表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/80

12話:健一の大学受験で早大合格

 1997年の冬には、学年ベスト5に常に顔を出すようになった。やがて1998年を迎えた。健一が、高校にあがると岡山でも有名な大学予備校に入りたいと言い、父が許可した。


 1998年11月2日、朝、ソニー株が7500円の気配値が、出てると証券会社の担当者か聞き1万株を成り行き買い注文した。すると、7500万円で、買え投資残金が500万円となった。


 その後、クラウンも古くなったので新型クラウンを300万円で購入し総資産が5000万円となった。健二が、倉敷工業高校に合格した時、父に、合格祝いは、良い釣り竿を買ってくれと言った。


 そこで、一緒に行って釣り竿を選んで買ってやった。岡山朝日高校に入り、健一は、高校受験の時にも増して、夜遅くまで勉強をした。つられて姫子も勉強し1999年秋の一斉テストで、ついに、学年2位の成績をとった。


 姫子自身も感動して涙を流した。その後も学年ベスト3に入り続けた。そして2000年があけ、4月を迎えると健一が高校3年生、姫子が中学3年生となった。しかし、健二は、相変わらず釣りをし漁協に出入りした。


 その後も、健一、姫子は、競い合うように勉強を続けたが、母が、ここから上をめざすには、勉強の時間よりも効率が大事だと言った。そのためには、集中力をつけなさいと言った。


 そして、いたずらに夜遅くまで起きて勉強するよりも早寝、早起きで体調を整えながら勉強する事。加えて座禅をして集中力をつけリラックスするための体操も覚えなさいとアドバイスした。


 その話を黙って聞いていた、父は、母に、すごいねと言うと、私も実は、自分の父にさんざん、言われてきたことなのよと言った。これを聞いて、なんだ、お父さんの受け売りかと笑った。


 健一は、早稲田大学理工学部、橫浜国大の合格確率が80%、東工大、70~75%と言われと、母に報告。やがて2000年9月11日、アメリカで、同時多発テロ事件が起きて、騒然とした。


 しかし、子供達は、すぐに、気を取り直し受験勉強を続け、2000年12月を迎えた。健一は、大学受験前の予備校の最終試験で早稲田、橫浜国大の合格確率は80%、東工大は75%と母に報告した。


 すると、母が、息子達に、どこを受けるつもりと聞くと、数日後、早稲田大学理工学部と橫浜国立大学理工学部を受験したいと言った。その後、2001年があけた。


 2001年1月4日、ソニー株を32000円で売り指値で全株1万株売りを入れると、全株売れた。その結果、税引き後利益26600万円となった。投資残金が27100万円となり、総資産が32100万円となった。


 これだけあれば十分と考えで、野村證券の投資口座を解約した。小山田は、家族の今後、自由に使えるお金としてとして20000万円、投資資金を12100万円とした。


 その後、両親と子供達の5人が、自宅の近くの神社に行って、娘の姫子と息子の健一と健二は、それぞれ、希望校を書いた合格絵馬を奉納し、合格祈願をして来た。


 その後、息子達の受験の時、私がついていきますと、母の良江さんが言うので、父の聡が、よろしく頼むと言った。早稲田大学理工学部が2月16日受験日で合格発表が2月26日で、入学手続きが3月1日とわかった。


 もう一つの橫浜国立大学の後期日程の受験日が、3月12日、合格発表が3月21日と決まった。その結果、東京へ行くのが、2月16日、2月26日、3月12日、3月21日となった。


 父が母に、泊まってくるかと聞くので、そんなの時間の無駄だと言い、終わり次第、できるだけ、新幹線で帰ってきて、家で寝ますと笑いながら言った。そして、新幹線の回数券を買おうと母が言った。


 父が、細かい事は、全て任せると、母に言い、ホテルに泊まってきてもかまわないよと言った。その後、母は、子供達に体調管理のために気を使って、早寝、早起きと美味しい料理を作った。


 風邪をひかないように、人混みでは、マスクを必ずつけるように指示した。そして、2月15日、10時に、早稲田大学理工学部電子工学科を受験に、健一と母が家を出た。


 そして15時に、母から父に電話が入り、今しがた、早稲田大学の近くのホテルに入ったと連絡が入った。翌、16日の19時に母と健一が、岡山の家に帰ってきた。


 父が、2人、どうだったと聞くと、ベストをつくしたと答えた。そして、夕食は、駅で買ってきたと母が、言い、家族5人で、食べた。その後、風呂に入って、22時には、床についた。


 10日後の2001年2月26日、朝一番の新幹線で、母と健一が岡山から乗り込み出発し昼過ぎに、早稲田大学について、13時過ぎに、健一の合格を知り、電話で、父に知らせると、良くやったと、言った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