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言祝ぎの巫  作者: 東雲靑
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噂(2)

「いらっしゃいませ。松井さん、こんばんは」


「……こんばんは」


 俯き加減で入ってきた女は佳が促した席へ着いた。カウンターに二つずつ席を開けて松井、森園、綉と並ぶ。


「松井さん、久しぶりですね! お変わりありませんでしたか?」


 にこにこしながら森園が松井へ声をかけた。松井は小さく肩を震わせたが「あ、はい……」と返していた。佳は様子を伺いつつも、森園を止めることはしなかった。


 松井は半年ほど前にふらっと一人で来店し、それ以降月に二、三度のペースでリピートしてくれている。二十代半ばから後半だろうか、酒類を提供するのに差し支えないことは明らかなので佳がそれを確認したことはない。最初の頃は注文以外で口を開くことはなく緊張している様子で、かなりの人見知りに思われたがいつも一人で来店する。少しずつ慣れてきたのか、最近は森園などの顔を見知った者とは話しかけられれば答えるほどになっていた。


「今日はどうしましょう?」


「……」


 おしぼりを手渡しながら注文を尋ねた佳に、松井は考え込む様子を見せる。彼女が注文を決めるのに時間がかかるのはいつものことだった。


「あのっ」


 意を決したような表情に、佳は笑顔で頷く。


「あの……花咲さんが一番好きなお酒をいただいてみたいです」


「……私が一番好きなお酒、ですか」


 松井の注文に少し戸惑ったが、そのような注文をする人も少なくはない。


「なんでも好きですが……どんな感じがいいでしょう……そのままでだったり、冷やしたり、割ったり……」


「えっと……」


 佳が普段好んで飲む酒だと松井には強すぎるだろうと思い、飲み方を聞いてみたが余計に迷わせてしまったらしい。


「あの……普段、花咲さんが好んで飲むものを、その通りに頂いてみたいです」


「……かしこまりました。ちょっと強いかもしれないので……もし飲みにくいときは遠慮なく言ってくださいね。あとから飲み方を変えることもできますから」


 松井が頷いたのを確認して、佳が底の丸いグラスと、小さなグラスを用意した。丸いグラスに酒を注ぎ、小さなグラスには水を入れてスポイトを挿した。


「お前の変態さを伝授する気かよ」


 様子を眺めていた綉に笑われる。横目に睨みながら両方のグラスを松井のもとへ運んだ。


「アルコール度数がいつも召し上がっているお酒よりだいぶ高いので、慣れないうちは舐めるようにゆっくり召し上がってください。時間が経つと香りや味わいが変化してきます。あと、少しずつお水を足していくと、ふわっと広がるタイミングがあるのでそこを探してみるのも楽しいですよ」


 佳の説明に頷きつつ、恐る恐るグラスに手を伸ばす松井を見ながら森園が言った。


「佳ちゃん、僕にも同じのもらえるかな。そんな飲み方したことない、やってみたい」


「ああ、変態が増えていく……」


 楽しいものを見つけたという感じで嬉しそうに注文する森園に綉が呆れたような声を上げた。


「そんなこと言って……綉だって同じようなことよくしてるじゃない」


「まあ、そうだけど」


 森園の分を用意しながら文句を言っていると、松井がなにか言いたそうにしていることに気がつく。やはり飲み方を変えるのだろうかと思い目を向けると慌てて俯いてしまった。森園の注文を運び、そっと声をかける。


