第11話 ハリウッド女優と仲良くなる方法を、友人たちは知っている!?
気づけば夕方になっていた。俺は一話一時間もあるドラマを六本もぶっ続けて見ていたのだ。昼食をとるのも忘れていたらしい。
ちょうど妹が帰ってきて、父と母もあらかた掃除が終わったのか、くたびれた様子でリビングに戻ってきたところであった。
ドラマをぶっ通して見たせいか、俺も身体中が痛くなっていた。しかしどこか、心の中で密かな満足感を感じていたのも事実だった。
架空のキャラクターであるバーナデットしか見ていない人たちと違い、俺は本当のトリクシー・コーウェンを知っている。彼女の本当の声や、チアガールの格好なんてしていなくて、普段はもっとロックな格好をしていることや、かわいい系のバーナデットとは違い、クールビューティーなタイプなのだということを知っている。
それがいかに陳腐な発想なのか、自分でも痛いぐらいわかっているのに、ささやかな満足感を俺に与えるには十分であった。
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結局、それからトリクシーは俺とほとんど会話を交わしてくれなかった。
自由席ではあるものの、自然とみんな同じ席に座ることを繰り返すのか、一週間も過ぎれば一限目「イントロダクション・トゥ・スタジオアート」で俺は毎回トリクシーの隣に座るのが当たり前になっていて、誰もそれに違和感を感じていなかった。
しかし当の金髪少女は俺をまるで存在しないものかのように扱っていた。
実のところ、俺もその方が良かった。変に意識してしまうよりかは、他人となった方が良い。俺にトリクシーは過ぎた存在だった。友達になったりしようなんて考えるのもおこがましい。本当に俺は、自己中心的な存在だと心底後悔していたのだ。
ミスター・カーグはそんな俺たちを見て苦笑こそしていたが、「まぁ仲悪いよりゃいいだろ」とだけ言って済ませていた。
例のノッポと小太りも同じクラスだったが、彼らはトリクシーを見てニヤニヤしてはいたものの、俺と同じく完全に無視されていたこともあってか、次第につまらなそうにするだけで、特にその後彼女にちょっかいを出していることはなさそうだった。トリクシーもトリクシーで、授業が終わると人が多い道をあえて通って、変な厄介ごとには巻き込まれないように努めているようだった。
昼食はサーニャとアリソンと過ごすのが恒例になった。俺と同じ、日本から来ている生徒もある程度はいて、彼らは彼らで自分たちのコミュニティを築いているらしかったが、参加するタイミングを逃したことと、この二人と一緒にいるのが心地よかったこともあって、俺はずっと昼間はこの陽気なロシア人と呑気なアメリカ人と一緒に飯を食っていた。
アリソンはよくデジタルカメラをぶら下げていて、「この写真、イヤーブックに載せるのどうかな」とケンジントン・ハイスクールの日常を切り取った絵を俺たちに見せてくれた。
サーニャは相変わらずパソコンクラブという名前のゲームセンターに通っており、何かのゲームで誰それに勝ったとか、そういう他愛もない話をよくしていた。
俺は結局どこのクラブにも所属しないまま、たまにアリソンのイヤーブック委員会の雑用をしたり、サーニャと一緒にパソコンクラブへと出向いて、カーグ先生の手伝いをしたりした。それぐらいの束縛感がない自由出勤システムの方が、俺の性分にあっていたのだ。
アリソンの手伝いはスクラップ作りとか、記事の感想や写真の選別とかで、カーグ先生の手伝いの方もやはりコードを引っ張ってくるとか、サーバーの中の埃を除去するとか、そういった雑用と言っても良いものばかりで、いずれも責任感がなくて気楽な作業であった。
もしかすると二人とも、特に所属がない俺を気遣ってくれていたのかもしれないが、言葉に出さないで仕事だけ振ってくれるのがありがたかった。
