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第1話 さようなら日本、ハローアメリカ!

 かの独裁者スターリンは、政敵を記憶的にも抹消したらしい。ただ殺すのではなく、あらゆる記録から存在を消し去ったのだ。その人物が写っていた写真は巧妙に加工され最初から写っていなかったことにされ、彼らの痕跡は完全に消し去られて、公文書からも名前が削除された。

 あらゆる人とのつながりを消してしまえば、その人の存在はなかったことになる。これほど残酷な刑罰もないだろう。

 そして俺もまた同じように、記憶から消し去られた存在となった。十四年間生まれ育った日本を去り、海を越えた遥か遠いアメリカ合衆国にやってきたのだ。


***


 俺自身について語ることはほとんどない。


 関東の平凡な家に生まれて、楽器メーカーに勤務する無味乾燥な父親と、何かと心配事を見つけてくることについて類まれな才能を持っている専業主婦の母、そしてまだ現実に打ちのめされていないとにかくポジティブな小学五年生の妹の四人家族の一員として育ってきた。

 楽器メーカーに勤めているからといって、父親はミュージシャンなわけではない。むしろその逆で、自分で売っているピアノを弾くことすらできない。家族割りで安くピアノやらギターやら買えるらしいが、全員の音楽的センスが絶望的に欠如している我が家では宝の持ち腐れになるだけなので、インテリアとして白いピアノがリビングルームに置いてあるだけで、結局それも読みかけの本だとか掃除道具だとかが置かれている物置と化している。

 とはいえピアノをはじめとした楽器は世界的に需要があるものらしく、海外に拠点を広げることも前々から計画されていたらしい。


「タカ、話がある」と父が神妙な顔で俺を呼んだのはおよそ一年前のことだ。「父さんの会社な、アメリカに支社を打ち立てることになった」


「へー、すごいじゃん」と俺はぼんやりとスマホを眺めながら言った。父親に対して尊敬の念がなかったわけではないが、彼がどんな仕事をしているかについては一切の興味がなかった。有名なバンドの誰々がテレビで父親の会社のピアノを紹介してくれたとか、今度の武道館ライブでやはり父親の会社のギターが使われるとか、そういう話はちょくちょく食卓で上がることはあったが、いつも俺や妹から出るのは「へー」以上のものではなかった。


 しかし今回ばかりは、父親はより威厳のこもった、違う声色で話してきた。

「いいかい、タカ」と彼は俺の肩に手を置いて語る。

「んだよ、気持ちわりぃな」と俺は笑いながらも、手を払い除けるようなことはしない。きっと何か大事な話があるのだろうな、と内心ワクワクしていたからだ。俺のことを孝則ではなく「タカ」と愛称で呼ぶときは、大体何か良いことを告げる時だ。「タカ、誕生日プレゼントだぞ」とかね。

「うちもアメリカに行くんだ」

「うちって、うちら全員?」

「そうだ。小笠原家全員だ」


 こうして、小笠原孝則(たかのり)とその父親、母親、妹はアメリカに行くことが決まったのだ。

 

***


 海外旅行はおろか、ろくに関東圏を出たことすらなかった俺にとってこのニュースは衝撃的ではあったものの、今ひとつ現実味がないままふわふわと頭の中をたゆたっていた。アメリカではみんな英語話すんだろうなぁ、とか、金髪で青い目の人がいるんだろうなぁ、とか、そう言う小学生レベルの「ぼくのかんがえたあめりか」の図がぐるぐると回っているだけで、いつまで経っても現実感というものが無かったのだ。


 俺は高校一年生(向こうでは9年生というらしい)、妹は中学一年生(同じく、6年生という扱いらしい)の頭からという良いタイミングで行けることになったので、「既に人間関係が出来上がっている環境に急に異分子かつ外国人たる俺が放り込まれる」という最悪の事態は回避できたものの、「英語とかどうするんだよ」という問題が新たに降りかかってきた。心配性な母親があちこちに奔走した結果、俺はそれまで通っていた学習塾や部活動(と言っても、惰性で続けていた剣道だが)を辞めて、新たに英会話教室に通うことになった。


 英語の実力と熱意だけはずば抜けているもののそれ以外はパッとしない、海外生活経験がある大学生の講師にみっちりと教わったおかげか、俺の英語力だけはどんどん向上した。

 受験や学校の成績というものをほとんど気にしなくても良い身分になった俺は、ひたすらに英語に打ち込むことができた。人間とは不思議なもので、自分の持っているキャパシティを全て何か一点に注ぎ込めば、プロになれるとは決して言わないがそれなりのレベルになれるらしい。

 日本の卒業式は三月、アメリカの高校の入学式は八月なので、若干の時間差があったのも功を奏した。

 日本を去る時には、俺の英語力はある程度日常的な会話はヒアリング・スピーキングともに「なんとかなる」レベルまでに向上していた。

 人間、成せばなんとかなるものである。


 学校を卒業してしまうと、長年一緒だった地元の友達たちと俺を繋ぐ紐帯は、ささやかな寄せ書きの色紙だけとなった。


『また会おうぜ』

『アメリカで撃たれるなよ!』

『ギャングに気をつけてね』


 半分――いやそれ以上か――ふざけているとしか思えないクラスメートたちからのメッセージが放射円状に書かれ、その中心には中学三年生クラス一同の写真があった。俺はクラス写真を撮る日にインフルエンザで倒れていたので、右上に顔写真が金色に縁取られて添えられていた。なんとも締まりがない写真である。ここを親指で隠してしまえば、本当に俺の存在が消えてなくなる。


