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夢の国紀行  作者: 石木 喬
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 ポタン空港はウェックへのツアー客で賑わいをみせていた。

 欧米からのツアー客に加えて、日本からの若いグループが増え、ブハンは里美の書いたガイドブックを手にした客に懐かしさと共に親しみを覚えた。

 ウェックのホテルは春から秋にかけて遊牧体験ツアーの客で常に満室であり、旅行社を通じた数年先の予約までも入っていた。ブハンの仕事もそれとともに増え、観光シーズンにはホテルと契約して空港からの小型バスでの送迎を請け負うとともに、中古の八人乗りのステーションワゴンを購入して旅行客を放牧中のテントに案内するツアーガイドとしても忙しい毎日を送っていた。

 ブハンは自宅を増築してコテージのような内装を整え、ウェックのホテルからの紹介で何組かの日本からのツアー客を受け入れていた。

「サラーン、エイコ、お連れしたよ」

 ウェックはコテージの前庭にワゴンを止めるとクラクションを二度鳴らした。

 よちよち歩きのエイコがサラーンの前に歩み出てブハンめがけて一生懸命歩いてきた。

「いらっしゃい。お疲れさまでした」

 民族衣装を着たサラーンはエイコが転ばないように屈んで前に手を伸ばしながら、ワゴンから降りる宿泊客一人ひとりに挨拶した。

 旅行客の方は民族衣装を着てたどたどしくブハンの方に向かう愛らしいエイコに目を奪われて、ブハンがエイコを抱き上げるとその周りを取り囲んでエイコの愛らしい顔を覗き込んでいた。

「遠くからお疲れでしょう。どうぞ中へお入りください」

 流ちょうなサラーンの日本語を聞いても誰もサラーンを日本人だと疑うものはなかった。

 サラーンとエイコを紹介されると客たちは「日本語上手ですね」と言いながら、やはりエイコに気をひかれている。

 コテージは二階まで吹き抜けになっていて、一階が共用のレストランとエントランスホールの役割も果たしていた。客室は回廊のようになった二階に四部屋設けていた。ブハンはウェックのホテルの作りが気に入っていたので、小さいながらも同じようなコンセプトで設計し、コテージの周りにもぐるりとバルコニーを巡らせ、外側に山羊と羊を放し飼いにする小さな牧場も併設していた。

「いらっしゃい」

 イレイが一階の厨房から姿を見せた。

 イレイも十二歳になりすっかり大人びて美人の片鱗を見せ始めている。イレイは学校でも人気者でボーイフレンドもできたようだったが、ブハンに対する秘めた思いはサラーンと名を改めた里美とブハンの結婚からいよいよ募っているようであった。小さな時からブハンと一緒に暮らし、将来はブハンのお嫁さんになるのだと心に決めていたイレイは、ブハンと里美の結婚を経てエイコが生まれると三人の家庭との間に距離を感じるようになっていた。イレイが初めのうち里美の先生として、里美の方がむしろブハンとイレイの向こうにいたのに、里美とイレイが親しくなるにつれて二人が対等になり、そしていつしか里美とイレイの立場が逆転していた。

 ブハンと里美が本当の子供のように自分を愛し、可愛い妹のようなエイコに愛を注いでいるのを感じながらも、なぜか里美への抵抗がイレイのなかで芽生え始めていた。それはイレイ自身にもはっきりとは分からないものであったが、ブハンと里美の間に遊ぶエイコの様子を見たときなど、ときどきフッと淋しさのようなものがイレイの脳裏をよぎることがあった。

 イレイは学校から帰ると里美の手伝いをして宿泊客の夕食の用意をしたりエイコの面倒を見たりしていた。ツアー客に乗馬の仕方を教えるのはイレイの役目だった。幼いころから馬に親しんできたイレイの姿はブハンがはじめて会った頃に驚きをもってみたあの小さなころのイレイとは違っていた。民族服を着てさっと裸馬にまたがるイレイの颯爽とした姿はツアー客の尊敬のまなざしを集めていた。

 ブハンはイレイの思いを知っていた。「私ブハンのお嫁さんになるの」と何度も聞かされてきたし、そのことを里美にも話していた。ポタンではもちろん里美のほかにイレイを妻にすることもごく自然にことであった。しかし日本人としては、それは里美を裏切ることであった。

 里美はイレイの悩みが痛いほどわかった。まだそれは芽生えはじめたばかりだったかもしれないが、イレイもいつか自分と同じようにもがき苦しみ、この風土の中で答えを見いだしていくのだろうと考えざるを得なかった。この地に骨を埋めることを決めた以上、里美はあるがままにそれを受け入れるしかないのだと思った。

 エントランスホールでツアー客に囲まれたエイコが愛嬌をふりまいたのか、どっと歓声が上がった。

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