44.殿下の真意
「よく俺のことを分かっているじゃないか、レムル」
案の定、殿下がとろけるような笑みを浮かべて振り返られました。
掌に、一片の金属と畳んだ紙を渡されます。
「これは」
「この二年の実験の成果だ。鋳造の仕方は紙に書いてある。今までの倍は強度がある。あのとおり研究室はなくなったが。これは持ち出しておいた」
「殿下……」
「別に俺があそこでいろいろやっていたのは見せかけだけじゃない。これで砲をつくれば、冷却時間をおかずに連発できる。飛距離も伸ばせる。国境に配置すればエルシリアに攻め込もうなどという馬鹿はいなくなるだろう。お前の手で、兄上に渡してほしい」
いきなり何を言い出すのですか、この人は。
嫌です、こんなもの、受けとれません。
「あ、あなたの手で陛下に渡してください!」
「それはもう無理だ。策はなった。お前もわかっているだろう。父上はカストロフ家を遠ざけようとするあまり、他貴族どもを甘やかしすぎた。このままでは奴らはこのエルシリアをくいつくす」
眼の前に立つラヴィル殿下。まだ少年の面影を残した彼に、少年の身がもちえる潔癖さ、高潔さが見えました。ああ、だから。だから彼は許せなかったのか。そう思いました。
「すべてを一気にかたづけることはできないが、増長し、王の首を挿げ替えることができると思っている馬鹿だけでもこの世から消し去ることはできる」
「だからわざとご自分に負のイメージをつくったのですか? もし旗頭にすえられて王に討たれたとしても、正義は王にあると皆が思うように」
趣味に没頭して世情を顧みない変人殿下。そんな相手であれば貴族どもも傀儡にしやすいとよってくる。兄弟仲のよかった二人が急に反目すれば疑う者も出るが、この形だと自然だ。
「別に。それにかこつけて好きな宝石の収集もできた。思い残すことはない。だいたいお前こそどうなんだ。他家のことを心配する余裕はあるのか? 代替わりで足をすくわれそうになっているのはカスタロフ家のほうだろう」
それはそうですが、今はそんなことを話しているのではありません。
「だが、カスタロフ家は傭兵だ。王家に執着さえしなければ生き残れる」
きっぱりと、突き放すように殿下がおっしゃいました。
「昔のように、主を変えて生きていけばいい。他国の者でも、傭兵上りでもいい。しっかりした婿をとれ。そしてカスタロフ家を守れ」
そう言う殿下の顔がすごく優しくて。私は思わず叫んでいました。
「い、いやです……!」
これは我儘です。自分でもわかっています。でも譲れません。だって
「何を言われるんです。しっかりした婿をとったら、私が主導権を奪われたら、そんなことになったら、カスタロフ家は王家に弓を弾くかもしれないんですよ……?」
だってカスタロフ家は傭兵だから。誓約を破棄してしまえば、エルシリアと敵対する国と契約を結ぶことだってあります。その時、それを止めるだけの力を私は保持していないといけないのです。
私は殿下につめよりました。冷たい、仮面のような顔を崩そうと、その両腕をつかみます。
「私は決してカスタロフ家の主の座は渡しません。私が主である限り、カスタロフ家の忠誠は王家のものです」
「共倒れになる気か?」
「なりません! 私が守ってみせます!」
そんな自由ならいらない。殿下は私のことが好きだと言ってくれたじゃないですか。なのにどうしてそんな別れの言葉じみたことばかり言うのですか。
王に代わって逆賊を打つ。それがカスタロフ公爵家のつとめ。だから私だって王家に弓ひく者は例え誰でも戦ってみせます。
(たとえ誰とでも……?)
そこで、殿下の遺言じみた言葉の意味が分かりました。
「殿下は、私に討たれてやるとおっしゃるのですか?」
陛下の地位を盤石にする、そのついでに、カストロフ家にも手柄をたてさせるために。兄の汚名をそそぎ、私が家を継ぎやすくするために。
ざっと頭から冷水をかけられたようになりました。
若くして王座についた陛下は、穏やかな人柄もあって軽んじてくる一派がいるのは事実です。でも、ここで陛下が大々的な粛清をおこなえば? 生贄の羊は大きければ大きいほど良い。人の心に恐怖が住み着いて、以後、陛下に逆らう者はいなくなります。そう、血を分けた弟ですら罪を犯せば処罰する、そんな王であれば。
とはいえ陛下自身がそれをおこなえば、人心は離れます。
ですがそれを行うのがカスタロフ家であれば。
(これが、あの仲の良いお二人の、本当の企み……?)
不安定な立場に立たされた二人、一人でも生き延びよと考えられた芝居なら。この国を再び戦乱の中に突き落とさないために仕組まれた予定調和だとしたら。
「あ、あなたがたは、馬鹿です……!」
私は叫びました。
「馬鹿です、馬鹿です、大馬鹿です、何故、カスタロフ家に、私に何も言わなかったのです……! そこまでなさらなくとも、我が家は誓いました、あなたたち王家の剣となり盾となると、だから今回だって事前に知らせていただけていれば……!!」
「それは宝石の色が変わらない限り、だろう?」
アレクサンドライト。
彼があの石を探してくれたのは、カスタロフ家を解き放つためでした。
「兄上は王だ。国を守る義務がある。そして俺は私兵の一人も持たないただの王弟」
他に兄上とお前たちのために何ができる? 殿下が問いかけられます。
「もういいんだ、この策がなれば、国は一つにまとまる。何より、相手が王弟であっても忠実に責務を全うするカスタロフ家を恐れ、逆らう貴族たちはいなくなるから」
昔、私のために女官たちに悪戯をしかけた、あの時と同じ目を殿下はなさっていました。
「お前が俺を討ちたくないというのなら、代わりとはすでに連絡を取ってある。知っているか? 新興傭兵団の〈碧星獅子旅団〉が俺を討つ。お前は好きなほうを選べばいい」
「……カスタロフ家はお役御免ということですか? あなたを討たない限り。私はあなたの子分になって悪戯や報復をするのは得意ですよ、今までだってそうだったでしょう? だから……」
「違う、自由になれといっている。過去の誓約などという馬鹿なものから」
だから。嫌ですって言ってるじゃありませんか。何度も言いますが嫌なものは嫌なのです。そんなもの選べません。なのに当人に意見も聞かず、勝手にすべて決めないでください。
だってどちらを選んでも、ラヴィル殿下に待っているのは、死なのです。
私は後ずさりました。顔をゆがめて左右にふります。そんな選択は絶対にしませんと態度で現します。その時でした。大きな声が、部屋に響いたのです。
「レミリア、兄が悪かったっっ」
そして。
いきなり窓の鎧戸が開いて、すり切れた外套にくるまった巨大な影が転がりこんできたのです。




