次の約束
「何か出そう♡」
真っ暗で不気味な廃工場の敷地内だというのに嬉しそうな声を出すのは明だ。
「危ないから…。」
「何が?」
「窓ガラスとか割れてて、破片が落ちてたりする。」
「そんなんじゃ、危険というほどの怪我はしないよ。」
はしゃぐ明をどうにかして宥めて早く連れて帰りたいとばかり業平は考える。
「ほら…、見て…。」
月明かりが工場を照らし、割れた窓の向こう側に白く光る人影が浮かび上がる。
「…!?」
業平が身構える。
「大丈夫だよ。」
明は悠一に友達探しを依頼した遥からの情報である程度、知っている。
遥も鬼の被害者になったという優花も、夜の廃工場に訪れてる。
昼間しか知らない業平では光る人影に出会う事はない。
「カビだよ…。」
明が小さな懐中電灯を出して廃工場の中を照らす。
廃工場に繁殖したと思われるカビがブラックライトに照らされて鈍い光りを放ってる。
これが光る人影の正体。
「鬼はこのカビを踏んでる。」
足元を照らせば、昼間に居た刑事や鑑識の足跡が無数に光り浮かんで来る。
「カビか…。」
「鬼の情報をあげる。鬼は女性…、医学の知識があって…、川沿いの道を上流に向かって逃げたわ。」
現場を見ただけで明は業平達が掴めない情報を掴む。
「医学の知識?」
「下腹部の切断は医療用のメス…、被害者が女性ばかりなのは子宮を狙って切り刻んだから…。」
独り言のように明が呟く。
トランス状態だ。
廃工場に潜む何かから情報を引き出している。
「そこまでだ。もう十分だ。」
明の耳を塞ぐように業平が明の頭を両手で挟む。
「帰ろう…。」
これ以上は、明の生命力に負担がかかる。
妖は明の生気を糧にしようとする。
それらの妖から明を守るのが業平の役目。
明の額へ唇を当て、ある種の呪文を唱えて結界を張る。
結界術だけは悠一と並ぶくらい業平は優秀だ。
「うん…、帰ろう。お婆さまが心配するね。」
現実へ引き戻された明が笑いかける。
「明姫様がお前の心配?」
「可愛い孫が狼に襲われたら心配するでしょ。」
赤ずきんかよ…。
襲われるとか思うなら、こんな廃工場に来たがるな。
業平は明に言いたくても言えない文句を飲み込む。
「学校が始まるから、もうお花見は出来ないね。」
車に乗り込む明が寂しげに言う。
月明かりに照らされた川沿いの道、風が吹くたびに桜吹雪がキラキラと舞う。
「この件が終われば少し休暇が取れる。山頂まで上がれば、まだ十分、桜は見れる。」
山に囲まれた古都…。
山頂へ登るスカイラインの桜並木はまだまだ見頃だ。
明が桜を見たいというなら、次の休日は連れてってやると業平が言う。
「山頂に行くなら、お弁当…、要るかな?」
「明が作るのか?」
明が作る料理は全部味がしない。
薄味の古都…。
業平は濃い味の首都育ち…。
「わかった。業平の分は作りません。」
明姫の料理は食べるくせに、明の料理は食べたくないと言う業平にムカつく。
「作れよ…、食うから。」
「絶対に嫌っ!」
結局、安倍の屋敷に帰るまで明の機嫌が治る事などなく、振り出しに戻ったと業平がため息を吐いた。