「ソーダ割りも美味しいですよ。試されてみますか?」


「いえっ、あの……このままで、大丈夫です。けど、あの……」


 酒のことではないらしい。松井の言葉を待った。


「あの……花咲さんは『言祝ぎ』って知ってますか?」


 今日はどうしてもこの話題になるようだ。


「報道されている内容程度には……でも、言祝ぎがそもそもどういうものなのかは……」


「なあに、松井さんも言祝ぎ気になってるの?」


 森園が割り込んできた。


「はい、あのっ、言祝ぎって言葉の祝福っていうか……言葉で未来を創ることができる人なのかなって思って。それってすごいことだと、ですね……」


「だよねー! 僕もそう思う。最近の現れた失踪者の言葉もすっごく気になってさ」


 珍しく松井が会話に乗り気な様子を見せるが、佳はこの話題にあまり触れたくないと、なんとなく思った。それにしても『現れた失踪者』とは……確かにその通りなのだが、なんだか落ち着かない言い表し方だなとこっそりケチをつける。


「それで、ですね。以前、花咲さんとお話していたときに感じたんですけど。花咲さんってとてもポジティブな言葉を使うなと……私少し落ち込んでいたことがあったんですけど、花咲さんが大丈夫って言ってくれてから、本当に大丈夫になって。花咲さんみたいな人が言祝ぎなんじゃないかって」


 松井がそういった瞬間、なにか空気がチリっと震えたような気がした。


「そっかあ、佳ちゃんが言祝ぎかあ。あれ、でもさっき佳ちゃんはネガティブで後ろ向きってな話をしてたばっかりだな」


「そうですよ、佳は後ろ向きでネガティブで、前向きじゃなくてポジティブじゃないんです。それに客商売ですからね、基本的にネガテイブな発言は控えるでしょう」


 佳が口を挟む間もなく綉が言い切る。普段の綉にはあまり見られない話し方だった。


「……でもっ。花咲さんはいつも優しくて。こんないくつも年上の私に思われても嬉しくないと思うけど……その、初めてお会いしたときから素敵だなってずっと憧れてて……まだこんなに若いのにお店出して、切り盛りして……美人さんなのに気取ってなくて、でも凛としていて、やっぱり憧れちゃうんです」


 松井がこんなに話すことにも、その内容にも三人ともたじろいだ。最初にそこからを抜け出したのは綉だった。


「佳。美人さんで、凛として、優しくて、憧れちゃうって」


 森園が頷いたが、佳はまだうまく反応できずにいた。


「ま、たしかに無駄に美人だな。でも、仕事はさすがだよね。真面目に一生懸命、手を抜かずに継続するって、難しいよね。最終的に一番強い武器とか才能って努力を続けられるってことなんだろうな」


「ち、ちょっと、綉……酔ってるの?」


「あら。照れちゃって。かわいいね、佳」


 頬が熱くなるのを感じて、思わず手で顔を隠した。


「照れ顔の佳ちゃんなんて、珍しいもの見た」


「森園さんまで……やめてください、ほんとに」


「相変わらずだねえ、褒められ弱いの」


 耐えきれずカウンターの中でしゃがみ込んだ佳の頭の上に綉の声が降り注いだ。


「ね、佳。俺と結婚しない?」


 一瞬でまとわりついていた熱が引く。


「なんであなたがそんな事言うの」


 佳自身が驚くほどの冷たい声だった。


「俺はけっこう本気で考えてるんだけどね、この三年位」


 立ち上がった佳と綉の視線がぶつかる。またふざけて茶化して、バカにして、にやにやと面白そうに笑っているのだろうと思ったその男の表情は、そこそこ長い付き合いの中でも見たことがないものだった。


 静かな落ち着いた瞳に囚われて、胸の奥のほうがざわざわした。


「……そういう冗談は苦手よ」


「そのへんも相変わらずだねえ」


 二人のやり取りに森園も松井もぽかんとしている。思いの外綉の声が通ったようで、テーブルにいる常連客二人もこちらの様子を窺っていた。


「実は佳ちゃんと眞崎くんって……?」


「なにもないですよ」


 森園の興味津々な声を佳が遮った。綉は「やっぱりだめか」と諦めをこぼす。森園と松井は興味の色を乗せた視線を送ってきたが、佳はそれには気が付かないふりでやり過ごすことにした。


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