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4話:小山田の結婚と双子出産

 それを聞いて、お父さんが、実は、私も株投資歴25年で、儲かったり、損したりで、トータル1000万円のプラスだと笑いながら言った。君は、投資のセンスがある様だねと急に明るい顔になった。


 それで、今後の目標金額はと聞かれ、1億円と答えたところ、それは頼もしい、頑張ってくれと言い、それだけあれば、結婚してもかまわないと言ってくれた。お母さんも娘を宜しくと言ってくれた。


 すると、兼高良江さんが、大粒の涙をながして、ありがとうと、両親に言い、深々と頭を下げた。お父さんが、しっかり頑張れよと言い、お母さんが体に気をつけるのだよと、言うと、声を上げて泣いた。


 その光景を見ていた、御両親の目にも涙が浮かんでいた。そして、小山田が、きっと幸せにして、可愛い子供を作りますので、その時は、宜しくお願いしますと挨拶して、兼高家を後にした。


 その後、結婚式は、1981年10月10日にしようとなり、岡山の結婚式場に、小山田家の方から15人と兼高家から20人の計35人で結婚式を開くことになり予約を入れた。


 そして、梅雨が明けて夏が来て、お盆が過ぎた。9月は、下旬から雨が多く、10月10日の天気予報も雨だった。やがて10月10日、朝、雨降り。結婚式は、11時からで、披露宴が13時からだった。


 そこで、良江さんは、6時に家を出て、髪を結ってもらい、9時前に結婚式場について、和装だったので着付けをしてもらい、10時過ぎには、新郎も新婦も結婚式の支度ができた。


 そして神前結婚式が始まり、形式通り、1時間ほどで、終了した。その後、ホテルの披露宴会場に入場した。たくさんの拍手に迎えられ、多くのフラッシュとカメラのシャッターの音が響いた。


 披露宴には、両親を始め、友人の真崎夫妻や漁師仲間が来てくれた。木下家でも家族、親戚、仕事の関係者などが来ていた。そして、余興、歌が披露されて、宴もたけなわになった。


 その後、両親からの言葉、新郎新婦のスピーチで、感動の涙で言葉がつまるシーンも感動的。そして14時には、全て終了。その時、真崎は、以前住んでた自分で手直しした家を出て、新しい2DKのアパートに引っ越した。


 翌日から3泊4日で、京都、奈良、大阪、神戸を回ってくる新婚旅行に出かけた。新婚旅行から帰ってきて、奥さんの良江さんは、実家の兼高宝飾店で働きに行き、小山田は、変わらず、漁師を続けた。


 しかし生活のリズムは、変わらず、友人の真崎と麻雀したりしていたが、競艇は、行かなくなった。その後1982年を迎えた。初詣でに行き、早く子供が欲しいと祈願していた。


 すると、直ぐに願いが叶い、2月20日、奥さんが体調が悪いと言い産婦人科へ行くと、おめでたですと言われ、出産予定日が1982年8月30日といわれた。やがて4月、春本番を迎え、5月の連休を過ぎた。


 この頃、奥さんのお腹が、急に大きくなった。その後に、検診で、もしかしたら双子かも知れないと言われた。7月に入ると双子の可能性が高いと言われ、8月30日、双子の男の子を出産した。


 数日、子供の名前を考えて、小山田健一、健二と名付けた。出産後、小山田の実の母が来てくれて、面倒を見てくれた。小山田に、双子の男の子が誕生したと聞かされた。


 船の頭領が、小山田に、船に乗らなくて良いから、魚の運搬など、陸の仕事をしろと言ってくれ、早朝の仕事なり、仕事が終わると直ぐに家に帰り、家事の手伝いをするようになった。


 そして、仕事と家事に忙しくしているうちに1983年があけた。その後も船に乗ることもなく、船からの荷下ろしとトラックで魚を運んだりする、港の市場の仕事を始めた。



 小山田の明るい性格ときちんとした仕事と愛想の素さで人気者になり多くの仕事をもらった。そのうち競りの見習いをしろと言われ1年間、先輩に指導してもらい1984年から競りの仕事も任されるようになった。


 すると、早朝の仕事が中心で昼間、家にいることができて子供の面倒を見ることもでき非常に助かった。しかし、夜は21時に寝て、朝3時に起きる生活となった。


 疲れがたまると、昼寝するときもあるほど、ハードワークだった。充実した日を過ごしていると日のたつのも早く感じられ、あっという間に1984年となった。冬が終わり3月となり、やがて桜が咲き始めた。


 そんな日の昼過ぎ、小山田の奥さんが、体調が悪いと言い、産婦人科へ行くと、おめでただと言われ、出産予定日が1984年11月28日と告げられた。その頃は、港の市場で競りの仕事をしていた。


 そして、地元の漁業組合の組合長や幹部にも、可愛がられて、飲み会にも呼ばれるようになった。やがて、梅雨となり、空けると夏、奥さんのお腹も大きくなり、9月、朝晩涼しくなってきた。

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