第21話 ダンスパーティのサイドイベントは、ポーカー!?
トリクシー・コーウェンはワインのように深い赤のドレスを、まるで生まれてから今までずっと身に纏ってきたのだと言われても信じてしまうほどの当たり前さで着こなし、彼女の肌の色によく似た、光沢のある白い手袋に包まれた指先で裾をほんの少し――僅かに上品な黒いエナメルのパンプスが覗く程度に――持ち上げていた。全ての所作が美しく計算されているようで、同時に彼女をこの世の存在ならざるもの、まるで中世の絵画のような無機質さを演出しているのであった。
「トリクシー……」と灯子がつぶやく。サインを貰おうとか、話しかけようとか、いや、むしろ一歩前に出て近くで観察しようという思考すら抱かないほど、ただ遠くから見ているだけで満たされていると言った感情で支配されているのがわかる、感嘆のつぶやきだった。
「すげぇな」と俺が言うと、隣でアリソンが頷く。
「あれは、すごいよねぇ。同じ高校一年生とは思えないよね」
「ドーシーもなぁ、カッコいいよなぁ。ずるいよ、あれで成績もトップクラスなんだろ? なんであんな奴がいるんだよ、同じ高校生なんてそもそも人種からして違うだろあれ……ってか背が高いのマジで羨ましいよな」とサーニャが悪態をつくが、しかし決して嫌味ではなく、純粋に称賛しているのに近い。
「誰なんだ、あいつ……」と俺は思わず心の声が漏れてしまう。
「ケーシィ・ドーシーだよ。うちの三年生。テニス代表チームのキャプテンで、イヤーブック委員会の会長もやってるすげーやつ。なんか親が金持ち向けの乗馬クラブ持ってるいかにも上流階級って感じのやつでさ、なんつーか、経歴はムカつくけど、まぁ非の打ちどころのない男っているからなぁ」
そのドーシーは確かにサーニャが言うように同じ高校生とは思えない。スレンダーだが痩せすぎではなく、ダークスーツ越しにも筋骨がしっかりとしているのが見てとれる。トリクシーのドレスに合わせたのか胸に赤い花のコサージュをつけているが、決して嫌味ったらしくなく、むしろ彼の爽やかな印象を引き立てている。
隣に並ぶトリクシーとは違って、ドーシーはあちらこちらに顔を向けて、微笑んだり、頷いたり、時には手を振ったりしている。チヤホヤされることに慣れているのはすぐわかるが、不思議とそれが気に障るような印象を受けない、まさに好青年である。見た目の印象だけで、何も彼のことを知らないのに、「きっといい人なのだろう」と思わせる魔性の何かがあるのがよくわかる。
「まっ、三年生ってことはあと二年以内で卒業だからよ? タカもそれまでに男磨いて、諦めないことだな」とサーニャが言う。
彼が何を言っているのか頭の中で処理するのに時間がかかったが、しかしそれがわかった途端、俺は周りの音がゆっくりと消えていくのを感じた。ただ自分の体の中をめぐる血の流れだけが耳に聞こえる。
あと二年で、どう逆立ちしても、俺は目の前の好青年にはなれない。それは外見的なこともそうだし、おそらくそれ以上に、内面的に圧倒的な差がある。目の前のこの高三が醸し出している雰囲気は、一朝一夕に作られたものではない。積み重ねられた途方もないものがあるからこそ出せる技だ。
――トリクシーが、俺を選ばないわけだ。
はっきりとそれがわかった。いや、前々から薄々と勘づいていたことで、諦めていたことでもある。決して高望みしてはならないとわかっていたはずなのに、どうして俺はこう何度もトリクシーについて挫折を味わう必要があるのだろうか?
トリクシーに合う男というのは、きっとドーシーのようなやつを言うのだろう。
そして俺は、ドーシーにはなれない。
「お兄ちゃん」と灯子が俺の腕を引っ張る、「お兄ちゃん、どしたの? そんなにぼーっとしてないで。ほら、あっちで何かゲームとかやるみたいだよ」
目を閉じてまた開くと、もうゲストたちは踊りに興じることに戻っている。世界の時を止めたカップルはもはやどこか違うところに行ってしまったらしい。再び世界に音が戻ってくる。アップビートな音楽が俺たちを包む。
「ああ」と俺が短く返事すると、灯子はスタスタと、先を歩くサーニャとレイカを追って進んでいく。
***
「コール!」と高らかにサーニャが宣言し、青いチップの山を前に乱暴に突き出す。ディーラーがそれを丁寧に数えて二つの束に直し、頷いてカードを配る。
「チェック」カードを確認してから、対面に座る男が言う。チラリとこちらを見るが、いつの間にかサングラスをかけている銀髪少年は一切動じる気配はない。
「オールイン!」とサーニャは一呼吸置いてから、目の前のチップを全てテーブルの中央へと持っていく。
「三…いや、四千五百。コールには四千五百」ディーラーはやはり丁寧な手つきでそのチップの山を数え、もう一人のプレイヤーに行動を促す。
「ぐ……いや、フォールドだ……」と彼はカードを投げ出す。
「いょっしゃ! レイカ、見たか? 俺こそがハイ・ローラーだ!」とサーニャは嬉しそうにチップの山をかき集めてゲラゲラと下品に笑う。
ポーカーテーブルに来てから三十分ほど経っただろうか、サーニャはノリに乗っていた。もちろん現金を使用しての賭けポーカーではない。ダンス会場の入場チケットの半券を渡せば、五百ドル分(無論、あくまでもチップに書かれた数字であるだけだが)のチップをもらえるのだ。そしてサーニャはすでにそれを八倍以上に膨らませて、今勝った分を入れればゆうに五千ドル分になっている。手に入れたチップの枚数に応じてビンゴカードがもらえて、ダンスの最後にビンゴ大会に参加できるという仕組みである。
妹の灯子も、サーニャの付き添いであるレイカちゃんもポーカーのルールすらよく理解していないまま参加し、あれやよあれよと言う間にチップを失ってすっからかんになってしまったが、このサーニャ少年だけは強烈な運の良さと勝負強さを発揮していたのである。
「すげぇな、サーニャ。お前こんな才能があったのか。卒業したらさっさとラスベガスに行ったほうがいいんじゃないか」と俺がチップの山をハグするように抱え込んでいる友人に呆れていると、
「違いねぇな! あっはっは!」と高らかに笑うサーニャなのであった。「お前もやれよ、タカ。格の違いってのを見せてやるよ」
それまで観戦に徹していた俺は、手を横に振った。もともとカードゲームはあまり得意ではないし、覚えたてのポーカーで勝てるとは到底思っていない。チップを全て失うよりかは、五百ドル分のチップを大事に取っておいて、最後にビンゴ大会に軽く参加するぐらいの方が勝率が良いだろう。
「俺は――」と言いかけた、その時。




