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夢の国紀行  作者: 石木 喬
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 来た道を戻り西安から日本に戻った恭介は、会社に顔を出すと契約解除も覚悟のうえで一・二年のあいだ拠点をヘロンに置きヘロンを中心に活動したいと申し出た。

 恭介と契約している会社は総合商社だった。総合商社は日本独自の事業形態でそのままの名前が海外でも通じた。総合商社を称してラーメンから航空機までというキャッチコピーが流行ったことがあったが、それは物の場合であって総合商社は物ばかりではなく金融や流通などあらゆるサービスに手を広げていた。メーカーや鉱山を持つ会社などのパートナーとして商社マンは世界中どこへでも飛んだ。南米の山脈に鉱脈を探し灼熱の砂漠に淡水化プラントやパラボラアンテナの建設など、反体制ゲリラの出没する地域にも商機さえあれば貪欲に日本の商社マンは散らばっていった。もちろんそこは危険と隣り合わせの命がけの仕事が待っていた。そんな商社マンにとってさえヘロンは未知の世界であった。恭介のヘロン滞在は役員会のテーマにもなった。しかし恭介の契約する総合商社は莫大な先行投資の上に事業を展開していた。恭介の一・二年の報酬など取るに足らない議題であった。担当役員がこれまでの恭介の貢献とあわせて他の役員に説明すると、意外にも全く抵抗なく議案は通った。

 恭介はさっそくヘロン駐在の準備を始めた。

 恭介の真の目的はヘロンではなくポタンの都市ウェックであった。

 その年の秋、クロスカントリー車の無税輸出の手続きを会社に頼み、空路ヘロンへと向かった。

 ヘロンで事務所を借り、日本からの荷物の到着を待って事務所の準備を終えると恭介はポタンへと車を走らせた。万年雪を被った高峰が恭介を待ち受けていた。その峰を縫うように愛車を駆る恭介に、雪のヴェールが迫りくると、あっという間に猛烈な吹雪の中に包まれていた。まだ本格的な冬には時間があったため、吹雪はさっと通り過ぎていったが、まもなく閉鎖される山岳の道は経験豊富な恭介にさえ恐怖心を抱かせた。

 ポタンに着くと恭介はホテルに一週間ほど滞在して、支配人や使用人を通じて長期滞在をするための情報収集をした。そのためには何としてもこの地の言葉を覚えることが優先された。もちろん日本語で書かれた学習書などはまったく無かった。似た言葉にモンゴル語があると教えられたが、そのモンゴル語でさえいくつもの方言があった。中国を拠点に活動していた恭介は標準語である北京語のほか広東語、上海語など発音や語彙が異なる言語がいくつもあることを知っていた。モンゴル語をはじめて聞いた時恭介は中国語よりも日本語に似ているような印象を持った。漢字文化の中国語は文字から何となくその意味を推測することはできたが、音ではまったく日本語と異なっていた。かえってモンゴル語の方が日本の東北地方のような語調で、どこか親しみの持てる言葉だった。ホテルに宿泊していたのではなかなか言葉が覚えられないと思い、下宿先のような家を探していた時、ホテルの支配人が見つけてくれたのが少女イレイの一家だった。

 イレイの家族はイレイの両親とイレイとは年の離れた長男の四人家族だった。それに数人の使用人がおり、ちょうど放牧から戻ってきたところだった。

 一家は郊外の牧場に百頭ほどの山羊や羊を遊ばせていた。

 イレイの家族は春から秋にかけてあてどもなく思える広大な草原に羊や山羊を追っていた。後に恭介は遊牧民たちが家畜が牧草を食べ尽くしてしまわないようにきちんとルールを決めて移動していることを知ることになるのだが、それはイレイの家族と一緒に生活するようになってしばらくしてからのことであった。

