幸せな王妃になるまで
大国であるバザロプ王国の客室で、弱小国アローラ王国の第二王女のアンジェラは満ち足りていた。
なぜなら幼馴染が愛する人と永遠の愛を誓い合い旅立ったからだ。
ジーンと感激に胸を震わせていると自分の背後からわざとらしく「コホン」と咳払いが聞えた。
「あら、ルナ、おはよう」
「アンジェラ王女、どういうことでしょうか?」
何を言いたいのか分かっているが、ここは知らないふりをするのが得策だった。
だからアンジェラは、「なにが?」と小首を傾げる。それを見た専属侍女のルナが口を尖らせた。
「王女の側仕えである従者のジェミルと、第一王子ヴォルフ様が駆け落ちしたことです!」
「ああ、それね、めでたいわよねぇ……」
こちらの言葉を聞き、更に怒鳴り声をあげたくなるのを我慢した彼女は、やっぱり我慢出来なかったようで声を荒げた。
「何がめでたいのです! 自分が花嫁候補だったのですよ? それを……、従者、いえ、男に搔っ攫われるなど前代未聞です!」
「ルナの言いたいことも分かるけど仕方ないわよね。愛し合う二人を引き裂けないわ……」
アンジェラは、うっとり溜息を吐きながら慶びの表情を灯した。
幼馴染のジャミルとは幼い頃から一緒に過ごして来た。引っ込み思案で、好きな人が出来ても告白出来ず、いつも遠くから見つめるだけで、そんなことでは駄目だと何度も助言をしたけど、性格なんてそう簡単には治らない。
彼が思いを寄せる相手だって少なからずジャミルのことを気にしていたのだけど、当人の常に後ろ向きな性格のせいで成就することはなかった。
けれど、今回の相手は何かが違うとアンジェラも感じた。
――ちょっと、いえ、だいぶ執着が強そうだけど……。
アンジェラとジャミルが仲良く雑談や茶会していると決まって第一王子のヴォルフが割り込んで来たのだ。
最初から彼がジャミル目当てだったことに気が付いていたアンジェラとしては、二人の恋が成就して良かったと思うと同時に、執着強めの王子を見て大丈夫かとジャミルのことが心配になるが、まあ、愛する人と結ばれるなら些細なことなのかもしれない。
とにかく、二人の門出に乾杯しなくちゃね、と手短にある水の入ったグラスを手に取り、ただの水を掲げて太陽に向かって乾杯をする。
「何をされているのです……?」
「え、ああ、気にしないで?」
問題は自国に戻ってからよねぇ、とアンジェラは怒り狂う母である王妃の顔を思い浮かべる。まあ、けれど今回に限って言うなら自分は被害者なのだから、大目に見てくれるはずだ。
取りあえずは、この国の国王陛下と王妃様が話をしたいと言うので、それが終わり次第、自国へ帰ることになるけど、条件としては同盟の話に支援物資、この辺りが妥当なのでは? と思う。
細かい契約は軍事長官が来てからになるし、アンジェラが出来ることは静かに悲劇の王女を演じることだけだ。
「ルナ! 私を可哀想な王女に仕上げて!」
「……無理を言わないで下さい。どっからどう見ても、うきうきしてるじゃないですか」
「だから、あなたの腕の見せ所よ!」
「……私の技術は王女様を美しく仕上げるためにあるのですが……?」
盛大に溜息を吐くルナが、仕方なくといった感じで化粧をしてくれた。血色の悪い頬、寂し気に見える目元、カサついた唇。
完璧な不運の王女を作り上げてくれたルナに感謝を述べると、またもや彼女は溜息を吐く。
「アンジェラ様、化粧は完璧だと思うのですが、笑顔が隠しきれてません」
