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36.城の地下

何となく、不安になって。急かされるように殿下の姿を探していると、ビアージュ伯爵とともに部屋から出てこられるのが見えました。


 私は伯爵に見つからないように、あわてて壁のアルコーブに身をひそめます。

 殿下がマチルダ嬢を夜に部屋に入れないと約束してくれたので、主塔の扉は封鎖していません。だから中庭を隔てた南の棟に宿泊場所を与えられている伯爵もこちらに入ってこれることはこれるのですが、こんな夜に出向いてくるとは何事でしょう。


 嫌な予感がします。


 伯爵がたち去ってから、私はそっと殿下の様子を伺いました。殿下は伯爵が去ったのとは反対の方向へ歩きだします。

 こんな夜更けにどこへ行くのでしょう。

 ごくりとのどを鳴らすと、私は殿下の後をつけはじめました。


    *****


(いったいどこまで行かれるの……?)


 主塔の地下、広間の下あたりにある暗い螺旋階段を、殿下は燭台を手に降りていかれます。

 その足取りにはいっさい迷いがありません。殿下がこの道を通いなれているのが分かります。


 そして階段を降りきった先に、鉄の扉がありますた。ぎいと音をたてて殿下が開きます。


(これは……)


 広い地下の広間です。

 元は牢獄や拷問部屋でもあったのでしょう。どす黒い染みがこびりついた石造りの床の上には、竈や炉が築かれ、天井からは滑車がつるされています。

 床に敷かれたレールの上には大釜がのり、その光景はどこから見ても……。


(王都でみた貨幣の鋳造工房と瓜二つなんですけど……?)


 こちらのほうが小規模ですし、広い机や棚に高価そうなガラス器具や薬瓶が並んでいるところは違いますが、それ以外はまったく同じ。素人目にはじゅうぶん金貨を鋳造できそうに見えます。


「おい」

「わっ」


 急に横から声をかけられて振り返ると、殿下が難しい顔をして立っておられました。いったいいつの間に。気配を感じ取れませんでした。


「何故お前がここにいる? 夜中に男の後をつけるとは、お前、マチルダ嬢には禁じておきながら夜這いでもしに来たか」

「違います! それより殿下、これはいったい……」


 私は問いかけを途中でやめて、眼を泳がせました。

 いろいろ聞きたいことがあるのに、眼の前に広がる光景に圧倒されて何も聞けなくなります。殿下が、ああ、これか、とおっしゃいました。


「田舎に引きこもっていると暇でな。今の俺の趣味は錬金術だ。そこらの石くれを金に変える研究をしている。ほら」


 ずしりと重い金塊を手渡されました。

 この柔らかな手触り、何よりこの重さ。本物です。


「他にもいろいろあるぞ。例の贋金に含まれているとか言う銅や触媒に使う薬剤もな」


 ぽいぽいと重い金属片や薬瓶を手渡されて、私は真っ青になりました。


(な、なにを考えておられるのですか、殿下―――!)


 だって、殿下は、


「まあ、石くれから金をつくるのは言い過ぎだ。最終的には挑戦したいが、今はより固く高度な金属をつくる研究をしている」


 とか。


「地金を高温にして溶かすと、どうしても空気やガスが入り込む。空気の一部は金属と結合して安定した形で内在されるが。粘性が損なわれたり割れたりする。見苦しい。それらをなくすにはどうすればいいか。ここでいろいろ試している」


 とか。


 楽しげに語られますが、それはまるきり、偽金貨つくりとだぶる工程です。金貨の形にしないだけで。

 だ、駄目です。一生懸命、殿下は白の証拠固めをやっていますが、こんなものを人に見せたら、即、アウト。もれなく罪人扱いです。


「……頭痛がしてきました」

「ああ、薬品臭の中には人体に有毒なものもあるからな。一応、換気口は設けているのだが、地下だけに空気のとおりが悪い」


 いえ、原因はそこではありません。


「殿下ー、何故よりにもよってこんなおどろおどろしい地下深くでやってらっしゃるのです。正規の趣味なら、普通に陽の光が差す明るく健康な空気のよい地上でなさればいいじゃないですか。そうすればまだもう少しまともな施設ですと反論もできたのに」

「ここは主塔の脇、内堀の真下で万が一、爆発事故が起こっても堀の水が流れ込んで城の延焼をおさえられる。もともと炉だのなんだのがあったから、改築に手間や金がかからなかったしな」

「趣味に散財しておられるように見えて、現実的に考えられた故だったんですか」

「といいつつ、実はこの雰囲気が好きだ。夜中に一人で薬剤を混ぜていると底知れない充足を感じる。新入りの使用人をここへ連れて来て驚愕の顔を見るのもいい。ぞくぞくする」

