8話:岡山の魚漁3
「直売所で買うたらすぐ茹でてもらう」生きとるうちに茹でないとうまみは半減。
「活き蟹がおらなんだら、茹でたやつを買うて来い。直売所なら信用が置ける」。
「 蟹こそ鮮度が命」
「漁協の茹で蟹が一番じゃ」。
秋深まると、親蟹にセキ「甲羅の中に卵」が入る。
「そうなると、めん蟹『メスの蟹』のもんじゃ」
「セキの柔いのと味噌がほんまにうめえ」
10月になると、岡山の街の料理屋さんも一斉に「ガザミあります」と張り出される。
蟹は、日本国中、産地ごとにプライドが強い。
「タラバ・花咲・松葉・越前・ケガニ・クリガニと全国各地、ブランド蟹が多い」
「しかし、前浜の蟹が日本一と自慢は尽きない」
「岡山のプライドは、この蟹、がざみ、わたりガニじゃ」
また、秋10月頃から、「岡山かき」がで回る。かきは二枚貝なのだ。二枚貝と言ったらあさりやはまぐり、ほたてが思い浮かぶ。あさりやはまぐりは大きな足を使って砂に潜る。
ホタテ貝は、大きな貝柱を使って身に危険を感じると殻をパクパクさせて、かなりの距離を泳ぐ。二枚貝って結構運動する。だから筋肉が発達して、そこを食べるとおいしい。
「カキ」は、と言うと、ご存知のようにカキは岩や船底につく。だから足などの筋肉は貝柱以外必要ない。カキは、内臓と貝柱だけ。一生をかけてひたすら海水を吸い込み餌となるプランクトンを吸い取って太る。
成長や産卵に必要な養分を目いっぱい蓄えて丸々と太る。カキが蓄えた栄養は人間にとっても貴重なもので、だからとってもおいしいのだ。動けないカキだからこそ、丸々と元気に育ってもらう。だから船底は、カキにとって居心地がよい。
そして、おいしい餌が、ふんだんにある海を作ってやらなければならない。岡山の漁師さんたちはそのために山に植林する。昔、広がっていたアマモの茂みや干潟を取り戻している。
一生懸命「カキ」に尽くす。 「岡山かき」を見つけたら、ぜひ味わってみてください。年の瀬12月になると、ここ岡山でも「げた」が出てくる。げたと言っても、下駄ではなく、魚、舌平目。
冬の朝、食卓においてある煮つけのにこごり、小げたのからあげの香ばしさ。小骨がなく、身離れが良いので子供にも食べやすい。低温下に置いておくと煮汁はにこごりになり、美味しいジュレができる。
「げた」は岡山の底魚の代表魚種で、たくさん取れるので安い。以上の様に1年中、漁師は、船に乗り魚種の豊富な岡山の海で漁師をやっている。しかし、海が荒れると、漁に出られず漁師仲間で麻雀したり酒を飲んだりして過ごす。
だから漁師仲間の結束は強い。漁師は、「板子一枚下は地獄」と言われるように、きつい仕事で、海が荒れてる時に無理して漁に行き船が転覆、または、海に飲み込まれて死ぬ漁師もいる程、危険な商売だ。
など理由をつけては、小山田は、児島のボートレース場、玉野競輪場、街の麻雀荘に出かけていた。しかし、ギャンブラーもベテランになると引き際を心得ていて決して無理をしない。
勝負事の負けは、必ず、自分の小遣いの範囲内におさめる。これが、やとわれ貧乏漁師にとっての鉄則。これを守れるから長く、ギャンブルをつづけられるのである。
その他、漁師の良い所は、身が欠けたり、傷ついたり、規格より小さい魚で売り物にならない魚を無料でもらえる事。それを持ち帰り家族の食料にしたり、その魚と近所の仲の良い百姓と米、野菜、果物と物々交換する事。
これによって家族の食費を切り詰められる。つまり贅沢しなければ、食費が、極めて安くなる。その上、小山田は、仲間のギャンブラーが、儲けた時には、ヨイショが上手で、ご馳走にありついた。
つまり、酒を飲ませてもらったりした。いわゆる世渡り上手だった。人なつっこい笑顔を武器に男女問わず人に好かれ助けてあげたい気にさせる、生来、持って生まれた、本能のようなものが備わっていた。
そのため、多くの女友達、男友達、先輩、長老を味方につけた。1988年を迎えると冬の寒さが厳しく1月は、漁に出られない日々が続いた。雨やみぞれが降り小山田は、仲間達と麻雀を楽しんでいた。
その後、近くの安いバーへ行き飲んで、その店の手伝いに来ていた若い女と猥談「わいだん」をして、からかっていた。今年は、冬の漁は、イイダコが、多く捕れて値が、下がるので小さかったり足が欠けてるイイダコは、自宅に持ち帰った。
イイダコは、たこ飯にしたり煮付けたり串焼きにしたり茹でたイイダコをコチジャン、豆板醤、オーリーブオイルと小さく切ったニンニクと炒めたりして食べた。
また売り物にならない小さな「カキ」も「カキ飯」にして食べたりした。その他、「タチガイ」もとれるが、これは、多くとれないので漁師の口に入いることは少なく料理屋に高く買ってもらう事が多かった。