「あら……」
「はぁ……、とにかく悲しいことを思い浮かべて下さい」
「分かってるわ」
悲しいことね、悲しいこと、とアンジェラは昨晩食べ損ねた珍しい果物を思い浮かべた。
美味しそうな果物にかぶりつこうとした瞬間、ジャミルとヴォルフ王子が二人揃って謝罪に来て、突然の『駆け落ちする』という激白に果物が手から滑り落ちた。
もちろん、拾って食べようか、二人の話を聞くべきか、どちらを優先すべきか悩んだが、泣く泣く果物を諦めたのだ。
――食べたかった……。
「アンジェラ様……、ヨダレが……」
「あら……」
言われて零れ落ちそうな唾液を吸い込むと、ルナに残念な目で見られる。
他に悲しい出来事が思い浮かばないまま、そうこうしているうちに、国王陛下の使いの者が呼びに来た。
王族専用のティールームに案内され、流石に緊張したものの、こちらに非はないのだから、と堂々と入室する。
けれど、背後からルナの咳払いが聞え、ああ、そうそう、堂々としてはいけないわ、悲しいこと、悲しいこと、と切ない果物喪失事件を思い出し、溢れそうになる唾液と懸命に戦った。
一礼をして席に着くなり、国王陛下から深々と謝罪された。
王妃はヴォルフ王子の奇行に怒りたいのか、泣きたいのか、複雑な心境のようで、「わたくしの育て方が間違っておりました」と唇を嚙みしめている。
間違いと言うなら、うちの従者も同罪なので何とも言えないのですが、と申し訳ない気分になった。
「ところで、アンジェラ王女、うちには第二王子がおりましてな」
「存じております。初日にわざわざご挨拶に来て下さいました」
「王女さえ良ければ第二王子との婚姻は如何でしょう?」
――ん、第二王子と自分が婚姻? ん?
一瞬、固まったアンジェラだったが、この場を丸く収めるために国王陛下が提案をしているのだろう。そうでなければ六歳差の第二王子と婚姻なんて有り得ない。
アンジェラは現在十八歳、第二王子は十二歳、六歳差は流石に離れ過ぎている。確かに第二王子であるエルヴィンは、可愛らしくて自分の中でも好感度は高い。
王妃譲りのシルバーブロンドは癖毛でふわふわしており、瞳の大きさも相まって小動物感が漂う。側に置いて一日中、頭をこねくり回したい衝動に駆られてしまう程度には好きな部類だが、それと婚姻は別物だ。
だいたい、エルヴィンの方が六歳年上の女と婚姻など、いくらなんでも嫌がるに違いない。
「あの、国王陛下に王妃様、お気遣い頂きありがとうございます。ですが――」
こんな年増女との婚姻なんて第二王子が可哀想です。と言う心算だったが、バーンっと扉を開けて入って来たエルヴィンによって、その言葉が発せられることは無かった。
息を切らせて現れた第二王子は、国王陛下に向かって、深々と頭を下げると、可愛らしい唇を動かした。
「父上! 僕が責任をもってアンジェラ王女を幸せにします!」
「うむ、頼んだぞ」
二人のやり取りを他人事のような感覚で見ていたアンジェラは、王妃がほろっと流した涙でやっと我に返った。
「え、ええ? あの、国王陛下? いえ、エルヴィン王子?」
ああ、どちらに何を聞けばいいのか分からない、取りあえず泣いている王妃は反対しているのだろう。
こんな年増に可愛い王子を取られるなど許せないわ! と文句が言いたいのに感情があふれて王妃は泣いているのだ! とアンジェラは思う。
「王妃様、私は――」
「ええ、ええ、ありがとう」
――は……?
