第34話 家族が家にいない日、俺の家を訪れたのは・・・!?
「はいはい」と俺は立ち上がり、ドアを開ける。「どちらさま……」
「ハロー」と小さく手を振るのは、カウボーイハットを被った、スレンダーな女性。カリフォルニアの日差しなんてどこ吹く風と言わんばかりに真っ白な肌。そして何よりも、この西海岸の透き通るような青い空よりも真っ青な、二つの輝く瞳。
「おま、トリクシー……?」
「良かった、いなかったら無駄足になっちゃうと思ってた」とトリクシーは安心して言うと、振り返って手を振った。黒いセダンがゆっくりと走り去っていく。「一時間後に迎えにくるから。上がっていいよね?」と彼女は俺の返事を聞くことなく、カツカツと家の中に入ってくる。彼女が俺の横を通り過ぎると、微かに柑橘系の香水が香る。
「ちょっと待って」と俺が慌てて言うと、トリクシーは振り返る。金髪がふわりと舞って、玄関ドアから差し込む陽光を受けてキラキラと輝く。
「なに?」
「えっと、靴脱いで」
「あ、そっか。ジャパニーズってそうだよね」と彼女は小さく舌を出して笑うと、履いていたスニーカーを脱ぎ、「家の外? 中? どっちに置けばいい?」と聞く。
「えっと、中、そこに置いて」と俺は家族の靴が並べられている玄関マットの隅を指差す。
どうして、なんでここに、と聞きたいが、なかなかそのチャンスが掴めない。
「へー、なんか、思ったよりアメリカンな家だね」と彼女は笑う。「もっとさぁ、鯉がいたり、玄関の横に鎧が飾ってあったりとか、そう言うのかと思ったよ」
「日本人に偏見持ちすぎだろ……」と俺が言うと、彼女は玄関入ってすぐ、リビングに置いてあるテレビを指差す。
「うぇっ! なんであんた『キャンディロット・インター』観てんのよ、気持ちわるっ」
トリクシー両腕を掴んで、心底気持ち悪いと言う顔をする。
なんというタイミングでやってくるんだ、と思うが、ここでやられっぱなしではいけない。
「かわいいバーナデットを見ていたんだよ。どっかのトリクシーさんとは違って、健気だからね」
「うっわ、あんた、しばらく見ない間にさらに気持ち悪くなったね?」とトリクシーは言うも、その顔は笑っていた。
彼女は軽い足取りでずかずかと家の中に入ってくると、リビングの片隅に置かれている、白いピアノを指差す。
「わー、綺麗なピアノ!」と彼女は嬉しそうに言う。「白いのって、珍しいね」
「父親の会社で作ってんだよ」と俺は解説する。「トリクシーって、音楽好きだったんだ」
「いや、最近ちょっとね」と彼女は得意げに口角を吊り上げると、家に他に誰もいないの、と聞いた。両親は妹の課外活動の送り迎えで留守だと伝えると、
「へぇ」と彼女はつまらなそうに言い、先ほどまで俺が座っていたソファに座り込む。ソファを占拠されてしまっては、隣に座るわけにもいかず、俺は普段は父親が新聞を読むときの足置きになっているオットマンに腰掛けた。
「で、何か用なの? っていうか、どうやって俺の住んでる場所分かったの」と俺が聞くと、トリクシーはそんなこともわからないの、と言わんばかりの侮蔑がこもった表情で、
「あんた、オリエンテーションの日に連絡網もらったでしょ? あれに全員の住所とかメールアドレスとか載ってるわよ」
「俺、オリエンテーション出てないんだよ。母さんが日にち間違えちまってさ」
「話にならないわね」と金髪少女はため息をつく。
「それはいいとしてさ」俺は話を本題に戻し、ここ数分の間、聞きたくても聞き出せないことを切り出す。「大丈夫なの? その、ドーシーとかと……」
「ああ、まぁねぇ。停学処分になるらしいけど、それぐらいかな」
「停学? 最低でも退学で、逮捕もあり得るって聞いたぞ」と俺が驚いて声を上げると、トリクシーは目を伏せて、少し悲痛げな表情で言った。
「あんまり、大事にしたくないのよね」
「十分に大事だろ。あのままじゃ、危なかったぞ」
それはそうなんだけどね、とトリクシーはため息をつく。
「仕事とかにも影響があるし、それに……ドーシーの顔を潰すことになるから」
「ドーシーの顔を潰す?」
「そう」と彼女は首肯すると、顔を上げて、形のいい、やや切長な目を俺に向ける。「ケーシィ・ドーシーって、ルパート・ドーシーの息子なの。ルパート・ドーシーは知ってる? 元々有名なゴシップ誌のオーナーで、今は乗馬クラブを運営してるんだけど、テレビ番組のスポンサーを色々やっているのよ。だから結構、直接私の仕事にも影響しちゃうし、トラブルはお互い避けたいのよね。不本意だけど、ダンスの誘いを受けたのもそれが理由」
俺は思わず立ち上がり、大きな声を出した。
「そんなことあるかよ! それで有耶無耶になるなんて、ひどい話だ! トリクシーはそれでいいの?」
「いいわけないでしょ」とトリクシーは首を横に振って、また俯く。「でも、事務所とか色んな人が絡んでる。複雑なのよ。私一人だけじゃどうこうできない。でも、少なくともあいつらはもう私には近寄れないはずよ。接近禁止命令みたいなのを、まぁ非公式だけど、出してもらうから」
そう語るトリクシーの下を向いた横顔は、以前あのプレハブ教室で見た時と同じぐらい、悲しげで、しかし同時に美しくもあった。




