第14話 あの子と一緒に、ダンスのドレスを選んでいる。
「どっちが似合うと思う?」
俺は彼女の持つ二つのドレスを短い時間見比べて、そして言った。
「どっちも似たようなもんだな」
「もー!」と両の手にドレスを持った少女は不満爆発といった具合で唇を尖らせて、地団駄を踏んだ。「そんなんだから、断られるんじゃないの?」
「余計なお世話」と俺はやはり短く言うと、ショップ内を見渡した。学生向けのドレスが所狭しと並んでいる。大人ものならともかく、子供向けでこのようなショップが存在するのがまたアメリカらしいな、と俺は思った。あんまり需要がなさそうだが、果たしてどうやって生計を立てているのだろうか?
ショップはモールの中でも一等地と言っていいぐらい、ファンシーな一角に佇んでいる。
奥ではやはりドレスを着た店員が、巻尺を肩にかけて、少女の体のサイズをあれこれ測っている。
「そうよね、ファーストダンスだものね」と彼女はうんうんと頷くが、なかなか合うサイズがないらしく、奥からあれを持ってこいだの、この間の箱に詰めたXXSサイズがどうだのと他の店員に矢継ぎ早に注文を出している。
灯子はスパンコールがあるといいだとか、緑とか青の色の方が好きだとか、やはり注文を出して店員を困らせていた。まぁ、あの様子なら後一時間はかかるだろう。隣で同じくキャーキャーやっているのは、妹の同級生のレイカちゃんである。かわいそうに、妹のドレス選びに付き合わされているのだが、なんだかんだで彼女も彼女で試着をして嬉しそうである。
レイカちゃんはただでさえ小柄な妹よりもさらに頭一つ小さいから、それこそ合うサイズがなかなか見つけ辛そうだが……。
――結局、トリクシーには断られてしまった。
「嫌よ」と言う彼女はしかしどこか悪戯っぽく嬉しそうで、あながちアリソンや母の言っていた「男子にダンスに誘われて喜ばない女はいない」と言うのは本当かもしれないと思った。
どうして、と聞ける前に、トリクシーは立ち上がって、俺の目をしっかりと見つめて、こう言ったのだ。
「でも、誘ってくれてありがとうね。あんた、そんな悪い奴じゃないよ」
そう言って彼女はやや遅刻して、二限目に向かったのであった。数歩歩いて振り返ると、
「まだちょっと自己中心的だけどね!」と笑いながら言って、そして駆けて行った。俺は彼女の金髪が黒い野球帽の下ではためくのを、呆然と見つめていた。
これは失恋なのだろうか。失恋なのだろう。
俺は胸の中でやはりあの時――来学期の授業を選ぶときに感じたのと同じ――空白感を感じながら、妹のドレス選びを見つめていた。
トリクシーとはダンスに行かない旨を報告をしたとき、
「あらぁ」と母は残念そうに言ったが、その表情はニヤニヤしていて、あまり悲しそうではなかった。
その理由を問いただすと、
「だって、テレビに出てる女優さんなんでしょ? うちの子が何かしちゃったら、って思ったら、そりゃあねぇ」と笑うのだった。
「何かするって、なんだよ」
「タカ兄さぁ、セクハラって日本より遥かにアメリカの方が糾弾されるんだよ。社会的に生きていけないよ」と妹が嬉しそうに割り込んできた。
最初はトリクシーと近づける口実がなくなってしまったことに落胆していた妹だが、「代わりに灯子をダンスに連れて行くよ」と俺が言うと手のひらを返したように元気になったのだった。そしてすぐさま携帯電話で友達とキャキャー話し出して、あれよあれよと言う間に、週末にドレスを買いに行くことになったのだった。
俺は財布の中に入れていた、ダンスチケットを見つめた。
【ペア・チケット 四十ドル】と書かれた、小さなオレンジ色の切符のような紙片である。
本当はこれでトリクシーと行きたかった。事実だ。妹が喜ぶ姿を見たくない兄はいないだろうが、しかし本当のことを言えばトリクシーと行きたかったに決まっている。
だが同時に、俺が彼女に断られてから、トリクシーは俺を露骨に避けることはなかった。
積極的に話しかけると言うことはなかったが、一限目で顔を合わせれば、軽く目礼を返してくれる程度には関係は改善された。
やはり授業が終わると言葉を交わすこともなく足早に去っていくのは同じだったが、最後にチラリと俺の方を見てくれるという変化があった。
その小さな変化、小さな関心が、決して何か大きなものに結実するということはないとわかっていながらも、俺はその事実にささやか以上の喜びを見出していた。
失恋、なのだろう。再び俺は考える。寝る前も考える。
俺は失恋したのだろう。
特に成就する恋だとは思ってなかったし、純粋にトリクシーのことが素敵だと思っていただけの話だ。
それも元を辿れば、外見的な特徴に惹かれただけにすぎない。白い肌、青い目、金色の髪、グラマラスなボディーライン。
これに惹かれない男子高校生がいるだろうか? まして、相手は大人気ドラマに出演したことがある女優だ。
そう考えると、「そばに置きたいから」というトリクシーの言葉はあながち間違いではないのかもしれない。自分の隣にいるのがハリウッド女優だなんて、夢のまた夢みたいな話だ。
だから俺はまだ自己中心的なのだろうか?
そうやって、考え事に耽ることが多くなった。今も、ドレス選びに身が入らず、ぼうっと並んでいるドレスの山を見つめながら考えを整理していた。
「ねぇ、こっちはどう?」と妹とレイカちゃんが俺の方に走ってきた。妹は深い青の、スパンコールがキラキラと蛍光灯を乱反射させる煌びやかなドレスを持っており、レイカちゃんも銀色の、随分と大人っぽい渋いドレスを手に持っている。
青いドレスは美しかった。派手な色であるはずなのに、とても上品で、見ていて心が落ち着いてくる。海を見ると気持ちがいつの間にか落ち着くのと同じ原理なのかもしれない。カリフォルニアの青い空よりも、深い青。
「いいな」と俺が頷くと、灯子はパァッと明るい顔になった。
「でしょ、いいよねぇ、この青! 本当に深い青って綺麗!」
だよねー、と友人が同意するのを聞いて、妹はさらに嬉しそうだ。
俺は彼女の持っているドレスを見て、無意識に、トリクシーのことを考えていたことに気づいた。
トリクシーの青い目。カリフォルニアの青い空よりも深い青。
俺は首を振って、なんとかその雑念が、女々しい煩悩が俺の頭を鷲掴みにしようとするのを振り解こうとする。どこまで引きずるんだろう。