「こんな問題児……、じゃなくて世間知らずなうちの子を……」
ぐすん、ぐすんと泣く王妃は、どうやら嬉し泣きをしているようだった。しかも、聞き捨てならない言葉を聞いたような気がする。
「あ、あのですね、私は――」
アンジェラが第二王子との婚姻に関して意見を述べようとしていると、カツンと踵を鳴らしたエルヴィンが自分の目の前に跪く。
あと数年もすれば、恐ろしい美男子になるだろうと予測出来る十二歳の幼気な王子は三日月目で微笑むと、
「僕があなたを世界で一番幸せな王妃と呼ばれるようにします」
そんなことを言われて、思わず、ぽーっと見惚れてしまった。
不覚にも十二歳の子供に、こんな言葉を言われるとは思っても見なかったのだ。うっかり、うなずいてしまいそうになったアンジェラは、はたとなる。
「エルヴィン王子! お話が……、あ、二人で話しをしたいのですが……?」
アンジェラは取りあえず、国王陛下に向かってエルヴィンと二人で話しをする許可を貰えないかと訴えた。
「もちろんだ。二人で今後の将来について話し合うといい」
国王陛下に許可を頂き、二人きりになると、早速、先程の話を蒸し返して見ることにした。
「エルヴィン王子、婚姻の件なのですが、王子が責任など感じる必要はないのですよ? 最初から結婚など興味もなければ――」
ヴォルフ王子に心惹かれることもなかったし、支援物資が頂けるならそれで良かったと、うっかり本音を言いそうになり、むぐっと口を一文字に結ぶ。
くすっと笑うエルヴィンは、アンジェラの手を取りながら、小さく可愛い顔を斜に構えて口を動かした。
「アンジェラ王女、僕は初めて貴女の肖像画を見た時から、ずっと恋焦がれていました。だから兄上に早死にして頂こうと色々と試したのですが――」
――ん、今なんて言いました?
「兄上は思いの外しぶとくて、僕の企みなどお見通しでした」
「そ、そうなのね」
何だか王妃が言っていた『こんな問題児』の表現がしっくり来るわね、と納得していると、エルヴィンは「結婚は三年後になりますが構いませんか?」と畳み掛けてくる。
「本気ですか?」
「……僕の告白を聞いてなかったのですか?」
――聞いていたけど、『兄上を早死にさせようとした』の科白で吹き飛んでしまったのよ……。
それを言葉にすると、もっと恐ろしい告白をしてきそうなので、口を噤みながら、どうしよう? と考えを張り巡らせていると、小さな溜息が聞えた。
「はあ……」と残念な子を見る目でアンジェラを見る十二歳の王子は、自信たっぷりに言う。
「アンジェラ王女、三年後です。待ってて下さい。必ず世界で一番幸せな王妃にして差し上げます」
そう言って鮮やかな笑みを浮かべたエルヴィンにアンジェラはうなずいた。
三年もあれば自分のことを忘れて、彼も年相応の令嬢と恋に落ちるかも知れないと思ったからだ。
そうなれば、婚約を破棄をしてくれても構わないし、今時、婚約破棄なんて女の嗜みだものね、と近隣国で行われている婚約破棄騒動を思い浮かべる。
「言っておきますが、三年経っても僕の愛は崩れません。下手をすれば会えない時間が愛を育てる可能性があります」
「そ、そうなのね……?」
――愛って奥が深いわ……、って言うか本当に十二歳なのかしら?
「では、アンジェラ王女、三年後に迎えに行きます」
爽やかにアンジェラの頬へ口づけをすると、華麗に王子は退出した――。
それから、きっちり三年後、自分より頭ひとつ半ほど背も高くなったエルヴィン王子は、アンジェラの予想通り美男子に成長した。
この三年間、毎日のように送られて来た手紙には、愛の言葉などはひとつも書かれておらず、かわりに今日は何をしたか、明日は何をするのか、国の財政や情勢などといった政治に関する内容がびっしり書かれていた。
大国バザロプ王国は第二王子の活躍で近隣どころか、東、西、南、北と勢力 を伸ばし続けた。
エルヴィン王子は十五歳という年齢には似付かわしくないほど軍事における策略に優れており、気が付けば辺り一帯の小国を掌握し、バザロプ王国へと領有して行った。
既に近隣で残っている小国はアンジェラのいるアローラ王国だけだ。
あの日、自分に跪き誓を立てた少年は、青年へと変貌を遂げ、色気を孕んだ笑みを浮かべて同じことを言う。
「世界で一番幸せな王妃を迎えに来ました」
彼が幼かった頃は微笑ましい言葉だったが、今聞けば、脅しのような科白だ。
もう周りに小さな国はない、残っているのはアンジェラが住む国だけ、これを拒めば今度は近隣だけではなく、この王子は世界を掌握してしまう気がした。
仕方なく、アンジェラは彼の手を取ると〝世界で一番幸せな王妃〟になる覚悟をしたのだった――。
.幸せな王妃になるまで~END.




