成金お嬢様、従者を労う(前半)
「ということで、ジル。何か望みはないかしら」
「どういうことでしょう、お嬢様」
ルーヴルナはまたも唐突なことを言い始めた。というのも、再三の悪夢によって否が応でもジルへの淡い恋心を自覚させられたからだ。
悪夢によって、人生何が起こるかわからないというのも知っている。生きているうちに、大切な人を大切にしたいと思った。
「だって、その…喜ぶ顔が見たくて」
「…?」
ジルはそんなルーヴルナの気持ちは当然知らない。けれど、頬をほんのり染めてチラリとこちらを窺う姿はとても可愛らしい。戸惑いつつも、悪い気はしないというものだ。
主人が望むのであれば、自らの望みを打ち明けるべきだろう。なんだかとても、気分もいいし。
ジルは、望みを口にする。
「であれば、お嬢様が健やかに毎日を過ごしてくださること。それが私の望みです」
「あら…」
それは、遠慮とか世辞ではない。心からの言葉だった。孤児であるジル。自分を拾ってくれたルーヴルナの両親に対して当然のように感謝しているし、わがままだが可愛らしい…しかも最近では人々のために動いている心も清らかな(本当はルーヴルナ自身の為に動いているだけなのだが、ジルが知るはずもない)ルーヴルナのことは大切に思っている。
衣食住が保証され、給金も破格。家族も友人もいないジルは、それ以上を求める必要がなかった。だから望みを口にするのならそれは、当然唯一大切に思う存在の幸せだ。
ルーヴルナも、ジルが本気でそう言っていることも…その理由も、なんとなく分かっている。
「ふふ、そうですの。では、すこぶる健康ですけれど…さらに健康に気を遣いますわ」
「ええ、そうしてください」
「でも、それはそれとしてジルのために何かしたいですわ」
ルーヴルナのその言葉に、ジルは勘違いを深める。最近心がより美しくなった主人は、従者を労うことも覚えたのだと。…実際には、淡い恋心故なのだが。まあ、知らぬが仏である。
「であれば…一つお願いをしてもいいでしょうか」
「なにかしら?」
「お嬢様の…その、手作りのお菓子を食べてみたいです」
ジルのその言葉に、ルーヴルナは目を輝かせた。なんだかとてもカップルっぽいと。
「で、でしたら、ええ!任せなさい!」
「ふふ。ありがとうございます、お嬢様」
上機嫌なルーヴルナに、ジルは成長を感じて心から喜ぶ。まあ、全部勘違いなのだが。
「ということでモーント、手作りのお菓子を作りたいんですの!手伝ってくださいませ!」
「いいですぜ、お嬢様。俺はちょっとした菓子なら作れますしね」
「クッキーとかどうかしら?」
「大変よろしいかと。じゃ、早速始めますか!」
自分がお菓子を作っている間は休み時間にでもしろと、ジルを休ませているルーヴルナ。代わりに護衛のモーントに手伝いをお願いする。
ジルはジルで、お嬢様がお菓子作りで失敗したりちょっとした怪我などをしないか、などと休んでいるふりをして心臓をバクバク鳴らしているのだが、残念ながらそんなことは誰も知らない。
「で、これをこうして…」
「おお…!こ、こんな感じかしら」
「お上手ですよ、お嬢様!では、あとは型抜きで…」
「ほ、星もいいですけれど、ハート型とかも…作っちゃったりして…」
「いいですね!ジルも喜びますよ!」
ジルの心配を他所に、モーントのおかげで上手いことクッキーの生地は作れた。あとは焼くだけになり、ルーヴルナはホッと息を吐く。
「ありがとう、モーント。おかげであとは焼くだけですわ」
「ええ!サクッと焼いて、ジルに食わせてやりましょう!」
「ええ、その後貴方にもお礼をしますわ」
「えっ」
「手伝ってくれたんですもの。当然ですわ」
モーントはルーヴルナの言葉に、胸が熱くなる。獣人である自分を、普通に扱ってくれるルーヴルナ。ルーヴルナの両親によって衣食住も保証され、ジルにも負けないくらいお給金も貰っている。なのに、さらにルーヴルナ自身にも労って貰える。ルーヴルナは、最高の主人だ。
焼きの工程に入って、ルーヴルナはオーブンと睨めっこしながらモーントに聞く。
「お礼はなにがいいかしら」
「ジルじゃないですけど、お嬢様が元気でいてくれるのが一番ですね。健康的に長生きしてください」
「ふふ。ええ、わかりましたわ。怪我や病気は避けるようにしますわ!他には?」
「…そうだなぁ。じゃあ、お嬢様とジルと俺でお揃いの何かが欲しいです」
「あら、いいですわね!クッキーが焼けたら、早速そちらも用意しましょう?」
まさか了承してもらえるとは。主人と従者がお揃いの物を持つなんて、夢のような話だ。物は試しと思い、おねだりしてみただけなのに。
モーントは、つくづく思う。このお人好しを、守らねばならないと。
「焼きあがりましたわ!さあ、盛り付けてジルに持っていかないと!あ、せっかくですから紅茶もわたくしが入れて差し上げようかしら?」
「いいですね!淹れ方は俺が教えますよ」
「本当にありがとう!モーントもジルには敵いませんけれど、頼りになりますわね!」
「一言余計ですよー!じゃあクッキー乗せた皿は俺が運びますね」
「ええ、お願い」
こうしてルーヴルナは見事、初めてにしては上出来なクッキーをジルに食べさせた。同じく初めてにしては上出来な紅茶と共に。
ジルは主人の成長を感じて心がじんわりと温かくなる。それが少し表情に出て、嬉しそうな様子がルーヴルナにも伝わった。
そしてルーヴルナも喜び、それを見ていたモーントも穏やかな時間に癒しを感じて、静かな幸せがそこにあった。