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第35話 ハリウッド女優と二人っきりで・・・

「トリクシーは、本当に美人なんだな」と俺は思わず言う。

「え?」と彼女は驚いて、猫のように丸くなった目で俺のことを見る。


「生の感情みたいなものを感じたんだよ。いや、不謹慎かもしれないけどさ。でも、そうやって、感情を剥き出している方が、バーナデットとか、そういう映像の中の存在よりも遥かに本物っぽくて、俺は好きだ」


「あんたさぁ」とトリクシーはおかしそうに、口元を隠しながら言う。「この話の流れで、そんなこと言う?」


「バーナデットも、トリクシーも、どちらも本物のトリクシー・コーウェンなんだろう? それが本物の演劇だって、自分で言っていたじゃないか。でも、俺は今のトリクシーの方が好きだよ」

「やっぱり変わってるね」

「トリクシーは悔しそうだし、それでも、仕事だけじゃなくて、自分のことだけじゃなくて、周りのことを考えてそうしているんだろう? だから、俺のことを自己中心的だって言ったんだね」

「私、そんなこと言ったっけ」とトリクシーが不思議そうに言うので、俺は頷く。

「言ったよ。それがずっと、心の中に刺さっていたんだ」


「そっか――なんか、酷いことしちゃったね」トリクシーが急にしおらしくなるので、俺は慌てて手を振って否定する。


「酷いことじゃない。それで、自分を見つめ直す機会になったから……」


 するとトリクシーは急に噴き出して、腹を抱えて大笑いをし出した。

「あっはっは! 見つめ直すって、あんた、痛い、痛いよ。そのうちインドに旅に出るとか言い出すんじゃないの? ガンジス川の流れを見ていたら、世界の本当の姿が見えた、とかさぁ!」


「ひどいなぁ」と俺は反論するが、しかし彼女の言っていることもまたもっともだった。「多分、新しい国に来て、俺は迷ってばかりいるから。全部がわけわからなくてさ。トリクシーも、本物なのか、そうじゃないのかよくわからなくなったんだよ」

「私が?」

「うん」と俺は再び、オットマンに腰掛けながら言った。トリクシーはカウボーイハットを外してテーブルに置くと、長い金色の髪を指でくし通して行く。「トリクシーはさ、俺がこの国に来て、最初にあった人間の一人だよ。考えても見てくれよ、知らない国で、初めて通う学校で、初めて行くクラスの、初めて隣に座る人が、トリクシー・コーウェンなんだよ」


「なかなかのインパクトだったでしょ? アメリカへようこそ!」と少女は足をぷらぷらと揺らしながら、いたずらっぽく言う。

「本当だよ。だから、どう接したらいいか分からなくて、あの絵を描いている時だって、俺は必死だったんだよ」

「あの絵は、酷かったなぁ」


 あれでも精一杯描いたんだよ、と俺が釈明すると、トリクシーは急に不敵な笑みを浮かべて、俺の方へと前屈みになって、挑発的に言う。

「ねぇ、あれもう一回やってよ」


「あれって?」

「絵を説明して」

「え?」

「この絵が私じゃないって言ったら、あんた、なんて言ってた?」


 蠱惑的な笑みを浮かべるトリクシーに、思わずたじろぎそうになるが、彼女が俺のことをからかっているのはよく分かる。それに負けたくもなかったし、その安い挑発に乗ることが、なんだかワクワクさせてくれた。


 俺は立ち上がると、深呼吸をしてから、あの日言ったセリフを思い出しながら、彼女の青い瞳を見つめながら言う。

「この絵は、きみ。トリクシー」

トリクシーが、抑えきれないように、口を大きく歪ませて笑顔を作る。

「見て。胸、大きい」

笑いを必死に抑えようと、俯き加減になるトリクシーに、俺は続ける。

「腰、細い」

限界が近いのか、足をバタバタとさせて、少女は声にならない笑いを噛み殺そうとする。

「トリクシー、ビューティフル」


そこまで言うと、彼女はついに限界が来たとばかりにソファーに仰け反って、大笑いする。


「あっはっは! あっはっは! あぁ、もう、あんた最高だよ。日本人って、こんなみんな頭が愉快なのかな!」


「じゃあ俺と一緒に今度日本にきて、確かめてみてよ」

「あぁ〜おかしい。日本に? 私が? あはは、まぁ、そのうち機会があったらね」と彼女は無意識にだろうが、実に日本的な言い回しをした。


がっかりしてしまったのが露骨に表情に出ていたのだろう、トリクシーは笑いすぎて目の端に浮かんでいた涙を乱暴に拭うと、白い歯を出して笑顔を見せた。


「私が本物かどうか、分からなくなっちゃったんだ?」と彼女は問いかける。

「そうだよ。インパクトが強すぎるんだもん」


「じゃあ、本物かどうか、確認させてあげようか?」と彼女は言うと、立ち上がって、両手を広げる。


俺も立ち上がり、同じように両手を広げると、トリクシーは一歩、二歩と近づいて、俺のことを強く抱きしめた。柑橘の香りが鼻口をくすぐり、彼女の白くて柔らかい体が俺を包み込みそうになる。


「ほぉら」と彼女はすぐに離れると、またあのいたずらに成功した子供のような笑顔を浮かべる。片眉を吊り上げながら、「本物だったでしょ」と彼女は言うと、ソファの上に置いてあったリュックサックを拾い上げ、チャックを開けて、中に入っているものを取り出す。


「カーグに会ったんだよ。事情聴取っていうか、ドーシーと何があったかとかを聞かれてね。で、その時に、君と、あのちっちゃい子と、あとあのイヤーブック委員会の子たちが頑張ってくれたって聞いたよ。ありがとうね」

そう言うと彼女はリュックから取り出したそれを広げた。

「期末試験なんだから、本当は持っていっちゃダメらしいんだけどね、特別にカーグがくれたんだ」


トリクシーが持っていたそれは、俺が「イントロダクション・トゥ・スタジオアート」の期末試験で描いた絵だ。


「私、あんたの隣に座ってなかったんだけど」とトリクシーは苦笑しながら言う。「よくこんなの描けたね」

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