20話:インターンシップと道後温泉観光
美人の女性もいたので楽しかった。そんな楽しい興味深いNECでのインターンシップも終了し来年になれば、採用の可能性が高いかもよと、お別れパーティーの席で、先輩に肩をたたかれた。
はい、わかりました、来年も来たいと思いますと言うと、その意気だと笑いながら言った。そして、ビールを何杯ものんで、飲み過ぎたのを見て、泉田課長が、珈琲を飲んで帰ろうかと言い、喫茶店に入った。
そこで、将来、ソフトウェアのニーズは、必ず高まる、そのために、プログラマーの数が足らなくはずだと言った。だから小山田君には、プログラマーとしての資質だけでなく、指導者としての資質をつけて欲しい。
そして、NECを引っ張っていける社員になって欲しいと、あつく語ってくれ、あまり上手くのせられて、是非、泉田課長の下で働きたいですと答えてしまった。すると、笑いながら、約束だぞと言い握手して別れた。
富島社長が、今年も不景気なのか、新しい家の建築が少なく、手間のかからない、修理が多いので、ここに、多くの作業員を投入できるので、予想より1ヶ月位、早く、8月中に、作業をを終えられるかも知れないと話していた。
ただし、梅雨の長さにもよるから、まだ、確定したというわけではないがねと語った。まさにその通りに2003年8月8日21時半頃、中心気圧950ヘクトパスカル、最大風速毎秒40メートルの強い勢力を保ったまま高知県室戸市付近に上陸。
さらに8月9日6時頃、中心気圧は970ヘクトパスカル、最大風速30m/sの勢力を保って、兵庫県西宮市付近に再上陸した。岡山件邑久町175ミリの大雨をもたらした。
幸いなことに、この土地が坂道の上にある高台に位置していたため、海水が押し寄せることはなかったが、大雨で2週間近く、工事が遅れることにった。8月20日過ぎに、家の新築工事を再開できた。
8月26日、庭に、細かい砂利と砂を入れた。また、車の通る場所と10台止められる駐車場は、アスファルトを敷き詰めて、8月28日に完全に工事が終了した。
そして、家の建築費2300万円と古屋解体と庭の整備費用を会わせて2500万円を支払った。その他、子供達に1000万円貸し、2003年、総合計3500万円を支払った。
そして2003年9月1日までに小山田夫妻は、トラックで新居に運び込んでもらい引越を完了した。その後、家の片付けも終わり、2003年9月30日の朝8時に岡山を出発し四国、松山の道後温泉に2泊3日の旅に出かけた。
国道2号線を西に向かい、尾道で一休みした。その後、しまなみ海道を抜けて、四国に渡り今治から西に向かい12時前に松山に到着。昼食には松山名物の炊き込みの松山鯛めしを食べた。
松山鯛めしとは、焼いた真鯛を丸ごと一匹、シンプルな昆布ダシでご飯と一緒に土鍋で炊き上げる。味付けは鯛の塩気と旨味のみなので素材の美味しさがストレートに味わえる。
上品で、鯛のうまみが十分に堪能できる美味しいごはんだった。一休みしたら、市内のホテルにチェックインし、車をとめて、近くの道後温泉本館に向かった。道後温泉本館は、独特の瓦屋根の和風建築の3階建ての建物だった。
湯質は、アルカリ性単純泉で美容に適したのなめらかなお湯です。夏目漱石ゆかりの部屋とされる「坊ちゃんの間」と展示室の見学が無料でできる。二階席などを利用すると、浴衣の貸し出しや茶菓子を頂けた。
温泉街は多くの人が浴衣で歩いていて、タイムスリップしたかのような錯覚に陥る程だった。受付で、21時に、ライトアップがあるから、近くにお泊まりなら、是非、来て、ご覧になる良いですと、教えてくれた。
それを聞いて、夕方食後、奥さんと2人で来て見ようと話した。中に入ると券売機があり買ったチケットを受付のおばちゃんに渡す。温泉自体はこじんまりとしていて外とのギャップが印象的ですが、手入れはちゃんとされている。
30分後に奥さんと待ち合わせた。そして、風呂から上がると、湯上りのお酒が欲しくなり、美味しい冷酒を買って飲んた。商店街を歩いて10分程行くと、伊予柑サワーが売っていたので、それもいただき、飲んだが、旨い。
そして、宿に帰って、風呂上がりとほろ酔いのダブルで眠くなり、布団に入ると爆睡、2時間ほどして起きると17時を過ぎていた。だんだん、酒が抜けてくると、今度は、急激にお腹が空いてきた。
そこで、少し歩き、19時頃、大黒屋と言う「うどんと釜飯の店」に入り、牛うどんすきセットを注文して、ゆっくり食べて、ビールも飲みたかったが水で我慢した。
21時のライトアップを見学し帰って風呂上がりのビールを楽しむことにした。20時頃、店を出てホテルで、テレビを見ながら時間を潰し、21時前にホテルを出て道後温泉本館に向かい21時を迎えると電灯に灯りがついた。