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覚醒勇者のクロニコル  作者: 氷川 泪
エピローグ
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修行見学

 翌日の深夜、山間の険しい坂道で、キリク率いる軽騎兵がリュアを奪還しようと行動を開始した。だがその結果、リュアは馬車ごと谷底に転落し川に流され、気づくとディンに助け出されていた。


 誘拐されてから四日間が経過したことになる。遅くとも三日もあれば救出隊が姿を見せると考えたリュアの見立ては間違っていた。


「リュアさん、果物を持ってきたよ」


 ディンが姿を見せ、ベッドに横たわるリュアの枕元にお盆を置いて行った。昨日は一日中、食事も()らずベッドに()せっていた。お腹は空いているが、ディンたちと共に得体の知れない食事を口にする気力などなかった。


 枕元に置かれていたのは、リンゴとオレンジだった。

 リンゴを手に取り眺めてみた。宮廷で出されるものとは異なり、形も悪いし皮も剥いていない。

 試しに一口だけ(かじ)ってみると、心地よい歯ごたえと共に口の中一杯にすがすがしい甘みが広がった。

 気がつくとリンゴ一個を芯も残さず平らげていた。指をしゃぶりながら、オレンジの皮を剥く。鮮烈な香りが鼻孔(びこう)に広がり、それだけで口の中に唾が沸いた。果肉はほどよく甘く、酸っぱさが舌の上を駆け、頭の奥が痺れるような陶酔(とうすい)を味わった。


 ベッドから立ち上がり、板張りの粗末な床を眺めていた。ここで臥せっていても何も解決しないことは明白だ。捜索は行われているのだろうから、どうにかして捜索隊に連絡を取らなければならない。


 部屋から出ると、外は雲ひとつない快晴だった。一日部屋に引篭っていたせいなのか、空の青さがいつもより濃いような気がした。


「あ、リュアさん。具合は大丈夫なんですか?」


 小屋の外の空き地に立っていたディンが駆け寄って来た。木剣を右手に下げている。


「ありがとう。だいぶ良くなったみたい」


「そっかぁ。よかった。おれ、ほんと心配しちゃったよ」


 嬉しそうにディンがリュアの手を取って跳ね回る。まるで遊んでもらいたがっている仔犬のようだ。


「ディンは何をしているの?」


 手にした木剣を指差して訊ねた。


「これから修行なんだよ」


 ディンが指差すと、小屋の中から老婆が姿を見せた。状況からして剣の修行なのだろうが、杖をついた老婆を相手に訓練する気なのだろうか。


「よかったら見てて。今日こそ婆ちゃんから一本取ってみせるから」


 川の中から自分より背丈の高いリュアを救い出すくらいだから、ディンは見かけより体力はあるはずだ。そのディンが、杖をついた老婆と木剣で仕合うのだろうか。


 老婆に一礼すると、ディンは木剣を構え老婆に打ちかかった。

 杖を持った老婆の体が揺れた。リュアには老婆がよろめいたように見えた。


 コン!と小気味いい音がして、ディンが尻もちをついた。

 

「痛ぇ~」


 顔を(しか)めたディンが頭の天辺(てっぺん)をさすっている。状況からして、老婆の杖がディンの頭を叩いたのだろうが、リュアにはその動きが見えなかった。


「さっさと立つんだよ、ディン」


 立ち上がると、ディンは再び老婆に向かって打ちかかる。


 パン、パン、コン!

 打楽器でも打ち鳴らしたようないい音がした。今度はリュアにも動きが見えた。ディンの攻撃を(かわ)した老婆が、杖でディンの腕と足、そして頭の天辺を叩いたのだ。


 それから小一時間、ディンと老婆のやり取りは続いた。


 ディンが打ちかかり、老婆の杖がディンを叩く。その繰り返しだ。老婆の動きが早いようには見えないから、老婆が凄いというようりディンが弱いのだろう。


「次、徒手(としゅ)だよ」


 老婆はディンにそう告げると、空き地の隅にある切り株に腰を下ろした。代わりに、リュアとさして

変わらない年頃の女の子が現れ、それまで老婆が立っていた場所に立った。


「隣のチャムチャム。体術の達人なんだよ」


 ディンに紹介され、チャムチャムという名の少女がリュアに頭を下げた。リュアが身に着けている衣服は、おそらくチャムチャムの物だろう。


 ディンとチャムチャムは互いに礼を交わし対峙した。


「やぁ~!」


 ディンがチャムチャムに殴りかかった。剣技はともかく、体術なら体力勝負だ。いくら達人とはいえ、ディンの速い動きには手こずるはずだ。


 ディンとチャムチャムの体が交差した。

 

 パンパンパンパンパン!


