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言祝ぎの巫  作者: 東雲靑
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夢(2)

「ちょ……綉、放して。大丈夫だから」


「……」


 ぎゅっと更に強く抱き寄せられて慌てる。


「苦しい、息止まるっ」


「……息、してるな? 生きてるよな?」


 本当に息が止まりそうで、慌てて頷き返すと、ようやく腕が緩められた。少しできた隙間にほっとする。


「お前、こういうことよくあるの?」


「こういうことって……私、どうなってたの?」


 首元で話されるのがくすぐったくて身を捩る。また隙間なく体を寄せられて変に緊張した。


「カウンターの中で倒れてた。顔真っ白で……息もしてるかわからないくらい微かで……めちゃくちゃ焦った」


 わずかに震えた声に、本気で心配をかけてしまったのだと胸がちくりと痛んだ。


「たぶん、初めてだと思う……でも、なんか変な夢見た」


「夢……?」


 綉の体が強張ったように感じた。


「うん……夢、なのかなあ」


「どんな?」


 夢の話をしようとすると途端に曖昧になって、うまく言葉にできなくなることがよくあるが、鮮明に覚えている。その場に実際に行ってきたように覚えている。あの日以降悩まされている夢もそうだ。時間が経ってもその感覚は変わらない。


「ただただ真っ白なだけで……何もなかった。どこまでも白いっていうか……そういう距離感みたいなのもわからなかった、かな。突然たくさんの文章を頭の中に直接打ち込まれたような感じがして、頭の中でぐるぐると文章とか文字が渦のようで……文句言ったらなにか聞こえたような気がしたけど……あれは綉の声だったのかしら」


「文章って?」


「……言祝ぎがどうとか……最近その話題多かったからかな」


 佳ははっきり覚えていないふりをした。なんとなく、言葉にしてはいけないような気がした。


「文句って?」


「えっと……なんだっけ」


 綉の腕に、体に、佳の緊張が伝わった。覚えていないふりだというのは明らかだったが追求を諦める。その代わりにそおっと頭を撫で、後ろで1つに纏められた髪へおろし、腰近くまである毛の先まで指で梳いていく。何度も繰り返すうちに、佳の身体から緊張が抜けていくのがわかった。


「っていうか、綉。もう、放して。大丈夫だから」


「……今日は店休みにしろよ」


「えっ……あ、はい」


 なんでと続けようとした佳の言葉は、綉のひと睨みで変えさせられた。


「どこか痛いとか、目眩するとか、吐き気とか……しびれるとか……」


「ないない、全然平気。いつも通り」


 まだまだ続けられそうな雰囲気に、佳は勢いをつけて立ち上が、れなかった。綉の腕が絡んだまま立ち上がることを許してくれない。


「本当に? どこも痛くない? 具合悪くない?」


 佳に対して過保護になることもあったが、こんなに心配症だったろうかと不思議に感じた。しかし、それほどまでに心配をさせてしまったのだと申し訳なく思った。そっと腕を伸ばし背中をぽんぽんと軽く叩いて「大丈夫」と頷いた。


「食欲は? 最近ちゃんと食ってる? 今日は何食った?」


「それなりに。今日は、まだ。さっきコーヒーを飲もうとしてたところ」


「……飯食いに行くぞ」


 脇の下に手を入れられ、強制的に立たされる。佳は小柄な方だし、綉は特別体格が大きいわけでは無いがずっと週一のジム通いを欠かしていないことを知っている。力で敵うわけもないので、佳はされるに任せた。


「このまま店出られる?」


「まあ、大丈夫、かな。ちょっと待って」


 綉が言い切り形のときは逆らっても無駄だ。シンクや調理台にはやり残しもやり掛けもない。準備してたいくつかの道具を片付けてから火の元を確認し、釣り銭を鞄にしまい、もう一度指差しながら確認して回る。ふっと小さな笑い声に振り返った。


