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第5話 アメリカの高校で、友達を作る。

 それからの三十分程度は気が遠くなるほど長く、俺とトリクシーは二人で黙々と、お互い言葉はおろか視線を交わすこともなく、ただ目の前の缶詰を描き続けた。

 最後の五分でミスター・カーグはそれぞれのテーブルを回って、絵のアドバイスをしていったが、俺たちのテーブルに来ると、空いている椅子を引いて席についた。


「トリクシー、よく描けているな」と彼は少女の前に置いてある画用紙を指差して言った。「とても丁寧だ。正直驚いた。お前、怒っている方が案外心の中は落ち着いているのかもしれないな。その調子で仕上げていくといい。奥にあるものはもう少しぼかした方がいいな」


 次に彼は俺の画用紙を見て、顎髭を太い指でしごきながら頷いた。

「オギャーサランランはちょっとあれだな、形を取るのはうまいが細かい造形がダメだな。昨日の似顔絵もそうだがいささかコミック的になっている、わかるか? 缶詰はこう言うものだろう、と思い込んで描いたらダメだぞ。ちゃんと目の前のものを描くんだ」

 短い講評だったが、実に的確だ。そしてミスター・カーグは少し前屈みになって、やや項垂れている俺たちの顔を交互に覗き込むようにした。


「仲良くやってくれよ。新しい環境に慣れるのは大変だろうが、お互い様だ。二人とも仲良くなればいい。きっとお互い似ているところがあると気づくさ」

 俺はともかくとして、トリクシーが新しい環境? 確かに高校は新しい環境だろうが、生まれも育ちもアメリカであろう彼女にとってそれほど新しい環境だろうか。

 そう考えているうちに、授業終了を示すベルが鳴った。トリクシーは俺とカーグ先生を交互に見やると、ふんと鼻を鳴らして、またドタドタと少女しからぬ大股で教室を去っていったのだった。


***


「あの女、やべー奴だったな」とサーニャはサンドイッチを頬張りながら悪態をついた。「普通あんなこと教室で言うか?」

「イエローモンキーってやつか?」と俺は母親が作ってくれたおにぎりにかじりつきながら返す。「別に、そんなのよくある悪口だろ」

「お前なぁ……」とサーニャは不満そうだが、そこにすぐ、

「なぁに、タカってば、そんなこと言われたの?」と割って入ってきたのはアリソンだった。「トリクシー・コーウェンってあれでしょ、ドラマとかに出てる子。そんな子がそんなことを言うの? そんなことしたら、君、あれで大変なことになるよ」

「アリソンの話し方、分かりづらい」と俺が彼女を制して言うと、アリソンはケラケラと笑った。笑うと深いエクボができる、印象的な顔だ。

「ごめんね〜。私って、生粋のカリフォルニア人だからさぁ、何でもかんでもそんな感じに、そうやって言っちゃうんだよねぇ、みたいな」

「全然わかんねぇよ……」と俺ががっくりすると、サーニャが助け舟を出してくれる。

「カリフォルニアの訛りってさ、すごい省略するよな。代名詞が多いっていうの? あれこれそれ、みたいなのばっかりで、主語が何なのか、何が言いたいのかさっぱりわかんない」

「流石に訛りまでは英会話じゃ習わなかったからな……あ、でもアリソンは喋るのがゆっくりだから、聞き取りはすごいしやすいや」

「早口なのはニューヨークの人かなぁ〜。あの人たちってものすっごいほら、スピーディーに喋るじゃん? もうこんな感じでとにかく何でもかんでも高速で言えばなんとでもなると思っているみたいな感じのこんな速度でとにかく喋るです……ゲホッ」

 早口を真似て急にむせるアリソンを見て、俺たちは大笑いした。



 昼休みはたっぷり一時間ある。学校の食堂や売店で食べる者もいれば、車に乗って学校の外に食べにいく者もいる。免許取得が十六歳からのアメリカならではの景である。四限後、俺のことをわざわざ見つけてくれたサーニャに誘われて俺たちは校舎の裏手にある木陰で昼食を取ることになった。そこにいたのが、サーニャの中学からの友達だというアリソン・シスラーである。


