38.お城の夜会
生まれて初めての朝帰りです。
ぼうっと半分、真っ白な頭で部屋へ戻ります。
殿下が足下が危ないから送っていくとおっしゃったのですが、それは丁重にお断りしました。今、一緒に来られては残り半分の脳まで死滅します。
ふわふわお花畑を歩いているような感覚で、なんだかお城のすべてが現実のものと思えません。
でももう半分は、真っ白。凍結しています。いえ、びゅうびゅう吹雪いています。
つい、というか、流されたと言うか。何をしでかした自分と、自分で自分の首を絞めてドツボに埋まりたい気分です。
殿下のことはもう意地悪なんて思っていません。
それどころか、この方こそ我が主というか。ずっとお傍にいたいと願っています。
でも、その、恋人としては。
相手は王族で、やはり遠い存在なのです。現実味がわきません。
殿下がおっしゃるように、他の迷惑を考えず、思い切れば、私は爵位を捨てることもできます。が、逆に爵位がなくなれば殿下のお傍に侍る資格がなくなるのです。
一兵士、一事務官として殿下にお仕えするという手もあります。
が、その場合、元貴族という肩書や、叔母様方の後押し、それに殿下のひいきなど、狡い手をつかわなくては採用されても王族にお目にかかれる上の地位につけないのは確実でしょう。
そうなれば今度はいわれのない非難ではなく、理由のある非難を受けるわけです。
いわく、元カストロフ家令嬢の名を盾に、殿下に取り入ったと。
子どもの頃はそんなことはしていないと、歯を食いしばることもできました。
が、今回はずるいことをしたという自覚がある以上、私は耐えられないでしょう。
何より殿下が今度こそ、ひいきしている、と言われてしまいます。
ただでさえ幼少期に殿下にかばわれた私です。大人になった今こそ、殿下にそんな汚名を着せるわけにはいきません。
と、なると。八方ふさがりなのです。
どういう方向に走り出せばいいのか、自分でも分かりません。
で、ぐるぐるぐると。かなり挙動不審とは知りつつも私は酔ったようにふらふら千鳥足で歩いているわけです。その……。く、唇どうしの口づけなどというものは初めてで。それ以外にもいろいろ、その、殿下の色っぽい眼差しとか、抱きしめられた時の布越しの肌の熱さとか、衝撃がありすぎて。
殿下の唇を受ける時、何度か意識が飛んでしまったのはここだけの話です。
その時、背後から嫌な気配を感じました。射殺さんばかりの悪意。これは殺気?
(また刺客?!)
あわててふり向くと、そこにいたのはマチルダ嬢でした。
今日も今日とて、朝からびしっと華麗な装いです。昨日とは衣装が違いますが、いったい何着ドレスを持ち込んだのでしょう。確かに伯爵御一行の馬車の数は多かったですが。
マチルダ嬢が、私を頭の先から足の先までじろっと眺めます。
あ、まずい。
これから部屋に戻るところとよくわかる廊下の途中にいるというのに、私の服装は昨日のままです。しかも皺だらけ。
かあああっと顔に熱が集まりました。それだけでマチルダ嬢は事情を察したようです。今までにましてすごい目でにらんできました。
「……保護者の付き添いもなく殿下の居城に転がり込むだけでも恥知らずなのに、あなたそれでも貴族令嬢?」
い、いえ、一応、御目付として、傭兵たちも城内にいるのですが……。無理ですね。言い訳になりません。彼らは私の親族ではないし、別棟で待機で、侍女のようにつきっきりというわけでもないですし。
「あなた、子どもの時からそうよね。しきたりを無視していつも殿下にまとわりついて。ずるいわ。私なんて殿下の親族なのに、遊んでいただいたことなんて一度もないのよ!」
その口調、その豪奢な巻き毛。それで思い出しました。あの池に突き落とされた七歳のお茶会の席。あの時、私を取り囲んだ女の子たちの中に、幼い日のマチルダ嬢がいたことを。
私の苦手な同年代の令嬢。あの時の恐怖を思い出して、身がすくみそうになります。
さらにマチルダ嬢が言ってきます。
「だいたい殿下にかばっていただいたくせに、泣いて領地に引っ込んで。そんな弱い心で今さら何をしに出てきたの? 悪いことは言わないわ。さっさと田舎にお帰りなさい」
彼女の言うことは事実です。私は一度逃げました。反論できません。
でも、私は踏ん張りました。
殿下と心を通わせた今朝のこと。殿下の傍にいると決めたのです。
強くならなければ。
ここで私がおびえて引いたら、また殿下がご自分の手を汚そうとなさいます。マチルダ嬢一人に怯えていては、新当主として宮廷に出ることなど不可能。殿下のお傍にいられません。
負けるものか。
ぐっと手を握ってにらみ返すと、マチルダ嬢が逆にたじろぎました。
「な、なによ」
「私は次期当主として、陛下に使者の任をたまわり、この城に来たのです」
「だから?」
「滞在の許可は殿下からいただいていますし、そのことで何か言われる覚えはありません」
きっぱり言い切りました! やった、やりました。
引きこもりの私としては相手の眼を見ながらこれだけ話すのだけでも快挙です。
内心、心臓がバクバクで、言うことも品切れですが、やった、という達成感でいっぱいです。声も出なかったあの時から、成長しました、私。
「ふん、それで優位に立ったつもり? 遊びに来たんじゃないって言いたいみたいだけど。私から見たら、遊んでるようにしか見えないわ。だって、あなた、ここにいて殿下の何の役に立っているの?」
ですがマチルダ嬢がつんと顎をあげます。
「あなた、夜会やお茶会の重要性、夫や父に代わって社交界で交流する貴婦人の内助の功ってご存じないの? それでも貴族令嬢?」
痛いところを突かれました。私は母もなく、引きこもりで、社交界のことは叔母様たちに任せきり。苦手だと今までまったく参加していません。
「私はこの城に来てもうすでに動いてますのよ。お寂しい殿下のために、夜会を開けばいいのではと思って、父様に頼んで殿下から許可をもらったわ。ほら、もう招待状の返事も来てますのよ。どちらのほうがより殿下のお役にたっているか、すぐわかるでしょう?」
ひらひらと氏名の書かれた紙をかざして、マチルダ嬢が自慢します。昨夜の伯爵の来訪はこのことについてだったようです。
自慢げにかかげたリストを見ると、出席者は反王派ばかりです。ざっと頭から血の気が引くのを感じました。こんな夜会を開いた日には、そのまま決起集会扱いです。
(って、殿下、さっき会ったのに私には何も話してくださらないなんてっ)
しょせんはそれだけの存在なんでしょうか、私。
それともこれは殿下が「言えない」とおっしゃっていた何かに関連が?
