31話:姫子の医学部卒業と漁協に1億円の融資
翌日の晩のクリスマスパーティーでケーキを食べて、ワインを飲んで、現状を聞くと姫子が、いよいよ来年2009年3月に橫浜市大医学部を卒業すると言い、翌年2010年の2月に医師国家試験を受けると話した。
そのために医学部卒業後、医師国家試験のための予備校に入りたいと言われ費用はと聞くと100万円と言われ了解した。一方、健一の方は、仕事場の同僚、吉川映子との付き合いも順調に行っていると話した。
その時、健一が、ところで健二はと、水を向けると、彼女は、いるが、そこまで進んでいないと笑いながら言った。どんな子と聞くと、小型船舶2級の試験に最近合格した永山沢子さんと始めて打ち明けた。
彼女は、岡山の質屋の娘で店を手伝っていると紹介した。小山田クルーズ・カンパニーで、健二に、小型船舶2級の学科試験と実地試験の指導を受け、2008年夏の実技試験で永山沢子さんも小型船舶2級に合格したと説明した。
携帯電話で彼女の写真を見せると、スポーティーで体の大きな娘さんねと母が言うと、最近の女性は、大きな体の人がいっぱいいると笑いながら語った。ちなみに、身長は、健二と同じだと言った。
姫子が、運動神経良さそうと言うと、その通りと言い、高校時代陸上の選手だったと話した。可愛い娘さんねと母が笑った。その後、2008年が終わり2009年を迎えた。
今年も初詣でに行き、母は、姫子が無事、橫浜市大学部を卒業できるようにと祈り、健一と健二は、彼女との付き合いがうまくいくように願った。姫子は、卒業後の医師国家試験に合格、父は、会社の成長を願った。
そして、2009年1月4日、姫子と健一は橫浜に戻っていった。1月6日、漁業協同組合の北上組合長から電話が入り1月10日、19時から近くの料理屋で漁業協同組合と関連業者の新年会に参加して欲しいと連絡が入った。
それを聞き、了解し行くと伝えた。会場の大きな魚料理の店の部屋に20人程の男たちが、集まっていた。そして、北上組合長が、関連業者を1人ずつ紹介し、小山田の番になった。
すると、北上さんが、こちらが小山田クルーズ・カンパニーの社長の小山田聡さんで数年前1億円をかけて船着き場の改修工事をしてもらった。さらに、昨年は、魚市場と船着き場のコンクリート改修に1億円を融資してくれた恩人と紹介した。
その後、おおきな拍手が巻き起こった。そして、小山田が我が小山田クルーズ・カンパニーは、先代の組合長の頃から付き合いが古い。だから、先代の組合長に依頼されたことは、無理しても、実現させた。、
これからも同じ港を使わせてもらいますと言い、今後も、できる限り協力していくつもりなので、宜しくお願いしますといった。その後、全員の紹介を終わり、形式張った挨拶は全て終わった。
すると、北上組合長が小山田の横に来て、昨年は、立場上、厳しい言い方したが、恩に感じてますよと言った。漁業協同組合の北上組合長が、毎年、1千万円ずつ返済し10年で完済する事を約束しますと言った。
私が、組合長になった時、組合の資金は、枯渇して、自分達で港を直そうとしたが、できなかった。やむを得ず、融資のお願いに、銀行、信用金庫、信用組合、魚業者、船会社を回ったが、全て断わられた。
そこで、以前、小山田さんが、港湾の改良工事費用1億円を出してくれたことを知り、お願いに、上がったと言った。実は、あなたが、最後の頼みの綱だったのです。
だから、厳しい言い方して気を悪くしたかも知れませんねと言った。しかし、小山田さんが、具体的に、融資という形で、1億円を出して、10年間で返済する事にしてくれた。
わが漁協組合は、解散の憂き目に合わなかったと言い固く握手した。そうだったのですか、それは知らなかったと言い小山田が、あの頃、原油の値段が上がり、リーマンショックで世の中不景気で困っていた時代だった。
その中で1億円出してくれと言われた時には、何、言ってるのかなと、内心、頭にきていたんですよと小山田が言うと、確かに、それは、無理もないよねと笑いながら言った。
これからは、お互い仲良く助け合っていきましょうと北上組合長、言ってくれた。その新年会後、北上組合長と携帯電話を交換して、急に親しくなっていき、大漁の時は、大きくと旨い魚を小山田の家に持って来てくれるようになった。
また、麻雀、飲み会二も誘われ、親交を深めていき、漁業組合の若手が漁だけでは、食べていかないと考え、小型船舶1,2級の免許を取るように、通わせてくれるようになった。
まさに密接な関係になっていった。その後もモノタロ株を注視し続けた。2009年3月に、姫子は無事、橫浜市大医学部を卒業。続いて2010年夏の医師国家試験に備えるため予備校に通い始め費用の100万円を父が、送金した。




