泥棒
「ねぇ、いいのチャムチャム。このまま帰ったら婆ちゃんに怒られちゃうよ」
ディンの袖を引いて歩くチャムチャムは一言もしゃべらない。
身支度を整えると言って、リュアはディンとチャムチャムを教会内の食堂へ下がらせた。そこで村長のゲバイから、革袋に入った金貨を渡された。
「リュア様を助けてくれたお礼だ。遠慮なく持って帰れ」
リュアの前とは違い、ゲバイの態度は尊大だった。食堂の隅にある勝手口までディンとチャムチャムを案内すると、有無を言わさず二人を外へ押し出した。
「このことは誰にも言うな。もし誰かに話したら金貨は取り上げる。持ってなければ借金にするからな。だからどこにも寄らず、まっすぐ帰るんだぞ」
リュアが顔見知りと会うまでは側にいなければならないとゲバイに伝えたかったが、チャムチャムがディンの袖を掴んで引っ張るから、ディンは仕方なくチャムチャムの後に続いた。
無言のままチャムチャムは村から出て、帰り道である森への一本道を歩き出した。せっかくお金をもらったのに、このままでは村で買い物もできない。
「どうしたのチャムチャム。タムタムって呼ばれたこと怒ってるの?」
高い樹木が並ぶ街道は、少し村から離れると途端に薄暗くなる。パイポの村から先はほとんど人が住んでいないから、街道とはいえ人影は無い。
「追けられてる」
足早に歩きながら、チャムチャムが呟いた。
「えっ?さっきから後にいるおじさん達のこと?あの人たち、おれ達を追ってるの?なんで?どうして?」
「決まってるでしょ。お金を奪って、私たちを殺す気よ」
「殺すって、おれ達なんにも悪いことなんかしてないよ。あ、あれだ。泥棒ってやつかな」
泥棒は、昔話によく出てくる人の者を勝手に持ち去る悪い奴だ。ディンの住む小屋には泥棒どころか手紙の配達人も姿を見せないから、人間の泥棒がいるのなら見てみたかった。
「振り返っちゃダメ。連中、私たちが完全に二人になるのを狙ってるの。ここまで手を出さないってことは、お金だけでなく命も狙ってるみたいね」
「どうしてさ。おれだったらさっさと仕事を済ませて村に帰るけどなぁ」
「そう簡単に私たちの死体が見つからないよう、森の奥で始末する必要があるのよ。村の近くで殺したら、すぐに村の人たちに見つかっちゃうでしょ」
「どうしてそんなこと判るのさ。おれ達のこと見送ってくれてるだけかもしれないじゃない」
「村長が嘘を吐いてるからよ。嘘つきは嘘がばれない為ならなんでもするって、本に書いてあった」
チャムチャムはよく本を読む。パチェット婆さんから本を借りては、空き地の切り株に座って本を読んでいる。何が楽しいんだと思っていたが、そんなことが書いてあるのならディンも読んでみたい。
「さっき村長は、父はコンフォード侯爵様の三男だったって言ってたでしょ。自分の祖先だっていうのなら、侯爵様なんて言わない。わたしがうちの爺のことをガフテン様なんて言わないのと一緒よ」
「でもさでもさ、だったら余計にマズくねぇ?村にいた方が全然安全だってことなんじゃない?」
「いつまでも村にはいられないでしょう?だったらさっさと襲われて、奴らの正体を見極めなきゃ」
「正体なんて最初っからわかってるじゃない。村長と村の青年団の皆さんじゃないの?」
「うちのじいさんが言うにはね、ゲバイの親父はクズだったって。それでその息子のゲバイはゴミクズだって。ねぇディン。なんで村にはあんなに男が多いの?」
「そりゃあ村の青年団だから。何かあったら協力しなきゃいけないし」
「違うわよ。たいした仕事もないのに、なんであんなに男手があるのよ。他の村じゃね、若い男はみんな大きな街に出稼ぎに行ってるの。それなのにうちの村だけ、あんなに男がいるなんておかしいじゃない」
そう言われてみれば確かにそうだった。村には仕事もしていない若い男がたくさんいた。最初にディンたちが入った食堂にも、仕事もせず昼から酒を飲んでいる男たちがたむろしていた。
