花嫁
「もう少しか…。」
長い髪の男が明の顎を長い爪で持ち上げる。
ニヤリと笑う口元には牙が見える。
(ここは?)
ぼんやりとした景色しか見えない。
明の無意識が造り出した、現世と鬼の世の狭間というべき空間だ。
(私は…?)
自分が何者だったかすら明の意識から遠ざかっていく。
赤毛になり、赤い爪と牙を持つ少女を鬼王が舌なめずりをして吟味する。
「早く堕ちて我が妻となるがいい…。」
鬼王の金色の瞳がキラリと輝く。
明には、まだ鬼と呼ぶ為の角がない。
鬼王は花嫁を迎える瞬間を今か今かと待ち侘びる。
長い爪で明の耳を撫で首筋へと這わせる。
強く明の身体を引き寄せると首筋を這う爪が明の胸元まで降りて来る。
「まだ男を知らぬ身体…、その白き清らかな身体を毎夜俺が貪り喰らってやると約束しよう。我が花嫁よ…。」
明の胸を鷲掴みにして、スカートを捲る鬼の脚が明の脚の間へ割って入る。
恐怖は無い。
そこにあるのは快楽という名の欲望だけだ。
鬼に堕ちた時、明は酒呑が与える快感に毎夜溺れる花嫁となるのだろう。
それは永遠に続く快楽で酒呑に永遠の力を与え続ける存在になる事を意味する。
明の身体を貪り続ける限り、酒呑は不死身となり、強大な力を得る事となる。
その鬼王の力は天界をも狂わし、全ての世界は混沌へと誘われる。
鬼王の魅力に惹き込まれる。
全身が疼き、熱くて堪らない。
鬼王の触れるところ全てが心地好く、鬼王に全てを委ねたいという欲望に駆られるほどだ。
「はぁ…。」
熱い吐息を明が漏らす。
(もっと…。)
淫らな欲を望んでしまう。
鬼の首へ腕を回す。
(もっと…。)
鬼の唇へと自分の唇を近付ける。
鬼王と口付けを交わす前に明を呼ぶ声がする。
『愛してるよ、明…。お前が居ない世界なんかで生きる意味など無いほど愛してるんだ。』
それは明の頭の中で鳴り響く。
「あ…、ああっ!?」
上手く言葉が出て来ない。
鬼は嫌そうに明を見る。
『帰って来い。俺の明…、俺の陰陽師…。』
明の瞳から一筋の涙が零れ落ちる。
「なり…。」
自分が何者か…。
頭の中ではっきりとする。
パンッと弾けて明から、赤い悪気が消える。
「酒呑…、ごめんね。貴方の事は好きよ。でも私は愛されたいの…。業平を愛して愛される人で居たいの。」
鬼に愛は無い。
明の望みは恋をして、愛し愛される人生を送る事。
「また会いましょう。私の鬼王…。」
酒呑の頬に軽く口付けをした明が笑顔を見せると酒呑の腕の中から消え失せる。
「やはり陰陽師は陰陽師か…。」
クックッと酒呑がご機嫌に笑う。
自分を取り戻した明が目を開けると、今にも泣きそうな顔で明を見てる業平が居る。
「明…。」
「ただいま…。」
「おかえり…。」
業平が明へキスをしようと顔を近付けた瞬間、業平の口を明が手の平で押さえる。
「あひら?」
「一刻も早く、新君を祓うわよ。」
陰陽師として明の命令に従えと業平に言う。
「仰せのままに…。」
明の前へ膝を付き、頭を下げる業平。
明ははっきりと『祓う』と言った。
それは少女の言葉でなく、希代最強の陰陽師の言葉として業平は従う。
「ねぇ、業平…。」
チラリと業平を見る。
「なんだ?」
いつもの業平だ。
『愛してる。』
狭間で聞いたはずのその言葉は、明の願望が聞かせた幻聴だったのか?
「あのね…。」
この現世ではっきりと聞きたい言葉。
「今は玄武様が抑えてくれてる。急ぐぞ、明…。」
「でもね、業平…。」
「何か問題でもあるのか?」
仕事人間の業平に完全に戻ってる。
「もう…、いいっ!」
業平から顔をフンと背けて頬を膨らす明がスタスタとグランドへ向かって歩き出す。
「明…。」
明が何故、怒ってるのか鈍い業平にわかるはずもない。
「明ぁ…。」
「さっさとついて来なさい。」
「はい…。」
今度は違う意味で怒り狂う明を護る事になる業平が、明にはバレないように小さなため息を吐いた。




