ぴかぴかの黒板の理不尽
「先生? 黒板ないよ」
とぼくが言ったのが夏休みの登校日で、そのとき先生は、
「磨いてもらっているんだよ」
と答えてくれた。
それから九月になって、いざ教室にやってくると、黒板はぴかぴかになっていて、ああ登校日にあんな話をしたっけというのを思い出した。
国語の授業のとき、ぼくが前に出て、「松林」と答えを書いた。いの一番に書き終わったから、一緒に前に出たやつをしり目にぼくは先生の方を向いて、
「先生できたよ」
と言ったけれど、先生はにっこりせずに、「二番をやるんだよ」と言った。
ぼくにしてみれば、ちゃんと二番に「松林」を書いたのだから、えっと思って見てみてると、ぼくの松林が空欄になっていた。
「ぼく書いたのに」
と先生に聞こえるようにひとりごとを言って、急いで松林と書いた。ぼくは一番最後に机に戻る羽目になった。
が、先生はまたぼくを呼び止めて、「書いた?」と聞いた。ぼくは大きめに頷いて見せたけど、ふと黒板を見ると、ぼくの松林が消えていた。心臓がどきどきし始めた。
もう慌てたというもんじゃない。走るようにして空欄の前に立ったけれど、もしやと思って隣を見てみた。こっちも空欄だった。ここにきてぼくは訳がわからないという心地になり、また同時に、ちょっとほっとした。そこで考えてみると、消えた答えはぼくと隣の春太くんので、あと二人のは残ったままだ。ぼくは松林と書いて、春太くんは問題をみるに「時計」と書いたに違いない。それから残っているのは「白米」と「電車」である。この組み合わせには共通点があるのに違いなく、ぼくの二度の汚名をすすぐためには是非とも見つけなければならないのだ……。
「雄大君、どうしたの?」
と、からだをかがめてぼくの顔を覗き込んだ先生が、すぐとなりで問うた。あまりにもにわかだったからぼくはビックリして、横へ立ち退く拍子に黒板にぶつかった。痛くなかったけど、運悪くちゃんと書かれてあった「電車」の字の一部が、一条の擦った分だけ消えてしまった。
「あ」というのがぼくの口を突いて出てきた。それから不安になって先生の方を見た。先生はにっこりして、
「痛くなかった?」
と聞いてくれた。
ぼくは頷いてから、ちょっと勇気をもらったという心地で、消えたのを書き足そうと思って向き直った。が、どういうことだろうか、「電車」がすっかり消えていた。
半端に残っていたはずなのに、綺麗に消えてしまったのだ。それはいかにも綺麗に消えていて、とても黒板けしの仕業には思えなかった。ここにきてぼくは怖くなった。
「先生! 消える!」
とぼくはすごい声を出した。
「ああ、消えてしまったね」
と先生がつぶやいた。消えたぼくと春太くんともうひとりの答えをみながら先生の指が黒板に向かった。指にはチョークが握られている。
それから先生が消えたぼくたちから答えを聞いた。先生は聞いた通りに空欄へ単語を書きこんだ。立派な「松林」が書きつけられる。「時計」の形も丁寧な線でしゃんとしている。それから「電車」だって綺麗だ。
答えは消えなかった。ずっと消えないのだった。ふと、「白米」をみた。
奈々ちゃんの書いた「白米」も、先生の三つの単語に並んで、綺麗な字である。
「実は黒板をなおしていらい、どうもわがままになったみたいで……」
と先生が黒板に手のひらをおいて、ぼくや、それからほかの生徒たちの方も見ながら、
「ぴかぴかになって帰ってきたのはよかったけど、どうも"この子"はぴかぴかを気に入って、チョークの粉がつくのは説得できたものの、代わりに、書きつける字を選ぶようになってしまった。丁寧じゃないと、嫌がってしまうんだ」
ぼくが最初黒板に書いたときは、誰よりも一番に書きたかった衝動に任せて、書きなぐったし、二回目も焦りからふにゃふにゃの線になった。汚い字で答えを書いたのである。ちゃんとした「電車」をぼくが消してちゃんとしない文字に変えてしまった。春太くんはもとより字が汚いので有名だ。
「先生。わがままな黒板になったの?」
「悪気があってそうしてるんじゃ……きっとないと思う。ずっとこの学校にいたものだから、生徒を思う気持ちはとても強い。でも、みんなだって磨いた後の机の上は、鉛筆もノートも筆箱も、綺麗に並べたくならない?」
「……じゃあぼく、綺麗な字で書くよ。ぴかぴかの黒板のために」
とぼくはあきらめ半分に言った。だって、黒板ともなると授業のかなめで、これの機嫌が悪いと誰も解答できなくなってしまう。機嫌を取らせるために、わがままをやっているんだ。あきれたやつだ。粉だらけになるのが黒板じゃないか。こいつは一年生気分なんだ……。
先生はにっこり笑った。けれども、ぼくにしてみれば、せっかく書いたのをなにも消さなくたっていいじゃんと思うから、どうにも納得できないで、ひっそり心のうちで、汚い黒板め、と軽侮してやった。おわり