そうやって俺は昼間は三人でどうでもいい話をしながら、めいめい食事をとって、日々過ごしていた。だんだんと俺の中にあったトリクシーに対する感情というものが薄れて、むしろ、中学の時の同級生たちと同じように、遠い存在へと成り下がっていくのを感じていた。一日、また一日と時間が過ぎ去っていくのを、確かな感触を持たないまま、指の間から砂粒がこぼれていくような感覚を覚えながら心に刻んでいくのである。
そうして一ヶ月も過ぎれば、日々のルーチンというものが出来上がってくる。このルートで歩いて、この場所で集まり、このような話題を喋りあって、このような時にアリソンや美術教師カーグの手伝いに行く。毎日が同じなのが心地よくて、だけれども、どこか遠いところに不安を感じている。そんな日々であった。
ある昼下がり、アリソンが記事の原稿を一枚持ってきた。日本のA4用紙とは絶妙にサイズが違う、アメリカ基準の8.5 x 11というサイズの白い用紙に印刷されたそれは、「イージークラス」と題されていた。
「これねぇ、あれなんだよ〜」とアリソンは嬉しそうに言う。もう彼女のカリフォルニア訛りにはすっかり慣れてきた俺は、「イージーってなに、単位取りやすいってことか?」と聞いた。具体的な内容で問い返した方が、代名詞だらけのアリソンの会話から真意を引き出しやすい。
「そうそう。二年生、三年生、四年生から聞いてね、選択科目で良かったやつとか集めて見たんだ。もちろん、来学期も同じ先生が受け持つやつね。先生が変わっちゃうと同じ科目でもアレだからね〜」
「あ〜、そうだなぁ、もう来学期のことも考えなきゃいけない時期かぁ。早いなぁ」
「まだまだ時間はあるけどねぇ」と言いつつも、アリソンは首肯する。「早く決めておいた方が、気が楽だよね」
「あ、カーグ先生の授業もあるんだね」と俺は紙を見て言う。記事の中にはカーグ先生の『コンピューターサイエンス』が内容の簡単さが五点満点中四点、教師の評価が同じく五点であった。
「カーグ先生って、アートの? パソコンクラブの先生でもあるんだよね」
「そうそう、元NSAの凄腕ハッカーだぜ」とサーニャは膨らませた設定を得意げに言う。
「うん、とても優しくていい先生だよ。俺、来学期これにしようかな」
「俺も〜」
「じゃ、私もそうしようかなぁ。私でも、あれが結構あれなんだよねぇ、パソコン」
「優しいからきっと全部教えてくれると思うよ、操作とか」と俺は言うが、どこか心の中でポッカリと穴が空いているのを感じていた。
「そうかぁ、でも来学期ってことは、もう今の授業は終わりなのか……」と俺は、ボソリと呟く。
「あ〜なるほどなぁ」とサーニャは摘んでいたポテトチップスごと俺のことを指差した。「タカ、カーグの授業好きだもんなぁ」
「そんないい先生なんだぁ」とアリソンはエクボを見せて微笑むも、サーニャは違う違うと手を振った。
「カーグじゃなくて、目当てはあれだもんなぁ、タカ」
「え〜、もしかして……」アリソンは目を弓形にして笑う。
「そうそう、トリクシー・コーウェン。お熱だもんな」
「そんなわけないだろ。トリクシーはハリウッド女優だぜ。俺なんか近寄れるものか」と俺は言った。それは本心だった。自己中心的な俺なんかが側にいていい存在じゃない。ただ今度は、何かがあったら、本当に彼女のために、助けるために動きたい――そう思うのが本心だった。
「じゃあさぁ、誘ったら?」とアリソンは当たり前のように言う。
「誘うって?」とキョトンとするサーニャに対して、アリソンはニコニコしながら、あの間の抜けたカリフォルニア訛りで言う。
「学期の終わりって言ったらさぁ、あれでしょ〜」
「あぁ、アレかぁ……」とサーニャも納得したらしく、頷く。
「あれってなんだよ」と俺が聞くも、二人は俺を無視して会話を続ける。
「でも、タカがトリクシーを誘えると思うかぁ?」
「うぅ〜ん、ちょぉっと、難しいかもね〜」
「膝ついてさ、手を出して、『おぉ、白くて細くて胸の大きなトリクシー!』ってやればいいんじゃねぇのか」
「いや〜私だったら断っちゃうなぁ」
耐えかねて、俺は立ち上がる。「だからなんだよ、それ」
「放課後見てくるといいよぉ」とアリソンは笑いながら言う。「ステージにさ、ポスター貼ってあると思うよ」