「なんだかおれ怖くなってきたよ。じゃあ、これからおれ達襲われてお金取られて殺されちゃうの?嫌だなぁ。痛そうだなぁ。ようやく婆ちゃんに新しい毛布買ってあげられると思ってたのに」
チャムチャムが不意に足を止め、ディンに向き合った。
「いい。ディン。あいつらが襲ってきたら、殴っちゃダメ。絶対に殴らない。約束して」
「ええ、だったらどうすればいいのさ。逃げればいいの?」
チャムチャムは首を左右に振ると、右手の指をディンの額の前に翳した。
「こうするの」
チャムチャムの指が弾け、爪の先がディンの額を叩いた。
「痛っ。なにすんの?」
ずきずき痛む額をさすってみると、大きな瘤ができていた。
「デコピン。あいつらの額に、デコピンしてやって」
「デコピンなんかしたら、余計に怒らせるだけじゃないの?」
「大丈夫。わたしを信じて」
どう考えても危ない状況なのに、チャムチャムはディンを見てくすくすと笑っている。
「来たわよ」
チャムチャムの表情が強張った。確かに背後から迫る気配が強くなっている。
「こんなところで何してんだよ、お前ら」
林立する曙杉の影から、薄ら笑いを浮かべた赤毛の男が姿を見せた。村の食堂で見かけた中のひとりだ。
「いちゃこきデートの真っ最中だってか?いいねぇガキが調子に乗っちゃって」
「失礼ですがどなたでしょう。私たちは家に帰る途中です。何か御用ですか?」
チャムチャムが男に向き直る。背の高い赤毛の男で、肩に大きな木刀を担いでいる。
「俺たちはなんつぅか、まぁ早い話が金に困ってる気の毒な若者たちだ。そんで悪いんだけどさ、金を恵んでもらいたいんだよお嬢ちゃん」
チャムチャムを庇おうとディンは男とチャムチャムの間に割って入ると、男の薄ら笑いが大きくなった。
「いい子だねぇぼくちゃん。そうだよなぁ、女の子は守ってやらなきゃなぁ」
男がディンに顔を近づける。吐く息が酒臭かった。
「いいからさっさと金だせやガキども」
「あなた、なんでわたしたちがお金持ってるって知ってるんですか?」
「そりゃあ見たからさ。お前が村長から金を貰ってるところをよ」
「おかしいですね。私たちは教会の中でお金を貰いました。あなた方が知ってるはずはありません」
男の眼が鋭くなる。男の背後の木陰から、それぞれ武器を手にした男たちが姿を見せた。
「言っていいことと悪いことってあるよなぁ嬢ちゃん。今お前が言った言葉は悪い方だ」
「つまり、ゲバイの命令でお金を奪いに来たということですね?」
「ゲバイさんを呼び捨てにするんじゃねぇよガキ。殺すぞ」
「わたしたち二人を相手に、これだけの人数で来たってことは、最初から殺す気なんでしょう?」
赤毛の男の背後で、男たちが声を上げて笑った。赤毛を入れると男たちは全部で十三人だ。
「穴掘って埋めるのって結構しんどいからよ。みんなで手分けしてやろうってことになったんだよ」
「殺して埋める。それもゲバイの指示?」
「そうだよ。あの人の言う通りにしていれば間違いはねぇ。金は入るし酒は飲み放題だし、こんな余興も用意して楽しませてくれるからよ」
「余興?自分たちより力の弱い者を襲うのが余興なの?」
「ガキは楽に死なせてやるよ。でも嬢ちゃんはダメだ。楽しませてもらうぜ」
赤毛がチャムチャムの全身を睨め回しながら下卑た笑い声を上げる。
「そう。よかったわ。あんたらが救いようのないクズだってことが判って」
逃げ道を探そうとディンは周囲に目を向けたが、すでに後側にも回り込まれていた。
「こんなド田舎にいるんだ。こんな時くらい楽しまなくちゃな」
「そうかよ。じゃぁたっぷり楽しもうぜ」
白い歯を剥きだしにしてチャムチャムが笑った。次の瞬間、チャムチャムの小さな体が毬のように跳ねながら男の懐へ入り込んだ。