11話:健一の朝日高校合格、夢は東京
1995年3月に、小山田の双子の健一と健二が、小学校を卒業した。その後、中学校へ入学し学生服とカバン靴を買ってやり4月から中学校に登校し始めた。健一と健二は、サッカーが好きであった。
父に買ってもらったサッカーシューズとボールで、土日は、家の近くの公園で、2人でサッカーの練習をしていた。中学にサッカー部はなく、陸上部に入って、持久力と、スピードをつける練習をしていた。
勉強面では、健一と健二とも算数、理科が得意であり、問題も直ぐ解けた。しかし、国語と社会は覚える事が多く、勉強は、主に、その記憶にあてていた。その他、母に、本を読みなさいと言われ、近くの図書館で本を読んた。
夜、その感想文を原稿用紙に書かせた。勉強の監督は、ほとんど母が、やって、かなり厳しいのに父は、驚いた。妹の姫子は、幼い頃から、絵を描いたり、絵本を読んだりするのが好きであった。
そのため、よく絵を描いたり、母の好きな洋楽を聴いていた。そして、父が、小さな子供用のピアノを与えると土、日、休日には、飽きずに、ずーっと、そのピアノを弾いていた。
そして、曲を弾けるようになると、兄、父、母を問わず、暇な人を見つけては聞いてと言いピアノを演奏していた。母は、勉強に厳しく、健一は、サッカーの練習と勉強で忙しい中学生活を送っていた。
そのためか成績はクラストップクラスになった。しかし、健二は、時間があると、家から自転車で下り坂を10分でつける釣り場を見つけて、魚釣りをする日が多かった。
そして、父の世話になってる、漁業協同組合に顔を出して、船の点検や修理を興味深そうに見ていた。それを見た組合の男達が、船の構造やどこに不具合があるか調べる方法、修理方法を詳しく教えた。
そのうち簡単な修理を手伝った。1997年4月、長女の姫子が、中学生になり兄と同じ中学に通い始めた。彼女は、音楽部に入り大きなピアノを覚えようと暇さえあれば、学校にある大きなピアノに向かい練習をした。
その頃、健一は、3年生になり岡山朝日高校に入りたいので進学塾に入りたいと言った。父が了解し4月からサッカーの部活をやめて通い始めた。健一は、進学塾で、競争心に火がついたようで、勉強に集中した。
そして、健一は、トップ争いをするようになった。すると、姫子も英語の勉強するからと言う名目で、ミニコンポーネントステレオを買ってもらった。姫子も兄に負けまいと、勉強した。
数学、理科が、いま一つであり理数系に強い兄に教えてもらった。一方、健二は、父に似て、興味のあることに集中するが、勉強も宿題はしていたが、それ以上、勉強に熱が入らなかったようだった。
母が見かねて、健二に、お兄ちゃんと同じ様に進学塾に行って大学をめざさないのと聞くと、あまり興味ないと言った。俺は、海と、魚釣りと船が好きで、漁師になりたいと話した。
早朝、漁に行き、帰って来たら寝て、その後、父みたいに好きなことがしたいと言った。姫子は、1997年、中学1年2学期クラスベスト10に入り、将来、兄と同じ岡山朝日高校へ入るのを目標に夜遅くまで勉強を続けた。
中学1年の最後のテストで、クラスベスト3に入り大喜びした。最終目標、学年ベスト5以上を目指し岡山朝日高校へ入ると決めた。理由は、テレビやラジオで聞く都会の情報に憧れ、都会の大学に入りたいと思ったからだ。
この年、株の方では、1997年8月4日、朝、ソニー株が12200の気配値が出てると証券会社から電話で知り、全株、1万株、成行売りを入れて、12200円で売れた。
その結果、税引き後利益が11800万円となり、普通預金に3800万円を送金し、投資資金8000万円と預金を4700万円とした。この時点で、総資産が12700万円となった。
そのためには、岡山朝日高校へ入学する事が、必須条件だったのだ。やがて、健一が高校をどこを受けるか、決める1998年があけた。もちろん、岡山朝日高校を受けると言い、受験票を手に入れた。
そして、受験し、3月に2人とも合格した。その時、一緒に、受験結果を見に行った両親の方が感激していて、健一は、受かって当然のような顔をしていた。健二は、隣町の倉敷工業高校に合格し通い始めた。
健一は、合格祝いに、岡山駅近くのレストランで食事をした時も、大学の話と合格後、下宿をどこにするとか、早稲田大学理工学部か、できれば橫浜国立大学工学部、いや東京工業大学に入りたいと夢を膨らませていた。
先の話ばかりしていた。それを聞き、母が、夢物語ばかり語ってないで、岡山朝日高校で良い成績を取ることが先決だと言った。それを聞いて、健一は、静かになった。
これを聞いた、姫子は、私も兄たちと同じ進学塾に行きたいと言うので父が了解すると、母と一緒に行き入学してきた。その後、毎週、土日、岡山駅近くの進学塾に、休まず通った。