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夢の国紀行  作者: 石木 喬
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 恭介はオアシスに建設された宿場町のような古都を拠点にして南北に分け入り希少な植物や鉱物のサンプルを収集していたとき、そこが独立した国家だとも知らずに小さな町ウェックを訪れていた。

 日本は周りを海に囲まれているために、国民に領土の意識はあるが、国境の意識は希薄だ。今でこそ往来の自由になったEUの国々であるが、ヨーロッパは何世紀にもわたる戦争により国と国との境界が変わり続けてきた地域である。国境に対する意識は日本人とは雲泥の差がある。

 恭介は返還前の香港から中国本土に何度か旅行することがあった。香港から出た列車は国境の町羅湖(ローウー)が終点となり、出入国審査を受けるとその先は深圳だった。それまでなにげなく通過していた国境であったが、恭介は国境というものをこの目で見て実感してみたいと思い、国境の町羅湖に行ってみることにした。香港側から中国を見てみたいという思いも強く、ガイドブックなどで見た香港側の国境の丘に立ってみたいと思った。九龍駅では外国人の旅行客と中国人の旅行客の切符売り場が別になっていて、いつもは外国人旅行者向けの切符売り場で買うのだが、その日は中国人向けの切符売り場で羅湖までの切符を買った。週末であったこともあり、終点の羅湖で降りると中国本土から香港に出稼ぎに来ていた人達で駅は溢れ返っていた。何となくその列に並んだ恭介は途中でその群れが中国人のための出国審査の列だと気付いた。一旦その流れに入ってしまうと容易には戻れそうもなかった。列車に乗った時から、乗客は大声を張り上げて会話をしていた。出国する中国人の流れは、喚き声に金切声、時には悲鳴まで聞こえて轟々とした滝つぼのように沸き返っていた。無理に列を出ようとすると国境警備の警察に逮捕されて厄介なことになると思った恭介は警備の係官らしき制服を着た人物に英語で話しかけて何とか外国人だと分ってもらい、その列から戻してもらった。

 羅湖の香港側の駅を出るとすぐに国境の丘への道が続いていた。丘の上からは間近に深圳の高層ビルが立ち並んでいるのが見えた。丘の上では老人が麦わらのようなもので鳥の人形を作り、お土産として売っていた。駅の近くは広大なコンテナーヤードになっていて大型トラックがひっきりなしに行き交っていた。

 恭介は旅行者としてなにげなく通っていた国境が、現実には日本にも昔あった関所のようにそう簡単には通れない場所であることを知った。国境のフェンスの向こうでは審査を終えてほっとした家族連れがのんびりとお菓子を食べながら散歩している姿があった。

 ウェックに行くまでにはいくつか国境があったはずだが、まったく国を越えている意識はなかった。騎馬民族や遊牧民にはそもそも国境がなかったのではないか。また、山峡の地に数千年も前から住み続けている民に果たして国家の意識があるのかも不明であった。

 オアシスの街からウェックまでは赤茶けた荒れ野がどこまでも続き、恐ろしいほどの深い谷が続く猫の額ほどの狭い耕地に数十人が暮らす集落をいくつも通り過ぎたが、不毛に見える割に住んでいる人々の表情は明るく幸せそうに見えた。

 夜になると満天にきらめく星明りの下で峡谷は青ざめた顔のように見えた。狼の遠吠えが谷間にこだまし、その姿を見たことは一度もなかったが、恭介は絵本などで見たことのある谷間の頂に立ち月に向かって吠える精悍な姿を想像した。星々が雲に隠れるとまさしくそこは漆黒の闇であった。ハンドルをほんの少し切り間違えるだけで千尋の谷に滑落する恐れがあり、車の明かりだけはとても前に進むことはできなかった。

 人々は一様に褐色の肌をしていたが日本人によく似ているにもかかわらず、よく分からない言葉で話すのは中国を出てから変わらなかった。ただ、シルクロードの街で恭介が気付いたのは住民の眼の色の多彩なことだった。日本人のように黒や茶色の眼をした人が圧倒的に多かったが、その中に混じって緑やブルーの欧米人のような目をした人がいた。

 日本にも古道というのがあるが大抵は数百年の歴史であったが、シルクロードは紀元前からの地球上でも最古の道と言えた。その道を行き交う隊商によってもたらされたものは東西の文物ばかりではなく、人種の交雑による不思議な魅力を持った人たちであった。

 峡谷地帯を抜けると風景は唐突になだらかな草原地帯に変わった。


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