第7話 美少女が乱暴な男にいじめられている……!?
結局、サーニャはインターネットを通じてやるシューティングゲームに興じてしまって、俺は一人で教室を後にした。
「一ゲームだけ遊んで、俺も帰るよ!」と言うサーニャだったが、その目はいつになく真剣で、すっかりゲームにのめり込んでいる様子だった。ゲームが嫌いなわけじゃないが、やはり学校でゲーム、と言うのはどうにも落ち着かないので、俺は先に帰ることにした。カーグ先生は今年のイヤーブック委員会のための学校内サーバーの空間を構築するとかで、コーラの缶を片手に、見た目に反して非常に機敏な動きでキーボードを操作していた。
図書室を出ると、まだ午後三時半を回った頃合いだった。登校は父親の仕事に合わせて車で送ってもらっていたが、下校は二十分ほどの道なりを歩くことになっている。とはいえ、家で帰ったところでやることがない。もちろんまだ学期が始まって二日目だからと言うのもあるが、この学校は日本にいた頃と比べて宿題の量も少なく、どちらかというと個々がそれぞれ自分で足りないと思うところを自習して補う方針のようだ。そう考えると、やはりサーニャの言うように何かしらクラブに属した方が、楽しいのかもしれない。
同時に、友達がサーニャと、あとかろうじて共通の仲間であるアリソンがいるだけであって、急に見知った人間のいないクラブに外国人である自分が飛び込むのも大分気が引ける。
仕方がないから、この広大なキャンパスをよりよく知ろうと思い、俺は校内をブラリと散歩することにした。
ケンジントン・ハイスクールは東京ドーム何個分、という表現がしっくりくるぐらい広いキャンパスを誇る。やはり土地の広さを考えると色々とスケールが違う。メインとなる校舎は二階建ての、どっかの県庁所在地にありそうな庁舎を思わせる重厚で細長い建物が二棟あり、それぞれに教室が何十と収められている。この二つの建物を挟むように中庭というよりかはグラウンドと呼んだ方が良い空間があり、昼食時はここにホットドッグやサンドイッチのスタンドがまるでお祭りのように並ぶ。中庭の中心には巨大なステージのような建造物があり、バンドの練習やらちょっとした屋外劇などの催しがなされるらしい。中庭の端にはやはりまた大きな施設があり、そこに先ほどまで俺がいた図書室をはじめとし、体育館や屋内プール、映画を見ることができる巨大な視聴覚室が存在する。驚いたのは、キャンパスの中に郵便局があることだ。どんだけ広いんだよ、この高校……
図書室を擁する複合施設の裏には広大な駐車場が広がり、その先にはテニスコートや野球場、アメフトのフィールドなどがある。そしてメインの校舎では収まりきらなかった教室がプレハブのトレーラーハウスとしていくつか建っており、俺の一限目の「イントロダクション・トゥ・スタジオアート」であるカーグ先生の教室もここにある。その先には、今は使われていない旧校舎まであると言うのだから、本当にとんでもない広さだ。
「私、三限目が駐車場の奥にある教室で、四限目が完全に反対側の、メイン校舎の端っこにある教室なんだよ〜。移動だけでもう時間あれでしょ? だから先生がね、時間割を見て『あなたは先行って良いわよ』って授業終了の五分前に出してくれるんだぁ」とアリソンがランチの時に語っていたが、本当に五分前に教室を出ないと、歩きでは到底追いつかない。
職員の中にはゴルフカートのような乗り物で移動する人もいるし、とんでもない世界観である。まさに異世界そのものだ。
俺はリュックを片方の肩から下げながら、ぶらぶらと駐車場を通り抜けて、特に当てもなくプレハブ校舎の方へと向かって行った。教科書は貸出制で、自習するなどの理由がなければ持ち運ぶことはほぼないらしい。リュックの中はせいぜいノートと、人によっては弁当ぐらいで、それすらも持っていかず手ぶらでくるやつも多いとのことだ。
荷物があれば、基本的にはロッカーに入れる。生徒は一人一つ、鍵付きのロッカーがあてがわれていて、卒業までの四年間それを使うことになる。俺のロッカーは他の今年入学の一年生と同じ、メイン校舎の近くにあるので非常に楽だ。聞いた話だと、今年の三年生のロッカー群は体育館の裏の方で、随分と不便な位置にあるらしい。俺はあまりロッカーを使用しないが、それでも荷物が少ないのは非常にありがたい。
おかげで非常に身軽に歩き回ることができるのだが、何か置き忘れてきてしまっただろうかと錯覚するほど背中が軽いのと、放課後校舎内をうろついているのだと言うのに職員が何も言ってこないのも随分とカルチャーギャップを感じるところだ。まるで観光旅行に来ているかのような気分で、目に入るもの全てが目新しく、俺はほとんど心ここにあらずと言った具合で、カンカンと照りつけるが湿気が全く無いため不快さを感じさせない西海岸の太陽の下で、ふらりふらりとプレハブの方へと向かっていた。
すると、教室の裏手から、「なぁ、聞けよ」といかにも乱暴な男の声が聞こえてくる。
何事かと、プレハブ教室の壁に寄って見れば、窓越しに見えたのはトリクシーの姿だった。ちょうど窓に背を向けていて顔は見えないが、あんな派手なカウボーイハットを被っている金髪頭はトリクシー以外いないだろう。
彼女に詰め寄っているように見えるのは、小太りとノッポの男子生徒二人組である。
「トリクシーよォ、お前、本当にいいのか?」
「言うぞ、言っちまうぞ」と二人は下卑な笑みを浮かべて、ポケットに手を突っ込みながら目の前の美少女に対峙していた。
「勝手にすれば?」とトリクシーは返すが、心なしか、俺に向かってチクチクとした言葉を吐いていたときに比べると、随分と声が上ずっているように聞こえた。
「ビビってんぜ、ウケるわ」とノッポは同じことを悟ったらしく、ゲラゲラと笑い出した。「トリクシー・コーウェン様がビビってら」
「いい加減にしてくれる? 私、もう帰るから」とトリクシーは帽子のつばをぎゅっと掴んで、その場を後にしようとする。
「おい、待てよ」小太りの方が、ウィンナーのような太く短い指でトリクシーの肩を掴む。「お前、どこに行くんだ」
「そうそう。トリクシー、お前本当にいいのかよ。言っちまうぜ、お前の評判ガタ落ちなんじゃねえのか。『レイシストのハリウッドスター』ってよ、ヘッドラインが出ちまうんじゃね? 『ランニング・デッド』降板だろ、お前」
「中国人差別なんてダメなんじゃねぇのか、トリクシーさんよ。お前、ドラマ見てくれんの中国人も多いんじゃねえのか、え?」
トリクシーがいじめられている。それは明白だった。そしてその原因は……俺なのか?