 郊外のイレイの家は木造に立て替えたばかりで、平屋にちょこんと小さな二階が突き出た構造をしていた。牧場の監視のために作られた二階を恭介は借りて住むことになった。部屋というには簡素に過ぎて、天井板も張られておらず、ベッドに横になると天井の三角屋根がそのままの形で眼に入った。どこかに外部に通ずる小さな穴が開いているらしく、雀のような小鳥が舞い込んでくることもあった。窓からは牧場の様子が良く見渡せた。部屋の端を一階から煉瓦で積んだ煙突が貫いており、下からの暖かい空気も溜まるため一階よりも暖かく、寒さを感じることはなかった。

 冬の間も家族は家畜に干し草や水をあげたり、冬季にも生まれる子羊や子山羊の世話や朝の乳搾りをしたりと忙しそうに働いていたが、まだ年端もゆかないイレイも含めて家族全員でそれらの仕事を分担していた。恭介はひとつずつ仕事を教えてもらい、冬の間にすっかり作業を覚えてしまっていた。

 イレイが教師になって恭介は少しずつウェックの言葉を覚えていった。英語が通じるのも空港かホテルのフロントだけで、あとはイレイから習った片言の現地語だけであったが、ウェックの人々は言葉の話せない外国人の恭介にあくまでも親切であった。物珍しさもあったのだろうが、街で遇っても積極的に話しかけてきて恭介に現地の言葉を教えようとした。

 恭介はポタンの言葉を何とか覚えようと音だけでアルファベットの単語帳を作り、シチュエーションごとに短い日常会話を整理していった。

 遊牧民たちがウエックの街の周りに戻ってくると、街の外にバザーができた。そこでは人々が集まり、物々交換をし、あるいは商人にチーズや毛皮などを売却して現金収入を得ることができた。子供たちが楽しめるような催し物やゲームのコーナーなどもあって多くの子供たちで賑わっていた。

 休日になると信仰厚い人々は高台にある寺院に赴き、布施をすることを生きがいとしているようだった。恭介は家族と共に寺院への参拝にも同行した。寺院の本殿には日本でも見たことのある仏像が数体祀られていて日本の密教寺院の雰囲気によく似ていた。人々は輪廻転生を信じていて、死後人間に生まれ変わることを願い、捧げものをし熱心に読経をしていた。様々なものに神が宿るというような自然崇拝も根付いていた。

 僧侶のほかに呪術によって病気治療や安全、豊作などを祈願する儀礼を行うシャーマンがいた。シャーマンは全身を布や植物などで覆い、この世のものとは思えないおどろおどろしい格好をしていた。恭介は男鹿半島に伝わるなまはげのような印象を抱いた。シャーマンは礼拝所を持たず、家々を回って儀式をしたり、地域の祭りなどに出向いて一年の収穫への感謝の祈りなどをささげた。自然と共に生活する遊牧民にとって自然を敵に回しては生きてはいけないのであるから恭介には当然のことのように思えた。

 冬の間に行う狩猟は男性の仕事だった。恭介はイレイの父マモルと長男テルマに付いて行ってトナカイやオオカミを追い、猟銃の使い方も覚えた。

 一冬が過ぎ去って春が訪れると草原に若草色の絨毯が敷かれ、自然の花々が大地を彩った。人々は遊牧の準備を始めていた。

 恭介はその年はイレイの家族と行動を共にし、遊牧の体験をしてみることに決めていた。サンプル収集の仕事はイレイの家族と草原を移動しながらもそのまま続けていた。ひとたび放牧に出ると牧草が枯れ始める秋になるまで家に戻ることはなかった。草原に群れる山羊や羊の集団の中に牡は極端に数が少なく、ほとんどが牝であった。牡は種付けのためだけに連れていて、一匹で何匹もの牝に種付けをした。その間に山羊の乳を搾り、チーズやヨーグルトを作った。

 秋が近づくと羊や山羊は一・二匹の子を産んだ。しかし生まれるばかりではない。毛皮や肉を取るためにと殺する必要もあった。肉からは保存用の腸詰めやスモークなどを作った。

 恭介ははじめのうちイレイの家族が単独で行動しているように思っていたのだが、数キロ先にいる何家族かが別の家畜を引き連れて一緒に行動していることも後に知った。時に騎馬民族のように馬を駆って互いを訪問し物々交換をすることがあった。

 放牧が終わり恭介にとって二年目の冬が訪れた。


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