急襲
闇の中を全速力で駆け続けた。
鞭を振るい、馬の限界などお構いなしに走り続けた。馬が潰れてしまえばそれまでだが、敵の姿を見失えば、もう二度と王女を取り戻すことはできない。
クルポトド北東の山岳地帯だった。
山間の隘路で、王女を攫った山賊の一団を見つけた。王女を乗せた馬車を武装兵十数騎が囲み、城塞都市アランカムに向かってひた走っている。
「王女の馬車だ。間違いない」
馬の速度を落としながら、キリク・ゾーイは安堵の溜息を吐いた。
王女の所在さえ掴めれば、王女を奪回し、賊をひとり残らず始末することなど造作もない。
「ガイガン、先行して道を塞げ」
並走するガイガンに合図を送ると、ガイガンは背後の二騎を連れてゾーイから離れて行く。急峻な岩場を昇り、先を走る敵部隊を抜いて待ち伏せを仕掛ける。
ガイガンが敵が足を止めたところで、ゾーイが背後から挟撃を掛ける。
交渉などするつもりは無い。王女誘拐の目的が金であろうと政治的要求であろうと、王女の体であろうと構わない。奇襲して王女を奪い返し、賊を皆殺しにするだけだ。
賊の一行が険しい坂道に差し掛かった。大型の有蓋馬車は動きを止め、馬を降りた賊たちが馬車を押し上げている。襲うのなら今がチャンスだ。
敵の正面から、雄叫びを上げて騎兵が突撃を掛けた。先行し待ち伏せしていたガイガンだ。背負っていた青龍刀を引き抜き、先頭にいた賊二人の首を瞬時に刎ねてのけた。
「行くぞ」
馬具に括りつけたショートピアスを引き抜き、ゾーイは馬速を上げた。前方に気を取られている賊の群れに背後から突っ込み、手あたり次第に突き倒す。
馬車を押していた十数人の賊を皆殺しにした。支えを失った馬車は大きく傾ぎ、急峻な坂道を後退し始めた。
「馬車を倒せ。このままでは落ちる!」
敵を突き倒しながら、ゾーイは部下たちに下知を飛ばした。
坂道の左は切り立った崖で、遥か下方から水の流れる音が聞こえてくる。ここから馬車毎落ちれば、中にいる王女は助からない。
狭い道の中央で、馬車が横倒しになった。車輪が外れ、直撃を受けた二人の敵が崖の下へ叩きだされ、叫びを残して闇の底へと落ちていく。
「ガイガン、馬を斬れ」
前方から攻め立てるガイガンに指示を出した。馬車を牽いている四頭の馬は生きていて、立ち上がろうと藻掻いている。馬の動きに吊られ、馬車は崖に向かって牽きずられて行く。
立ち塞がる敵の胸元目掛けてスピアを突き出した。暗闇の中、高い金属音を伴いゾーイが繰り出したスピアが弾かれた。敵が闇雲に振り回した剣が、運よくゾーイのスピアを弾いたのだろう。
馬首を巡らせ、左手に持ったサーベルを敵の首に叩きつける。チェーンメイルを着込んでいたとしても、チェーン毎切裂くほどの速度を持った斬撃だ。
闇の中に火花が散った。剣と剣が打ち交わった音と衝撃がゾーイの左腕に伝わってきた。
「面白い」
ゾーイが漏らした声は、ガイガンが斬り伏せた馬の嘶きに搔き消された。
「いや、ちっとも面白くねぇ」
闇の中から男の声がした。無意識に発したゾーイの呟きに反応したらしい。
「王国の兵隊さんかい?それにしちゃあ、随分とやり方が雑じゃねぇか?」
王国で並ぶ者無しと評されたゾーイの剣を弾いた男だ。ただの山賊では無い。
「女子供を攫う輩の言葉など聞く耳持たぬ。黙って首を差し出せば、腕に免じて楽に死なせる」
「うひょ~おっかねぇな。だけどよ、こんな強引なやり方じゃ、箱の中のお姫様だって無傷じゃ済まねぇだろうがよ」
トントンと馬車を叩く音がする。男は倒れた馬車のすぐ脇に立っている。
「その心配は後でする。まずは貴様らから奪い返さねばな」
雲間から月が顔を覗かせた。十六夜の月が、馬車の脇に立つ男の姿を照らし出した。三十を幾つか超えた大柄な男だった。右手には両手構えのロングソードを下げている。
馬から飛び降り、ゾーイは身に着けていたマントを脱ぎ捨てた。放り投げたマントが作り出した影の中を移動し、男との距離を詰め、低い位置から男の脛に狙いをつけて斬りつける。
「おっとあぶねぇ」
半笑いしながら男が後退する。ゾーイは腰の帯革に仕込んだスローイングナイフを手に取ると、薄ら笑いを浮かべた男の顔目掛けて投げつけた。
「ふん!」
裂ぱくの気合で男が剣を振るった。刃鳴りと共に打ち下ろされた剣は一撃でナイフを弾き飛ばした。
「えげつねぇ攻撃だな。あんた、騎士じゃねぇな」
男が弾いたナイフが、倒れた馬の尻に突き刺さった。ガイガンに斬りつけられ、瀕死の状態だった馬が息を吹き返し、身を捩って暴れ出す。
「しまった!」
暴れ馬に引きずられ、馬車が崖の縁へと押し進められていく。ゾーイは横倒しになった馬車に跳び移り、剣でノブを斬り落としドアを開けた。暗いキャビンに手を伸ばすと、白く細い女の腕が伸びてきた。
「姫、掴まって下さい」
女の指先がゾーイの掌に触れた。ゾーイが手を掴もうとした瞬間、馬の嘶きと共に馬車は谷底へと落ちていった。
ゾーイは剣を崖に突き刺し、右手だけで剣にぶら下がった。馬車は崖の側面に三度衝突を繰り返し、盛大な水飛沫を上げて眼下の河に激突し四散した。
「姫・・・・・」
突き立てた剣を足場にして立ち上がり、ゾーイは眼下に流れる河を見下ろした。河の水量は多く、流れは速い。仮に無傷だったとしても、初冬の河の水に晒されれば体温が低下して助かりはしない。
第三王女救出の任務は失敗に終わった。