく。
本当に……? 本当に、これでもう……終わりなのか?
俺は————。
「——ダイレクトリンクにて、マスターに視覚情報を共有。色彩同調を実行します!」
「…………っ!」
ホタルのコマンド発声と共に、周囲が色づいていく。
ホタルの目を通して、色を認識しているのか?
「——マスター! 残り3秒です!」
やり場をなくして固まっていた指先が動き出す。
いける……まだ終わってない!
まだ俺は—————!
「——対象の通過座標を特定! 投網を展開しますっ!」
六面が完全に揃うと同時に、キューブは空箱のように一部が開閉する。そしてその直後、海羽の中から霧状の光の粒子が飛び出しキューブの中に勢いよく吸引されると、空いていたキューブはパタンと閉じ、そのキューブもまたホタルの身体に吸い込まれるように溶けていった。
「——マスター。お疲れ様でしたっ」
「……え、あ、あぁ」
呆気にとれて、変な返事を返してしまった。
「今の……、間に合った……のか?」
「——はい! マスターの協力により、14.847秒時点で通過座標の特定に成功。無事、テクスチャの捕縛および分離に成功しました!」
ホタルの言葉にどっと体の力が抜け、床に尻餅をつく。
安心からか、変な笑いがこみあげてくる。
「ホタル! これで、海羽はもう大丈夫なのか!?」
「——はい! 問題無いと思われます! 意識が回復するまでは多少時間が掛かると予想されますが、身体機能に問題は見受けられません!」
良かった……。本当に……本当に治ったんだ。
多くの人を殺め、原因不明、完治不能、不治の病と言われてきたあの絶縁症が……。
俺は起き上がって椅子に座り直し、海羽の手を握る。すると、気のせいかもしれないが、ほんのちょっと、海羽の手が握り返してきたような気がした……。
それから、俺は海羽が目を覚ますまでの数時間、ずっとそばにいて手を握り続けていた。
海羽の目が覚めると、病室には医者たちが集まってきて目を点にしていた。
ただ……、テクスチャやホタルの事はまだ医者たちを含め誰にも伝えてはいない。
というのも、それはホタルからの頼みだった。テクスチャの存在はともかく、ホタル
の存在が広く知れ渡ると、未知のテクノロジーとしてどこぞの研究機関に回収され、不用意に中身を弄られた挙句、最悪の場合そのせいで地球の技術レベルではホタルを元通りに戻せなくなる可能性があるからだそうだ。
俺としては、こんな国家機密みたいな危ない代物をいつまでも抱えておくのは恐ろし
いが、紛いなりにもコイツは海羽の命の恩人。いや、恩AIだ。
それに、実際のところ多少とはいえ俺自身、コイツには愛着も湧いてきている。
まぁ、乗り掛かった船という言葉もあるわけで、もう少しだけ俺はホタルに協力をす
ることにした。
目が覚めた海羽はと言えば、何事も無かったかのように回復し、次の日には退院して家に帰ってきた。
「おにぃちゃ~ん? もうごはんできとるよ~」
妹の声に起こされて、寝ぼけ眼を擦り、洗面台を経由してリビングに向かう。
リビングにたどり着くと、そこにはいつも通りの景色があった。
「ほらほらおにぃちゃん、早う食べんと」
急かされるままにぱんっと手を合わせ、二人の「いただきます」が重なった。
「おにぃちゃん、私、今日は経過観察で病院よってから帰るけんね」
「んー? うん」
「でも、もうどこも変なとこないって言っとるんやけどね~」
海羽は退院後も少しの間、定期的な経過観察を余儀なくされた。まぁ、不治の病とまで言われた原因不明の病気が急に治ったんだ。しかも治った原因も不明。病院としては、不可解で仕方がないだろう。
「ねぇおにぃちゃん。なんやったんやろうね……。私って、ほんとに絶縁症やったんよね……?」
「海羽……?」
「私、今でもたまに思い出すんよ。真っ暗で音も聞こえんかった時のこと。めっちゃ怖かった……」
少しうつむいた海羽が、思い出す様に小さく呟く。
「でもね。おにぃちゃんが約束守って、手ぇ握りに来てくれたこと覚えとる……、あん時の感触も、手から離れん……」
……そう言って、海羽はこっちに微笑み賭ける。
「あ~あ、私のおにぃちゃんがおにぃちゃんで、ほんとに良かったっちゃんね~」
「……? なんだよそれ」
「ううんっ? なんもなかよ?」
「う~ん……」
……いや、それは俺の方だ。
いつも、一番そばにいてくれたのが、俺の妹が海羽で————。
「あっそうや、これ押し入れから出てきたんやけど、揃っとらんとむず痒かよ~。ほいっおにぃちゃん、揃えてよっ」
「…………ったく、しょうがないなぁ」
海羽が押し付けてきたのは、いつ買ったかも忘れたような遥か昔にお下がりとして海羽にあげたルービックキューブ。
「そういえば、ずっと慌しくて、まだちゃんと『おかえり』って言ってなかったっけ」
「えへへ……それはお互い様やね」
「んん……? それってどういう……?」
ふと手元のキューブから顔を上げると、再び海羽とぴったり目が合った。
そして——、何があるわけでも無いのに、俺たちは顔を見合わせて二人で笑いだす。
「「おかえり。」」