「……」

「というのは冗談だ。俺は堅実な男だ。これらの研究も新しい各種技術を生み出すためのものだ。地上で堂々と研究をおこなって技術を盗まれてはまずい」

「本当にそれだけですか?」

「疑り深い奴だな。この国には特産物もない。新たな技術を開発して力を得るしか生き残る道はない」


 あ、ちょっと王族っぽいというか、まともなこと言っておられます。


「お前が初日に遊んだ罠も俺の試作品だ。なかなかよくできていただろう? ただ従来の金属でつくると強度が足りなくてな。新しい素材が必要だ。そしていずれは最凶破壊兵器を造りだし、世界をこの手に」


 やっぱり困った人です。私はため息をつきました。


「どうする? 疑いを晴らしてくれるのではなかったのか? それとも俺を告発するか? 王派の奴らはさぞかし喜ぶだろうな。俺が罪をきて処刑されれば、もう兄上の地位を脅かす者はいない」


 殿下が真っ赤に燃えた炉から鉄棒を取り出してもてあそびます。

 挑発するような声です。


「兄上のためを思うなら、疑わしき王弟など、罪を言いたてて処分したほうが早いぞ。後顧の憂いもなくなる」


 急に真顔で見つめられた。


「お前、俺と兄上、どちらの味方だ」


 とっさに答えられませんでした。


「俺が叛意を抱いているという疑いを払しょくできなかったら。お前は俺を討つか?」

「え」

「お前はカスタロフ家の人間だ。そしてここには贋金をつくる設備がある。加えて俺はこのとおり素行の悪い男だ。報告を遅らせたところで、都に残った連中が兄上の耳にあることないこと吹き込んでいるぞ。これ以上、ここにいれば必ず巻き込まれる。兄上の側についたのなら、俺を撃てと言われるのはお前になる。カストロフ家と俺の癒着はないと示すために」


 ごくりと息をのみます。

 一気に家を率いる責任、王家の王子への信愛の情、いろいろなものが一気に私に押し寄せてきます。そして今、殿下が私の答えを待っておられることをひしひしと感じます。


「……設備があったとしても、国中に出回る偽金貨、あれだけの数を職人でもない王子がただ一人でつくれるわけがありません。人手がいります。原料を運び込まれた形跡や、出来上がった偽金貨を運び出す人手だっているはず。それらがなければここは趣味の施設と言い切れるはずです」


 私は必死に頭をひねります。


「ほう、あきらめないか。だが、あるものを証明するより、ないものを証明することのほうが難しくなるのは知っているだろう」

「時間はかかるでしょうが、私はやり遂げます。そのためにここへ来たのですから!」

「まだ悪あがきをする気か」


 殿下が笑みをはかれます。嗜虐の笑みを。


「知っているか? 何故、お前たち兄妹と俺たち兄弟が幼い頃、行き来があったか」

「え?」

「父上はカスタロフ家を排斥なさろうとしていたのだぞ。なのにそこだけ許すわけがない。あれは単純なお前たちに俺たちへの忠誠心を植えつけるためだ。すべて大人たちが仕組んだ偽物の友情、現にお前は俺たちを守るためにここにいる。そう刷り込まれているからだ。だから、お前たちのことを、犬、とののしる者もいる」


 冷やかな声に、私は自分の体が指の先まで冷たくしびれていくのを感じました。


 王家の犬、確かに今までそうののしられたことはありました。

 あの時は何も知らない連中に何を言われようと平気だと、かえって王家との強い結びつきを知られているようでうれしいくらいだったのに。


 なのに、今、殿下に言われるとずきりと痛いです。でも。


 私は唇をかむと言いました。


「……犬で結構です」


 指先はふるえているけれど、それを隠して言いきります。人が何と言おうと私はあの四人で過ごした時間を後悔なんてしません。殿下の今のこの言葉を聞いて、昔の悪戯を仕掛ける時のことを思い出したから。この方はまだ何か私に隠しておられます。それはきっと私を巻き込むまいとなさってのこと。

 今になって確信をもてました。

 あの昔の殿下の悪戯は私のため。この方は意地悪殿下などではないと。


 だから、


「私は何と言われようとあなたと陛下に笑っていてほしい。言ってください、どうすればいいのです、どうすれば私と王都へ戻ってくださいますか?」


「……お前という奴は」


 小さくあきれた声が聞こえた。

 殿下が片手で顔をおおうと、深い息を吐く。そして手を降ろすと言った。


「こい、いいものを見せてやる」


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