01話 オーパーツの偶発的発見における地質学的知見と国際的背景~
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01 オーパーツの偶発的発見における地質学的知見と国際的背景
今から約5億4000年前、カンブリア爆発によって幾万もの生態系は多様に進化を遂げた。古生代を初め、中生代やがては新生代に至るまで生命の歴史は段階的にその形をチューンナップしていく。ゆるりと海中で浮遊する緑藻類は二酸化炭素が充満した地上での灼熱地獄を空気と交換しながら地面へ這っていく。こうして絶え間なく行われる光合成は徐々に空気中の温度を下げ、「生物」が誕生する檜舞台を整えたのであった。
古生代は5つの区分(カンブリア紀・オルドビス紀・シルル紀・デボン紀・石炭紀・ペルム紀)に分類されるが、ペルム紀を経た頃に巨大昆虫たちが絶滅する中で、体内の代謝が効率的であり少ない酸素でも生存できる爬虫類たちが活躍の場を広めていった。そうして恐竜が雨後のタケノコのように頭角を表していくのは概ね筋書き通りといったわけである。
通説では「人類の誕生」は約6500年前の中生代白亜紀の終盤であるとされ、恐竜の絶滅の少し前に出現したと言われる。しかし私はここで白亜紀以前に「人の存在が確認された不思議な島」を紹介したい。通称【ちんぽ島】である。
考古学において人類の歴史は数多く有力な説はあれど未だに謎が多く、強いては【ジュラ記での人類誕生説】はどこから流れてきたことも不明な噂程度であって、その存在は様々な学者によってあしらうように否定されてきた。前述の通り、人類誕生は中生代白亜紀の終盤の恐竜絶滅の直前でそれ以前のジュラ紀は「大型恐竜が蔓延る中で人類が存在している筈がない」とされ、著名な研究機関のDNA鑑定によっても裏付けされた上で揶揄されてきたのである。
ことの急展開を迎えたのは21世紀初頭のことであった。南米ペルーに拠点を置く大学の研究室では政府の要請で地質調査で行われ、その調査結果は鮮明に文書によって記録されている。
ペルーの首都リマから東部数100キロ離れたウカヤリ川周辺において地質調査を行った所、【奇妙な遺跡】を発見されたのだ。
それまでペルー政府が地質調査を行なかったのは1968年から1980年の「ペルー独立革命」やその後の「民政移管と内戦」で調査を許可できる状況でなかったという背景があるからである。また内戦が収束した後も政府とウカヤリ川周辺に住む原住民族シピホ族末裔との蟠りは依然と放ったらかしであり、20世紀終盤での文化保護を謳う国際世論の観点からみても研究を後回しにする理由には十分であった。されど、機械産業によって時代は移り変わると共に人類の知的好奇心は『それまでしてきた我慢』を止めた。
肥えた国家は主張を二転三転させつつ『自国の利益』を『探求心』という概念に置き換えながら「文化保護という見え透いた綺麗事」を打破しようと再三にわたり南アフリカの考古学的財産について取りあげようとした。極めつけは21世紀初頭に開催された世界考古学会議であり、南米の考古学における重要性は議論から逃れようもなく、次第にペルー政府も重い腰をむくりと上げざるを得なかったわけである。
話が逸れたが研究レポートによると航空写真では発見出来なかった遺跡は周囲を深い熱帯雨林で覆われた湿地で発見されたと記されており、遺跡の周囲の地下からは「アンデス文明で用いられたとされる道具」や「男性器を模した土器数百点」、DNA鑑定によって「トウモロコシ」、食用家畜とされた「テンジクネズミの家畜」などが発見された。そして極めて重要なのが内部の壁に書かれた『アンデス文明時代の剣や盾など青銅器数十点』である。
アンデス文明は他の四大文明と異なり文字を持たない為、これらは手掛かりとしては些細なものに過ぎなかった。ところが彼らは青銅器の奇天烈な位置に目をつけたのである。青銅器は遺跡内部の第3層である大広間の大きな楕円形の円を周囲数十メートルから数メートル感覚で方位するように配置されていた。そして強固な粘土質の筒のようなものに固定され、それぞれの青銅器の先から中央の楕円形の方向を向いていた。その無数の方向を計算ソフトにより解析を行うと不思議な事実に行き着いた。
後の研究で判明したことであるが、まだ世界地図など存在する筈もない頃に【沈没されたとされる島】の位置を見事に照らし合わせていたのだ。
それは偶然というには余りにも恐ろしく出来すぎで、緯度経度もメルカトル図法での整合率は98.7%であるというのだ。息つく間もなく太平洋ペルー近海に沈没された島は直ぐにペルー海軍主導で大々的に調査された。
そして見つけたパズルのピースを当てはめるように新たな事実も浮き上がる。奇っ怪なことに沈没した島の沿岸部を再現すると遺跡内部で大量発見された【男性器の土器】とほぼ完全に一致していたのだ。
研究チームの代表であり、第一発見者の『ネストル・ゴロウ・カルトリ二』氏はこの島に【ちんぽ島】という名前を付けた。
こうして前代未聞の発見により【ちんぽ島】はそれまでの考古学の歴史を大きく変えたのであった。
反響あれば続き書きます。