45.絡み合った糸(前編)
ちょっと待ってください。ここは高い塔の上にある部屋。何故、外から入ってくるのです。
しかも、床に起きあがったでかい体はぼろ布と化した外套をつけ、仮面までかぶって人相が判別できません。
ですが、この腕、この巨体、あの幽霊です。外壁にはりついて窓からのぞいていたり、テオドラの刺客を倒したりしてくれた幽霊。それが何故ここに。
たじろいだ私めがけて、でかい体が突進してきます。
「レミリア――! 会いたかったぞーーー!!」
あわや、私が筋肉の塊に抱きつぶされそうになった時、華奢な女性用の靴が一つ飛んできました。すぱーんと心地よい音と共に、見事、野獣に直撃して、その衝撃で仮面が取れました。
「デ、ディーノ兄様?!」
思わず私は叫びました。
だって仮面の下から出てきたのは、失踪した兄の端正な顔だったのです。
「あら、暑苦しいからレミリア様をおたすけしようとしましたのに、当たりどころが悪かったですわね。ばれちゃいました?」
おほほほほと上品に笑いながら入ってきたのは侍女のアナです。ひょこひょこした歩き方をしているのは、さっき投げつけたのが彼女の靴だったからでしょう。
彼女はそのまままっすぐ兄のところへ行くと、脱いだ靴を履きなおしました。おもむろに腰に両手をあて、兄を見おろします。
「もう! どうしてこの場面で飛びだすんですの、あなたは! せっかくもうひと押しのいい場面でしたのに、空気を読まないというか。ああ、もう、だから団本部でおとなしく待っているように言いましたのに、あなたったら」
「だ、だってユリアナ、たった一人の妹なのだぞ? 気になっておとなしくしていられるわけないじゃないか。お前のことも心配だし」
「問答無用!」
アナが、がしっと兄の首根っこをつかむと、優雅にひざを折って一礼しました。
「失礼いたしました、殿下、レミリア様。邪魔者は退散しますので、後はどうかごゆっくり続きを……」
「待って」
私は運び去られる野獣の脚をつかんで止めました。
「どうして兄様がここにいるかはともかく。アナ、さっき、あなたはユリアナと呼ばれていませんでした?」
それは兄と駆け落ちした、テオドラの姫の名です。
「おい、どうして兄様がここにいるかはともかく、はないだろう、ともかく、は。そもそも何度も顔を会わせたのに、気づいてなかったのか、レミリア。兄ちゃん、哀しいぞ?」
「だって気づけるわけないじゃないですか。私の知るディーノ兄様は人間でした」
眼の前にいる男は仮面をとった顔こそディーノ兄ですが、体つきが全然違います。腕など前の倍はあります。人ってこれだけ筋肉をつけることが可能なんですねと、思わず遠い目になってしまいます。
「これには理由があるんだよ。肉体改造はしたが中身は、ほれ、お前の大事なお兄ちゃんのままだぞ、レミリア。ほら、駆け落ちした後、ユリアナを食わせないといけなかったし、成り行きで傭兵たちを一団、率いちまったから。体を鍛えたんだよ、皆守れるように」
「ほほほ、私も内助の功をいたしましたのよ。テオドラ王家に伝わる秘伝の薬に改良を加えまして、ディーノ様の筋肉を増強する薬をつくって、毎日飲ませて差し上げましたの」
そういえばテオドラは薬剤強化で人体改造もこなしてしまうお国柄でしたか。
「あれ、すんげえ苦くてさあ、俺、飲んだ後は一時間は悶絶してさ」
「そうですの、地面を転げまわって悶えられますのよ。その時のディ-ノ様の顔ときたら、もう色っぽくてぞくぞくしましたわ。以来、病みつきになってしまいましたの、私。三日に一度はディーノ様をなぶらなくては体がうずいて眠れなくて」
「ことあるごとにお仕置きだって迫ってくるんだよな、ユリアナは」
情熱的な嫁を持つと参るぜ、とディーノ兄が明るく、ははははと笑います。
いえ、傍で聞いていると突っ込みどころ満載で、とても愛が育つ環境とは思えないのですが。
「あの、兄様はそれでいいのですか?」
「まだちっこいお前には分からんかな、レミリア。惚れた女房の望みを叶えてやるのが男ってもんだぞ。覚えとけ」
何かが違う気がします。でもいいのでしょう。本人が幸せだというのなら。




