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第9話 学校が始まって初めての週末…はブルー。

 夜は辛い。


 静けさの中で、否が応でも思考の整理がなされる。自分の恥ずかしかった行い、辛かったこと、そういった嫌な思い出の断片が頭の中で次々と浮かび上がって、自分を羞恥の極みに追い込んでくる。


 ベッドで大の字になって転がりながら、俺はトリクシーのことを考えていた。

 プレハブ教室の壁で泣いていたトリクシーの姿。彼女の言葉。そして、泣きはらしていたのにあそこまで輝いて見えた、鮮烈な彼女の面影。

 どれだけ辛い思いをしてドラマに出ていたか――それは俺には想像する足がかりすらない。それでも、順風満帆に事が進むような世界ではないことはその業界に疎い俺にだって察しがつく。だからと言って、あんなふうに詰められて、あげく性的な暴力までされて、彼女が傷つかないわけがない。


 俺はあの時どうすればよかったのだろうか?


 このことを誰かに、大人に相談するべきなのだろうか? ミスター・カーグはどうだろうか? あの先生なら、差別を容認したら同罪だと叱咤してくれた彼なら、何かしてくれるのではないだろうか。

 そしてすぐに、そんな甘えた考えを消す。それだと、トリクシーにかえって迷惑がかかる。彼女は俺が助けに入って、逆に暴力を振るわれてしまったら、自分の評判に傷がつくと言っていた。だから彼女が全てを受け入れるしかない、と。


 カリフォルニアの夜は、昼間とは打って変わって寒々しい。砂漠の気候だ。昼間はあんなに陽気だったのに、夜は全てが静かで、寂しく、星の瞬きも重苦しい雲で遮られている。まるで今の自分の心の様相を表しているかのようだった。

 追い打ちをかけるように、耳を塞いでも、キーンと耳が鳴る静けさの中で繰り返される、記憶の中のトリクシーの言葉。

「あんたは、どんだけ自己中心的なの?」


 その通りだ、と俺は呟いた。

「トリクシーの言う通りだよ」


***


 幸いにして、翌日は土曜日だった。昨日のことがあってから、一限目でいきなりトリクシーとまた顔を合わせるのは避けたかったから、俺は安堵した。それでもなお、心のモヤモヤは払拭しきれていない。


俺がアメリカ産の甘ったるすぎるオレンジジュースをキッチンで注いでいると、「タカ兄、おはよ」と妹が目を擦りながらリビングにやってきた。これまた日本には決して売っていないような、ショッキングピンクのパジャマを纏っている。なぜアメリカではあらゆるものが大味で、またどぎつい色合いをしているのだろうか……。

「おう、おはよう」と俺は努めて明るい声を出した。まだ妹も新しい環境に慣れていない中、兄の人間関係で余計な負担をかけるのは良くない。

妹はフラフラとキッチンまでやってきて、自分のグラスを取り出す。父親と母親はまだ寝ているらしい。目が痛いぐらいの西海岸の日の出を窓から目一杯受けながら、俺と妹は二人で土曜の朝を迎えていた。


「考えてみればさぁ」と妹は自分の分の牛乳を、日本の平均的なコップの倍はあるアメリカンサイズのグラスに注ぎながら言った。「週末といっても、車がないとどこもいけないよねぇ」

「日本じゃ自転車と電車使えばそれこそ北海道まで行けっからな」と俺は同意する。広いのはいいことだが、広すぎるとそれだけ不便にもなる。

「信じられないよね〜」と妹はトースターにパンを放り込みながら、言葉とは裏腹に実に明るい口調で言った。

「なんだ、随分浮かれてんな。お前、家にいるのつまんないって言ってたじゃん」

「ふふふ」と彼女は不敵な笑みを浮かべながら言った。「それがね〜レイカのお姉ちゃんが大学生でね、モールまで車で連れてってくれるんだってさ!」

「あぁ、レイカちゃんってお前が言っていた友達か。仲良くなるの早いなぁ」

「タカ兄だって、ハリウッドスターと高校初日でもう仲良くなったんでしょ」と妹が舌を出して、小悪魔めいた表情で言う。

 彼女の言葉が、ずきりと心の臓に突き刺さる。仲良くなんて、なっていない。


 俺が何も言わないでいるのをこれ幸いと思ったのか、妹は続ける。

「私も早く運転したいなぁ、友達と買い物とか行きたい。あと四年かぁ」

「それまでアメリカにいるかねぇ」

「パパが、途中で帰るのはかわいそうだから、少なくともタカ兄の高校卒業までいるつもりだって言っていたよ。最悪単身赴任だってさ」

「んだったら、あと四年だな」と相槌を打つ。

 あと四年間、ケンジントン・ハイスクールに通う。


 あと四年間、トリクシー・コーウェンと同じ高校に通う。


 そう考えると、背筋がゾッとする感覚が走った。

「何、嫌なの? 不登校とかやめてよね、友達に嫌な目で見られちゃう。私もタカ兄と同じ、ケンジントンに通うかもしれないんだから」

「ねーよ」と俺は言うが、しかしあながち、あり得ない話ではないかもしれない。このままトリクシーに冷たい目で見られながら高校に通うのか? いや、一学年に九百人もいるのだから、この先トリクシーに一度も会わないで過ごすことだって十分にあり得る。それでも……。


 慣れない海外で、不登校になってしまう自分を想像すると、ますますネガティブになってしまいそうだ。それだけはなんとしても避けなければならない。


 大丈夫、週末を乗り越えればきっとうまくいく。週末を挟めば、全て忘れる。そうだよな……?


 でも俺の期待は、いともたやすく打ち砕かれることになる……

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