 アリソンはとてもフレンドリーな人だからね、と彼女のことを評していたサーニャの言葉通り、まさにアメリカ人に想像するようなフレンドリーさを体現したような存在であった。長い茶色の髪の毛を後ろで三つ編みにしている、ややぽっちゃり体型のアリソンにはどこか母性的なオーラがあり、彼女のそばにいるだけで心が安らぐと言っても過言ではない。柔和な表情に、笑うとできるエクボ、そして少し垂れ気味で彼女の髪の毛と同じくブラウンの目は、どこか牧歌的な温厚さを感じさせる。


「アリソン・シスラーだよ。よろしくね〜」と語尾を伸ばしながら言われると、もう完全に彼女のペースに入ってしまう。俺も名乗るが、やはり彼女も「小笠原」はうまく発音できないようだ。

「タカって呼ぶね〜」と彼女がやはり間伸びした、聞き取りやすい言い方でこちらにニコニコしてくるものだから、俺も彼女のことをアリソンと呼ぶことにした。思えば、相手をすぐに下の名前で呼ぶと言うのもまた、アメリカ的で文化的なギャップを感じるところだが、この方が心地よいのは間違いない。「ルイプキンくん」「シスラーさん」と名字に敬称をつけて呼ぶことが一気に他人行儀で冷たいものに感じてくる。それは決して日本文化が悪いと言うわけではなく、純粋にこの陽気な気候と英語という言語のフランクさに合っているからなのかもしれない。


「でもさ」とアリソンは豆がいっぱい入ったブリトーを両手に、まるでどんぐりをもつリスのように持ちながら続ける。「タカもさ、悪いところあると思うよ。だって、ここは学校で、レッドカーペットとかじゃないんだからさ〜。パブリックな学校とはいえ、プライベートなんだよ。トリクシー・コーウェンはあれよ、生徒として来ているんだから、サイン求めるにはちょっと場違いなんじゃないかなぁ」

 俺はしばらくかじりかけのおにぎりを見つめてから、確かにアリソンの言っていることは正しいと感じた。俺は実は、とても失礼なことをしていたのではないだろうか。


「確かに、アリソンが正しいかも」と俺はほとんど自分に言い聞かせるように、静かに言った。「謝らないといけないな」

「うんうん。まぁ、だからと言ってイエローモンキーなんて言っちゃダメだけどね。それは絶対にトリクシーが悪いよ。言っていいことと、悪いことがあるからね。それに、サインを求めることって場違いかもしれないけど、それってあれでしょ、彼女を評価してるってことでしょ。やんわり断ればいいのに」

「それは俺がちょっとぐいぐい行きすぎたから……」と俺が言いかけると、サーニャが俺の肩を掴んで言った。

「おい、タカ、お前カーグの言ったこと忘れたのかよ。ダメなもんはダメなんだって」


「そうかぁ……なんだろう、俺は日本人で、ずっと日本で育ったから、周りは日本人ばかりでさ。そりゃ外人も多少はいたけど。あんまり、その、人種差別的なのってピンとこないんだよね」

「その辺りはカルチャーギャップというか、価値観の違いはあるかもね〜」とアリソンは頷く。「ダメなものって、国によって大きく違うからねぇ」

「そう言えばよ、アリソン、こいつ昨日トリクシーにすごかったんだぜ。なぁタカ、言ってやれよ」サーニャはにんまりと、大きな白い歯を見せながら笑って、俺のことを肘でツンツンと突いてくる。

「いや、なんだよそれ」と俺が言うと、サーニャはこれまた嬉しそうに、アリソンに向かって両手を広げてドラマチックな動きをしてから、

「おお、トリクシー、あなたはビューティフルだ! 青い目、細い腰、そして……大きな胸!」

 大仰に言い放つと、サーニャは壊れた人形みたいに足をバタバタさせて大笑いした。


「それはまた……セクシャルハラスメントにならないように気をつけてね、タカ」とアリソンも深いエクボを作りながら、苦しそうに言った。

「いや、だって、アメリカ人って褒められるのが好きなんだろ? だから目一杯褒めんだよ」と俺が弁明すると、二人はキョトンと、ミーアキャットのように直立して、お互いを見てからまた大笑いしたのだった。

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