2話:真崎の結婚と不妊
それを聞いた、真崎が、スカイライン2000GTを飛ばして長距離ドライブをすると喜ぶと思い、その計画を話した。6月、1泊2日で、出雲大社、宍道湖を巡るドライブへ出かけた。
そして米子、松江、宍道湖、出雲大社など名所をめぐり、玉造温泉の和風高級ホテルにとまり、美味しい料理を食べてきて、木下さんが、大喜びしていたと聞かされた。次回は、四国に行きたいと話していたようだ。
10月にも、岡山県からフェリーの使って四国に渡り、高松、坂井、丸亀で温泉に入ったり、讃岐うどんを食べたりし、海の見える素敵なホテルに宿泊して、美味しい魚の刺身、煮魚を堪能してきたと知らされた。
そして木下さんの積極的な性格もわかり、結婚したら、きっと「かかあ殿下」になる事は、ほぼ間違いないと言った。しかし、その方が私も気が楽だから良いと笑った。
やがて寒くなり、1972年を迎え、真崎が、木下家に挨拶しに言った時、木下さんのお父さんに、今年あたり結婚式を挙げるのかなと聞かれ、木下昌子さんも、それが良いわねと告げると真崎が了解しましたと答えた。
真崎は、実家に帰って両親と相談すると今年の遅くとも秋までには結婚式をした方が良いのではないかと言われた。その後、結婚式場の候補を母が、幾つか、リストアップした。
そして4月、岡山市内の有名な結婚式場で1972年10月10日に結婚式をすることに決定。すると、真崎が、小山田と競艇場へ行った時、その話をして、結婚したら競艇には来られなくなるとこぼした。
それを聞き、小山田が、さすがに、競艇は、まずいだろうと言い、麻雀くらいで我慢するしかないかもしれないねと笑いながら言った。真崎が小山田に、お前はと聞くと、まだ、結婚しないと言った。
その後、6月、梅雨、空けると7,8月は、暑く、しばらくして10月、結婚式は、両家で140名の出席者で、岡山県、岡山市の議員さん12人も来る様で、盛大なものに、なりそうだった。
和装結婚式で、岡山駅近くの有名結婚式場で11時から結婚式、12時から披露宴となった。小山田も招待されたが、料理も豪華で盛大な結婚式。しかし真崎の女友達は1人も来ないで男性ばかりだった。
1972年11月、三井物産株は、上昇し412円で全株、7千株、売り、税引き後利益が260万円となった。真崎が身を固めても、小山田は、数人の彼女とデートを楽しんでいた。
その時、彼女の車を小山田が運転して泊まり込みでドライブに行き、楽しんだ。競艇も麻雀も強く稼いで、遊ぶ金にも困ることはなかった。しかし、結婚したばかりの真崎は、奥さんに仕切られていた。
やがて、1973年が、あけ、初詣でに行き、子宝に恵まれますようにと祈願して来た。しかし、麻雀でも彼の弱点である弱気が災いし負けてばかりいた。だた、良い事は、奥さんがしっかり者で、店を上手に経営した。
朝から晩まで、良く働き、店の売り上げは、順調に伸びていた。ところが、初詣で依頼した子だからに恵まれるようにと言うお願いは、神様が答えてくれず、奥さんに、妊娠の兆候は見られなかった。
小山田の方は、1973年も相変わらず、女性に可愛がられ、数人の女性と浮名を流していた。さらに、トラブルも起こさず、上手く楽しんでいた。特に彼女たち実家は、裕福な家が多かったのだ。
漁師の仕事が、暇な春の時期、費用は、彼女に出してもらい東京へ行った。夏は、北海道へ3泊4日の旅行へ行ったりして人生を謳歌していた。麻雀で真崎に会うと、面白い事がないと愚痴を聞かされた。
1973年も足早に過ぎて1974年となった。この年も真崎は奥さんの尻にひかれていた。しかし、仕事の苦労もなく麻雀にはよく来ていた。夏になりビヤガーデンに行った時、小山田が、男友達2人、女友達3人を連れ真崎も招待した。
すると真崎は、奥さん以外の若い女性に会って、上機嫌で、はしゃいでいた。2次会に行くと、飲んだ勢いで、女の子とデュエットして歌い鼻の下を伸ばしていたが、開放感に浸り終始笑顔だった。
1974年10月、ソニー株が下げ、小山田と真崎が、490円で5千株購入。ソニー株は、株主分割し1975年9月、分割で6250株になった。そこでソニー株を1400円で売り、税引き後利益800万円を手にした。
その結果、小山田は、資産が1千万円を越えた。その後も真崎夫妻には子供ができるの兆候がなく木下洋服店でも困り始めた。そして、真崎の奥さんが、岡山大学の不妊外来に行き始めた。
その情報が、小山田の耳に入った。やがて、1976年が、空けた。今年の初詣の時、早く木下洋服店の跡取りができますようにと、真崎夫妻も真剣に祈った。しかし、その後も吉報は聞こえてこなかった。