0-0話 迷探偵との出会い
悩みましたが、謎解きより、キャラの掛け合いメインなので恋愛にしました。
『恋愛要素のあるミステリー』がありなら、『ミステリー要素がある恋愛』もありだっと言ったノリで書いています。
ベート・ビンダード。かつての彼女が持っていた名だ。
下級貴族、ビンダード家出身。武の才はないが、知識が豊富な人物だ。
使用人からも評判が良く、出来た娘と評判だった。
だが今の彼女は名無し。奴隷と言う身分の下、毎日コキ使われる。
妹に婚約者と地位、名前を奪われ。
借金の肩代わりとして、上級貴族に売られた。
毎日苦手な重労働をさせれて、最低限の食事で生活している。
給料など当然でない。鉱山と牢獄を行き来する毎日だ。
口答えは許されない。意志を持たない、労働資源。
それでも今だけは、メイド服を着て屋敷の使用人をしている。
理由は簡単。本日がより爵位の高い貴族による監査が入るからだ。
このアルヘイヤ帝国で、奴隷は禁止されている。
名目上でも、本日だけは全ての奴隷が使用人として扱われる。
だが監査が終われば、また労働資源に逆戻りだ。
上級貴族は使用人の言葉に耳など貸さない。ここで訴えても無駄だ。
「紅茶をお入れしました」
彼女は慣れた手つきで、紅茶を出した。
監査が入るのは、これが初めてではない。
だからこそ、こんな形式的なもの無駄だと悟っていた。
誰も奴隷をこっそり持っていても、気にしない。
それがこの国の貴族と言う者だ。
「ふむ。ご苦労。これはミルクコーヒーだね?」
「いえ。紅茶です」
「それをミルクコーヒーと呼ぶんだよ」
高笑いと共に、堂々と口にするの上質な黒服を着た男性。
彼が今回の監査員。上級貴族、フライ・ハンターだ。
変わった人物だと、聞いていたが。言動がまるで意味不明だ。
先ほどから使用人の恰好をした奴隷をチラチラと見つめている。
紅茶を啜り、彼女の手をジッと見つめる。
「君? 名前は?」
名前を聞かれて、彼女は戸惑った。
本名を名乗る訳にもいかない。
「使用人の名前など、どうでも良いではないですか」
屋敷の管理人である、貴族が慌てて注意を逸らす。
奴隷に名前は与えられない。答えられないと怪しまれる。
「良くないよ! 見たまえ! このマメを!」
一瞬彼女は、手に出来たマメの事かと思った。
だがフライがカップを手にもって、違うと悟る。
「この豆は見事な出来だ! 研ぎ具合が丁度でなくては、この味は出せない!」
「それは紅茶です……」
「家に使用人として欲しいくらいだ!」
――普通に市販の紅茶を入れただけなのに……。
彼女は戸惑うしかない。恐らくフライは、普段から高級な紅茶を飲んでいるのだろう。
舌が貧乏なのか、庶民の味が好みのようだ。
「そ、そんなことより! 調査結果を教えていただけますか?」
主がこれ以上追及する前に、話を戻す。
使用人と話せば、それだけボロが出る可能性が高いからだ。
「アウトです」
フライは無慈悲の声で、そう告げた。
主の額に汗が流れている。
「何でですか!? 何も問題がなかったでしょ!」
「この家。奴隷を雇っているな」
フライは彼女の手を握りしめて、掌のマメに触った。
チクりとした感触で、彼女は思わず顔をしかめる。
「お前はメイドに、マメが出来る程の重労働をさせているのか?」
「そ、それは……。そいつが偶々……」
「彼女だけじゃない。他の使用人達も、重労働の形跡があった」
もう一人の奴隷を、フライは指した。
人差し指が足元へ伸びる。
「随分とフラフラしているな。ロクに休みもなく働いている証拠だ」
「それはコイツが、昨日徹夜しただけで……」
「ほう。そうやって、全てを偶々で済ます気か?」
フライは威圧するように、主に近づいた。
顔面を近づけて、主を睨む。
「お前の反論など! この紅茶の様に、ゴマの味なんだよ!」
――全く意味が分からない……。
彼女はただ圧倒されるしかない。
「明日、騎士団による徹底捜査が行われる! 覚悟しろ!」
「そ、それだけは勘弁してください!」
主が懇願するように、フライにしがみ付く。
彼は鬱陶しそうに、その手を払った。
「奴隷は全て解放します! だから! 立ち入り調査だけは……」
「お前は玉ねぎなんだ」
「はい?」
首を傾げる主を、フライは蹴り飛ばした。
主は机に頭をぶつけて、気絶する。
「と言う訳だ。お前ら。もう帰って良いぞ」
突然の解放に、奴隷たちは呆気にとられた。
でも彼女の心は晴れない。
例え奴隷から解放されても、自分には居場所がないのだ。
「あ~。君、大丈夫か?」
もう一人の奴隷が、体をふらつかせた。
フライが心配そうに、彼女の体を支える。
「だ、大丈夫です……。少し疲れただけですから……」
「ふむ。体調が悪いなら、我が従者に見てもらうが……」
「本当に、大丈夫ですから」
そう言って立ち去る少女だが、全く大丈夫そうには見えない。
尚も心配そうにするフライだったが。
それ以上追いかける様な事をしなかった。
彼女にとっては、意外な行為だった。
上級貴族が只の従者を気に掛けるなど。
いや、それどころか細かい部分を見ているなど、思いもしなかった。
「君、ちょっと良いかね?」
「は、はい!」
中々の食わせ者であるフライに、彼女は呼び止められた。
「今日から君は、アイリーンだ」
「はい?」
「君の名前だよ。ジーパンとどっちにするか悩んだが……」
フライは彼女に、手を指し伸ばした。
「名前がないのだろ? 行く当てはあるか?」
彼女……。アイリーンと名付けられた少女は、首を振った。
両親も妹を溺愛している。今更実家に帰れない。
そもそも奴隷として売られるのは、両親も了承している。
「ならば、家に来るか? 人出が足りなくて困っているんだ」
「え……? ハンター家が人出不足なのですか?」
「あぁ……。いや。人出が足りないのは、こっちの方」
フライは懐から名刺を取り出した。
アイリーンは慌てて、名刺を受け取る。
そこにはハンター探偵事務所と書いてある。
「探偵事務所?」
「実は俺、趣味で探偵を始めてね! 人材が足りなくて困っているんだ!」
――趣味で探偵を始めるってなに?
アイリーンはその言葉を、喉に押し込んだ。
「ちなみにさっきの推理も、俺の助手が行ったものだ! 俺に推理力は皆無だからな! アーハハ!」
「何故それで、探偵事務所を!?」
思わず声に出てしまって、アイリーンは口をふさぐ。
フライは彼女の言葉に、不満げな顔をせず優しく微笑んだ。
「困っている人の助けになりたいからさ」
「い、意外とまっとうな答えが返ってきた……」
アイリーンはフライを、どう評価すべきか悩んだ。
間違いなく変人だが、気づかいの出来る人ではある。
「答えは急がなくて良い。裏に住所が書いてある。迷ったら訪ねてこい」
手を上げて、フライは立ち去った。
嵐の様な人物が消えて、部屋は静まり返る。
アイリーンは名刺を裏返した。そこには確かに文字は書かれていた。
「達筆で何書いているか、分からない!」
こうして彼女はアイリーンと言う、一応の名前をもらった。
この名前とフライとの出会いが。彼女の人生を大きく変える事になる。