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恭介はそれまで主に山岳地帯の狭隘な村落を活動の場として飛び回ってきたので、初めて解放されたような清々しい気分に満たされた。山岳地帯では晴れたと思えば雲が湧き、風が付いて激しい驟雨に視界を失い、足止めを食うことも度重なった。山岳地帯を出た恭介の車は見晴るかす大草原をひた走った。西の方角はるか彼方に高山がそびえるのが見えたが、それ以外は澄み切った青空の下にどこまでも平地が広がっていた。地平線に沿ってたなびく雲がゆっくりと動いていた。
草原の至る所に羊や山羊が草を食み、恭介たちの乗る車の音に頭をもたげて視線を巡らすことはあったが、安全を確認するとまたあくせくと草をむしり食べていた。
その時すでに恭介の気持ちはまだ名前も知らされていないポタンという国に魅入られていたと言ってよかった。
遊牧民の家族が住むらしいテントがぽつりと草原の中に立っていた。そのテントを取り囲むようにして何人かの住民が働いている様子が見て取れた。そこから猛烈な速さで馬を駆る遊牧民が恭介たちの乗る車の方に向かってきた。鍔の付いたなめし皮の帽子を被り顎紐で首に結んでいた。日に焼けた赤銅色の顔が馬に乗ったまま車と並走すると、車に乗り移らんばかりに体を乗り出して何か叫ぶような大声で開いた窓に向かって話した。家畜を脅さないでくれと言われたと通訳が恭介に伝えた。恭介は車を止めた。恭介はチャンスと思いテントの中を見せてくれないかと通訳に伝えてもらった。遊牧民の男は馬を翻すとまたものすごいスピードでテントに向かって去っていった。
「来てくれって言ってますよ」
恭介は西部劇で見た斥候に来たインデアンが仲間を迎えに戻って行く時のような光景を思い浮かべていた。
ゆっくりと車をテントの方に進めていくと、恭介たちの車を見ていた十人ほどの家族が、物珍しそうに恭介たちの方に集まってきた。平安ではあるが単調な暮らしに珍客の訪問は、彼らに恰好な休憩の口実を与えたようであった。
子供たちが恭介たちに何か一生懸命に話しかけているのだが、当然通じるはずもない。子供たちにとっては自分たちと違う言葉を話す人間をこれまで見たこともなかったのかもしれないと恭介は思った。恭介は子供たちに大きな飴玉を分けてやった。飴玉は中国の奥地でも老若男女問わず人気があった。大人たちもほっぺをふくらましながら美味しそうに舐め、初めて会った人たちとの距離を縮めるのに一役買ったものだった。恭介は他の大人たちにもひとつずつ分けてやった。大きな飴玉はしばらく会話を途切れらせるが、その間に人々の感情が和らげる効果を持っていた。
初めに馬で近づいてきたのがこの大家族の家長だった。カシンという名の家長は恭介たちをテントに招き入れた。
毛皮を張り合わせて作ったテントの中は思いの外広く、中央の天窓まで届く三本の柱とテントを支える放射線状の木枠にはシンプルな美しさがあった。天窓の真下には炉が切られていて五徳にやかんが載せられていた。入り口からテントに沿っていくつかのスペースに区切られており、それぞれ夫婦の寝室であったり子供部屋であったり台所や倉庫になっていたりしたが、一番奥には宗教的な極彩色の神棚のようなものが飾られていた。恭介は入ってすぐに饐えたような匂いに気付いたが間もなく気にならなくなった。すぐにそれには慣れた。テントの外でヤギの乳を沸かして飲ましてくれ、ヨーグルトのような食べ物や干し肉などをご馳走になった恭介は、普段の生活などについて聞いてみた。朝から晩まで同じ生活の繰り返しだった。草場を移動すると新しい草場で数週間から一か月ほど定住し、羊の伸びた毛を刈ったり、皮を取ったり、肉や乳を何種類かの製品にして保存していた。そのあいだには何十頭もの子羊や子山羊が生まれるらしかった。
食事が終わると彼らは馬の曲乗りを披露してくれた。猛烈なスピードで走る馬の背に立ち上り、カーブにも体を内側に倒して難なく乗りこなし、サーカスを見るようであった。まだ年端も行かない男の子や女の子が小型の馬に走りながらひらりと乗り、一回りしてくるとまたひらりと降りるのには驚いた。恭介はその姿に騎馬民族の血を見ていた。
恭介はテントの周りにブロックのようなものが積まれているのに気付いていたが、それがよく見ると古いレンガの壁が崩れたような跡にも見え、テントの周りばかりか遠く離れた場所には高い城壁のようなものまであることに気付いた。遊牧民たちに聞いてもはっきりとは答えられず、ともかく古い遺跡であることは間違いなかった。恭介はそれがシルクロードの時代のものかそれともアジアからヨーロッパを席巻した騎馬民族の時代のものか程度の知識しかなかったが、のんびりとした放牧の民の生活の下に悠久の歴史がひっそりと息づいていることにロマンを感じた。
彼らは放牧の期間が終わるとウェックという町の郊外にある牧場に帰るのだと言った。
恭介は草原の街ウェックを訪れてみたいと思った。