どちらにせよ、衝撃を受けている場合ではありません。
すでに招待状は殿下の名で出されて、リストにつけられた印からすると、出欠の返事まで来ています。ここで中止はできません。ならば、
「ちょっとお待ちください、マチルダ嬢!」
あわてて異議を唱えます。
「その招待客はかたよっているようです。他にも加えていただけませんか。例えばヘンナ卿や、ルック男爵や……」
せめて王派と中立派を加えられれば。
急いでこの近辺在住の貴族の名をあげますが、マチルダ嬢は余裕です。それどころかふふんと鼻で笑ってきました。
「あら無理でしてよ。私が選んだ方たちは父とも懇意にしてますから、招けば来てくれますけど。あなたが名をあげた方たちはどうかしら」
「え?」
「リヒャルト陛下の即位二周年記念式典のことをお忘れ? もう十日もすればはじまりますわ。主だった貴族はすでに王都へ向かっていましてよ」
「あ……」
うっかりしていました。私は傭兵たちの先導があったので、五日の行程で来れましたが。
普通はここから王都までは昼夜を問わず馬を飛ばしても十日はかかります。今頃この辺りに残っているのは、王都へ招かれる身分ではないか、自分から陛下とのつながりを断つ者ばかりなのです。
使いを送り、強引に誘えばいけるかもしれませんが、私は他貴族に成り上がりといわれるカスタロフ家の娘。しかも未だ当主でもなく、身内が醜聞をおこしたばかり。いくらラヴィル殿下の名で開かれる夜会であっても、そんな小娘の誘いを誰が受けるというのでしょう。
でも、
「……いえ、なんとかしてみせます」
しぼりだすように私は声をだしました。
「私が選んだ招待客は、私が責任を持って出席してもらいます。もちろん殿下の許可もとりますし、その他の手配も私がします。ですからご安心を」
社交界で戦う貴婦人らしく、にっこり笑って言い切ります。
これが私のマチルダ嬢への宣戦布告。
そして今まで避けていた女の世界、社交界への参加宣言でしたーーー。
****************
****(以下、マチルダ視点です)****
(何よ何よ、成り上がり者のくせに!)
王太后様の姪であるこの私にあんな無礼な口を利くなんて。マチルダは眉をつり上げてレミリアを見送った。
子供の頃から気に喰わなかった。特に着飾るわけでもないのに、宝冠のように輝く銀の髪と、エメラルドの瞳が気に入らなかった。何もしなくても周囲の注目をあびるのが気にくわなかった。
幼い頃から私は一生懸命がんばった。
未来の社交界の花となるべく、できる限りのお茶会に出て、話術を駆使して、女の子仲間や未来の取り巻きとなる男の子たちと社交をしていたのに。
あの子は馬鹿にでもしているのか、母親ともども、貴婦人たちが催す社交界の催しに一切参加しなかった。なのにいつの間にか特別扱いで王宮に出入りしていて。
従妹の自分ですらなかなか近づけなかった王家の二人の王子のどちらともこれみよがしに仲良くして。
いじめてやりたくても、すぐにピーピー泣いて兄のディーノや王子たちが来る。表立っては何もできなくて、裏で陰口をいいまくるしかなかった。あのお茶会の日までは……。
(一度はおとなしく領地へさがったから、許してやってもいいと思ってたのに。宮廷に戻ってきたうえ、誓約のある身で、陛下とラヴィル殿下に色目を使うなんて!)
リヒャルトとラヴィルがカスタロフ家の兵力のことを考えて、断れないのをいいことに、ずうずうしくもこの城にまで押しかけた。
むしゃくしゃする。
だいたい、何故、ラヴィル殿下はあの娘の滞在を許されたの? リヒャルト陛下と決別するなら、父の手をとる以外に生き残る道はないというのに。
マチルダがぎりぎりと歯ぎしりをしていると、背後に人の気配がわいた。
「うまく焚きつけたな、さすがは我が娘だ、マチルダ」
「お父様」
ゆっくりとビアージュ伯爵が姿を現す。
「本当にこれでよろしいのですの? あの女、絶対に中立派や王派の出席者を連れてきますわよ。子どもの時と違って、妙にしぶとくなってますもの」
「ああ、わかっている、マチルダ。わかっているさ。それでいいんだよ。後はこのお父様にまかせておきなさい」
にっこりと、ビアージュ伯爵は微笑んだ。