 迂闊にもアメリカへと行く前に携帯電話を解約して売却してしまったものだから(父親曰く「向こうでみんなが持っているのと同じやつを買ってやるさ」とのことだった)、LINEのつながりもなくなり、文字通り俺は孤立した状態で海を渡った。

 思ってみれば、あのたった一つの小さな端末で、あらゆる人間関係が構築されていたのだ。それほどに脆い、薄い氷の上に建てられた家のような俺の日本での十数年間は、あっという間に消え去ってしまった。


 海外で使うことがないであろう日本の教科書や、剣道の防具など雑多なものを断捨離してしまった今、過去を思い返すために使える品はこのちっぽけな色紙しかない。そしてこの色紙を書いた人たちも、きっと後数年、いや、数ヶ月、下手すると数週間もすればそんなものにメッセージを書き込んだということを忘れてしまうだろう。

 さようなら、俺の中学生活。こんにちは、白紙の世界。


 よっぽど捨ててやろうと思ったが、長い年月を過ごした生活を忘れることもできず、俺は色紙をアメリカの新しい自室のベッドサイドに飾ったのだった。


***


 アメリカのハイスクールはひとえに異世界である。


 まず規模が段違いだ。一学年九百人程度、こちらの高校は四年制なのでなんと教職員を含めれば四千人近い人数が在校していることになる。俺が今まで通っていた保育園・幼稚園・小学校・中学校の生徒数を合計しても到底届かない規模である。

 それはかえって好都合でもあった。四千人のうちの一人という瑣末な存在になることができれば、気苦労も減るというわけだ。環境に慣れるまでは変に目立つことは何がなんでも避けるべきである、という臆病者丸出しの気持ちが勝る今、華やかな高校デビューは涙を飲んで諦めて黒子に徹することを優先としたかった。

 さらに異世界感に拍車をかけているのは言語の壁である。いくら英会話を練習したところで、現地人たるアメリカ合衆国民の喋るスピードは駅前留学のそれとはF1カーと三輪車ほどの差がある。一度言われたことを分解して頭の中で呟き返すことでようやく言っている意味が理解できるレベルだが、その頃にはもうお構いなしに次の言葉を発している。

 おかげさまで、俺よりもはるかに英語に疎い母親が俺が入学する高校からの電話応対をした結果、まさかの入学前オリエンテーションへの参加を忘れるというとんでもない事態が発生したのだ。

 つまり正真正銘、何の準備もなしに俺は高校初日を迎えることになったのである。


「参加できなかった方には予備日を用意していますのでそちらに参加くださいね!」ぐらいの心遣いがあっても良さそうなものだが、非情にもそのようなものは無いらしく、必要な物品のリストと向こうが勝手に組んだ俺の第一学期のカリキュラムが送られてきた。本来なら選択授業などを選べるそうだが、何もかもが向こうの適当な匙加減でスタートすることになった。まさに丸腰で異世界に召喚された勇者・・・となるべきものそのものである。あいにく俺はそのような苦境を乗り越えるチート能力は持ち合わせていない。

 とはいえ、いくら英語の授業だからと言ってもカリキュラム自体はそう日本と変わるものではない。例えば数学、歴史、美術などは国が変わっても内容がそうそう変わるものではない。無論全て英語で授業が行われるというハードルはそれでも高くそびえ立つが、聞いたところによると日本の方が内容的には学年に対して進んでいるケースが多いらしく、言語の壁さえ乗り越えてしまえばむしろテストなどで好成績を収めるのは楽らしい。俺のカリキュラムを勝手に組んだスタッフさんもそこは分かっているらしく、日本で言うところの国語にあたる「イングリッシュ」の授業は留学生等を対象としたレベルのものを選んでくれていた。


 アメリカの授業の特徴はレベルに合わせたものが選択できるところだ、と父親はどこかで聞きかじった知識を得意そうに俺に披露していた。

「数学が得意な奴は、高校一年生から大学レベルの微積分とかも取ろうと思えば取れるらしいぞ」と彼は俺が通うことになる「ケンジントン・ハイスクール」の分厚いパンフレットをひらひらとしながら言った。

「でも、あえて難しい授業受ける必要ってあるの? それ、成績悪くなって不利になるっぽくない?」とジトっとした目で反論してくるのは、ネイルをいじっている妹だ。ちゃっかり中学デビューを狙っているらしく、身だしなみの準備には余念がない。

「いや、そういうわけではないらしい。難しい授業でとった「B」評価は、簡単なクラスでとった「A」評価よりも重みがつけられるそうだ。そしてよりハイレベルな授業の単位を取得している方が、大学受験にも有利らしいぞ」

 それはいいのだが、果たして俺は高校卒業後、大学進学までこの国にいるのだろうか……。高校でさえ苦しいのが想像できるのに、海外の大学に進学する自分の姿は全くもって考えられない。


 とはいえ、父親の米国赴任がどれだけの長さになるのかはわからないが、それだけ先のことを今考えても気苦労が増えるだけだ。


 まずはこのマンモス校であるケンジントン・ハイスクールに無事入学し、穏便に数ヶ月やり過ごしてから先のことを考えてもいいだろう。そう心に誓い、俺は入学までの僅かな時間を高校の地図(冗談抜きで東京ドーム何個分、という言い方が似合うような広さをしている)を見ながら第一学期のクラスルームの場所を覚えたり(科目ごとに移動となる)、必要な文具やらを揃えたりして過ごして行ったのだった・・・。

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