 どうやったらそうなるのか、チャムチャムがディンの襟首(えりくび)を掴み、平手で頬を叩いていた。叩かれるたびに、ディンの顔が派手に左右に振られる。


「ぶへっぶへっぶへぅ」


 見る間にディンの頬が真っ赤に腫れていく。いくら何でもやり過ぎだろうというところで、チャムチャムがディンを地面に叩きつけた。


「ちょっと、大丈夫?」


 リュアの足元に転がってきたディンに駆け寄った。ディンは命の恩人だ。いくら訓練とはいえ、黙って見てはいられない。


「ねぇ、あなた。これちょっとやり過ぎなんじゃない?」


 

 ディンを(かば)ってチャムチャムの前に立ち塞がった。チャムチャムは表情を変えず、胸の前で手を重ね、リュアに頭を下げた。


「ありがとう、リュアさん。でもおれ、全然平気だから」


「だってディン、あなたそんなに顔を腫らせて」


 ディンがリュアを押しのけてチャムチャムの前に立つ。


「いつものことだから心配しないで」


 チャムチャムが腰を落とし、構えを取る。開いた掌をディンに向け、かかって来いと合図する。


 体術の訓練も小一時間続いが、リュアは途中で見るのを止めた。ディンがチャムチャムに跳びかかっては返り討ちに合う。それが延々と続くからだ。


 昼前に訓練は終了した。


 顔を洗い、腫れた頬に得体の知れない軟膏を塗りつけたディンがリュアを空き地の外れにある木のテーブルに案内してくれた。


 丘の上に設えたそのテーブルからの見晴らしは目を見張るほど美しかった。丘の下はどこまでも続く深い森林で、その中央を銀色に輝く大きな川が流れていた。その先には山頂を雪に覆われたクルポトドの山々が(そび)えている。


 リュアはあの山のひとつから転落し、森を貫く大河を流れてここに辿り着いたのだ。捜索に時間が掛かるのは仕方がないと思うしかないほど広大な土地だった。


「今日の料理はチャムチャムの手作りなんだ」


 テーブルに着いて嬉しそうに笑うディンの顔にもう腫れは残っていない。顔中を油塗れにしたあの軟膏は驚くほど効果があるようだ。


 テーブルに並んだ食事は、相変わらず見たこともない料理ばかりだったが、口にしてみると恐ろしく美味かった。

 小麦の粉を伸ばして作ったらしい皮に、肉と野菜を包んで焼いたものだ。一口噛むと肉汁が口一杯に広って舌の上を焦がしたが、それでも止まらなくなるほど美味かった。


「明日、ここを出ようと思うんだけど・・・・・」


 食事の後、リュアはディンと老婆にそう切り出した。この広大な森を隈なくリュアを探すとなれば、一か月あってもここには辿り着けないかもしれない。


 せめて直近の町か村まで出れば、自分を探しているだろうキリクに連絡する方法が見つかるはずだ。


「だったら村まで、ディンとチャムチャムに案内させよう」


 老婆が答えた。危険が伴う旅になるから、正直にいってディンとチャムチャムについて来られても困るのだが、この広大な森林で迷子になる訳にはいかない。

 近隣の村までは二人に案内してもらわなければならない。


「ありがとう。村に着けば、そこでなんとかするから。そこまではお願いね」


 ディンは村に行けることが嬉しいようで、村に行ったら何か買っていいかと老婆に尋ねている。


「村までは最低二日は掛かります。足場の悪い場所もありますので、新たに履物を用意しましょう」


 チャムチャムがリュアの前に跪いて、足のサイズを測りだした。確かに装飾の施されたリュアの靴では、広大な森の中を歩くには向かない。


「いろいろありがとう。無事についたら、もっといい服を送ってあげる」


 リュアの足を測るチャムチャムの動きがほんのわずか止まった。余計なことを言ったと気づいたが、今更取り消すこともできない。


「もっといい服って、リュアさんが着てたあのヒラヒラのやつ?あれ駄目だよ。あんな目立つの着てたら、森の獣に狙われちゃうよ」


 チャムチャムの代わりに、口一杯に食事を頬張ったディンが答えた。


「わたしの住む世界に、森の獣はいないの。ごめんねディン」


 チャムチャムに言った言葉を後悔しかけていたが、ディンの答えにイラついてつい言い返してしまった。


 足のサイズを測り終えたチャムチャムは、靴を作る言ってと小屋に帰ってしまった。


「村についたとしても」


 それまで黙っていた老婆が口を開いた。


「顔見知りが来るまでは、誰も信じちゃいけないよ。あんたが信頼できる人が現れるまで、ディンとチャムチャムには側にいるようにと言ってある」


 ディンやチャムチャムがいたところで何の役にも立たないと思ったが、リュアは黙っていた。ディンと老婆には恩がある。城に戻ったらできるだけのことをしてやろうとは思うが、これ以上この二人に構っている暇はない。


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