第32話 深夜の、アメリカの、親子の、ドライブ。
「今何時だと思ってるんだ」と父は不機嫌そうにハンドルを握りながら言った。大きくあくびをして、思わず車線からはみ出そうになる。
「気をつけて運転してよ」と俺は言うが、俺もあくびが出そうだ。
「何だか知らないが、トラブルに遭ったんだって? 入学してまだ一学期目だぞ、あんまり親を困らせるんじゃないぞ。あと、お前なんでそんなゴミくさいんだ?」
「トラブルに遭ったっていうか、トラブルを解決したんだよ」
「そうか。まぁ、その話は機会があったらじっくり聞かせてくれ」と父はおそらく二度とこの件について聞くつもりはないであろうことが明確な、実に日本的な言い回しで返事をして、深夜の道路を静かに運転していった。
先生が連絡をしてくれたらしく、アリソンの母親と俺の父親が俺たちのことを迎えに来ていた。俺の父親は先程まで寝ていたのか、ジャージ姿で随分とみっともなかったが、アリソンの母親の方はバリっとしたスーツを着こなしているキャリアウーマンという感じの人だった。深夜だと言うのにサングラスをしているので、一癖ありそうな感じではあったが。
「灯子は友達の家なんだっけ」
「そう。途中でお守りのお前がいなくなったって言っていたぞ」
「だからトラブルがあったんだって、しょうがないだろ」
「しかしなぁ、この間まで小さかった灯子がもう友達の家でお泊まりか……」と父がしみじみと言うので、
「それも異国でな」
「確かになぁ。すごいもんだ。異国でしっかりと友達を作ってよ」
「俺も異国で友達を作ってるぞ。それも外人だ。レイカちゃんは日本人だろ」と俺が反論すると、
「タカのことは心配してないさ」と父が笑顔を浮かべながら言う。
「……本当に? 意外だな」と俺は急に照れくさくなる。父親が、そこまで俺のことを信頼していてくれていたとは思わなかった。
「というか、興味がない」
「おいクソ親父」
「でもまぁ、実際、よくやっていると思うよ」と父は真面目な顔で正面を向いたまま言った。「今まで築いて来たものを置いて、新しい環境に身を投じて、そこで腐ることなく進んでいると言うのは本当に偉い。タカには悪いことをしたと思っているが、でも、頑張っているお前を見て少し安心した」
「そっか」と俺は短く答える。それ以上の言葉は必要ない。自分の親が、自分以外の人間が、自分のことを見ていてくれたと言うだけで十分だ。「そういえば、灯子もすごく楽しそうにしていた。友達もできたし、安心だな」
「そうか、そうか」と父はうっすらと涙を浮かべながら言った。どれだけ娘のことが好きなんだ……。
「そういえば、灯子がレイカちゃんの家に泊まるのって、随分早く決まったな。ダンス中はスマホがないのに」
「ああ、だってお前、レイカちゃんのお父さんはケンジントンの教師だぞ。ダンス中にもう決めたらしくて、お父さん経由で連絡があったのさ」
「マジで? 馬鹿でかい学校なのに、意外と世界は小さいんだな……」
カーラジオからは、未だ慣れない外国の歌が流れてくる。夜遅い時間だからか、はたまたそういうチャネルなのか、落ち着いた声のヴォーカルが特徴的なブルースだ。ほんの少し前までは、英語なんてむしろ聞く機会があるかないかというほどに稀だったと言うのに、今はこうして当たり前のように俺の周りを漂っている。
それでも、父の言う通り、腐ることなく英語の勉強に打ち込んできて良かった。
言葉というツールがなければ、きっとサーニャにも、アリソンにも、カーグ先生にも、そしてトリクシーに会うことはなかっただろう。そして、ドーシーやマシューズ、ベルチャーのような輩を止めることもできなかったと思う。
日本の友達たち、育ってきた環境、そう言ったものが遠く手の届かない場所に行ってしまい、ほとんど記憶から消えてしまいそうになったけれども、新しい居場所ができたのだ。海を越えた遥か遠いアメリカ合衆国で、大袈裟な言い方になるが、小笠原孝則は生まれ変わったのだ。