「……なに?」


「いや、なんでも……かわいいね、指差し確認」


 その指摘にパッと頬と耳が熱くなった。


「火事と漏水が怖いのよ」


「大家としてはそんな風に十分に確認してもらえると安心です。その指差しながら確認している姿が可愛いねってこと」


 予想外の柔らかい声と眼差しに、狼狽える。首元や背中がさわさわして落ち着かない。


「先に出て。灯り消すから」


 綉が店の外に出てから全ての灯りを消した。もう一度店内を見渡す。ようやく戸を閉めて鍵をかけた。外はすっかり夕方だ。西の空が茜色に染まっている。


「これ、だいぶ熟れてきたな」


「そうね。あのときはだいぶ迷ったけど、こっちにしてよかったわ」


 綉が満足げに頷く。入り口は店の顔だ。散々悩んでいたときに、この引き戸を提案してくれたのが綉だった。知り合いの建具屋で見つけたという、すりガラスがはめられた格子の引き戸は、時間とともに味わいが出てきた。


「何食う? っていうか、何なら食える?」


「本当に具合悪くないわよ」


 疑わしい視線を寄越される。実際、もう体に不調は全く無かった。


「焼肉だって平気だけど」


「……お前と焼肉行ったって楽しくない」


 そう言われる理由は佳もよくわかっているから「まあ、そうよね」と返す。もともと食の細い佳と二人で焼肉に行っても、ほとんど綉が食べる羽目になるのは学生時代に実証済みだ。綉は佳と二人で焼肉はもう行かないと宣言していた。


「じゃあ、久しぶりに縁にでも行こうか」


「あ、いいね。千紗子さんにも会いたいわ」


 笑顔を向けると、やっと安心したような表情を見せた綉に、佳はこっそりごめんねとつぶやいた。


 佳は綉と二人で歩くのが好きだ。いつだって心地よい空気に包まれる。同じ景色を見て、風を浴び、匂いを感じ、音に耳を傾ける。いつでも、どこにでもあるような日常の光景が途端に煌めく。


「白鷺公園を抜けるか」


「……そうね」


 宵闇がもう一段濃くなり、烏瓜の甘い香りを柔らかな風が運んでくる。もう夏はすぐそばにいる。


「夏の始まりだな」


 ほのかな甘い香りに気が付き、綉が足を止めた。


「夜鷹も鳴いてるわ」


「俺、これくらいの時期いちばん好き」


「夏が近づくたびに言ってるわね」


 ふふっと佳から笑いが漏れる。


「シカモアの夏、楽しかったね」


 懐かしそうな色を瞳に浮かべた佳を見つめる綉の瞳はただただ優しい。学生の頃から、いやそのずっと前から綉は佳だけを見てきたのに、いつまでも自分のものになってくれないこの女を恨めしく思うこともあるが、最近はこれからもこんな風にともに過ごすことができるならいいかなとも思うようになっていた。


彼女の結婚しない意思が固いのはよく知っている。でも、今日倒れている佳を見た時、感じたのは恐怖だった。


自分や佳の意思や願望にかかわらず強制的に失う可能性を突きつけられた。その可能性という鎖で心臓を縛り上げられた。今もまだギリギリと音を立てながら締め付けられている。未来とはなんと不確かなものだろう。だからこそ、少しでも共にありたいと思う。


「ビアガーデン、もうやってるだろうな。近いうちに行こう。ハイドアウトにも寄りたいな」


「そうね、宝生さんに会いたいわ」


「今や世界の宝生だもんな……予約取れるかな?」


 綉は学生の頃からたくさんの予定を佳と約束してきた。放課後ちょっと付き合ってという小さなものから、キャンプやバーベキュー、花火などの季節の行事・行楽、三ヶ月の短期留学にも。


少しでも、他愛のないことでも、なんでもかんでも約束した。そうしないと、佳が消えていなくなってしまいそうな不安がずっと付き纏っている。彼女の生い立ちは少し複雑だ。


たぶんそのせいで未来に期待しない、生きることに執着しない性質を形作ってしまっている。あの日佳は『この世界で生きることをなんで強制されなければならないの』と泣いた。


「この前雑誌に載っていたわ。だいぶマニアックなインフュージョンやってるみたい」


「……お前には言われたくないだろうけどね、宝生さんも」


 むうっと眉を寄せて睨む佳が、綉はただただ愛おしい。生きてほしい。願わくばずっと自分のそばで。


 再び歩き始めた頃にはすっかり夜の帳が下りていた。川辺にいるのだろう、キョキョキョキョ……と遠くで夜鷹がまだ泣いている。甘やかな風が通り過ぎていった。

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