34.刺客来襲
男がすっと身をかがめました。手に、どこから取り出したのか、小さな刃を持っているのが見えます。やる気です。
(くっ)
傭兵王の血をなめるな。
私はとっさに身を投げて、床に転がります。がちんと固い音がしたのは床に鋼の刃がぶつかったからでしょうか。後を見ている暇はありません。素早く身を起こして、相手を視界に納めます。
まさかこんなひ弱な娘が避けるとは思わなかったのでしょう。
男がわずかに驚いたように息をのみます。
ですがまずいです。さっきの動きで警戒されてしまいました。
赤子の首をひねるようなもの、と考えていたらしき男が、ちょろちょろ動き回る子どもを追う仕事、と対処法をレベルアップさせているのが、わかりたくないけどわかってしまいます。
お願い、侮ったままでいて。
実際、私は避けるのは避けられても、剣一つ満足にふれない、傭兵一族の変わり種なのですから。
もちろん事務方ですが侯爵家の当主一族として、傭兵たちの給料査定のために練習も見に行きますし、新規採用の場には立ち会ったりします。眼だけは肥えています。
何より、傭兵たちの手荒い歓迎を受け流す体術なら、領地に戻った七歳の時より毎日、鍛錬しているようなものです。
攻撃をよけるのだけなら私だってプロです。
ですがさすがにそこどまりなのです。
それに、
(お茶会の帰りだから動きにくいドレスだし、手ぶらだしっ)
長剣など持っていても重くて扱えないのですが、それでもあれば盾がわりに使えることもあって。
素手で武器を持つ相手と長時間、向かい合っていられるわけがありません。
私にできることは少しでもあがいて、誰かに助けに来てもらうこと。
恥も外聞も脇に置いて、とにかく大声を出します。
「だ、誰かーーっ! ここに賊が、主塔三階の南廊下です、来てくださいっっ!」
自分の倍以上の体格差、身長差の男どもの中で育ったのです。日常的に、はるかな高みにある彼らの耳に声が届くよう、大声を出す訓練はしていて、肺活量は鍛えてあります。
思い切り叫びながら、必死に攻撃を避けます。
ああ、腹筋が、喉が、肺が。息が上がる。明日は絶対、筋肉痛。明日があればの話ですが。
せめてこの先にある私の部屋にいるアナに声が届いたら。
聡い彼女なら必ず察して人を呼んでくれます。
そう願った瞬間、祈りが聞き届けられたかのように、助けの手が現れました。
文字通り、手、です。
いや、腕、のほうが正確でしょうか。
刺客の背後、古い塔なので、この城の内部は外壁が分厚く、窓があるたびにぼこりとくぼんだアルコーブのようになっているのですが。その、ここからは見えない出っ張った壁の影から、刺客めがけてぬっとつきだされた太い腕。男の喉に絡みつくなり、もりっと筋肉が盛り上がったのが見えました。
遅れて、ふわりとなびいたのは外套でしょうか。その色合いに見覚えがあります。ところどころが裂けて血の染みがある外套、あれは初日の夜に窓の外で見た幽霊の物では。
野獣の腕は刺客の首根っこを問答無用でひっつかむと、廊下の角に引きずりこみます。一呼吸おいて、ボキゴリと痛そうな音がして、断末魔のような声がしました。
「ぎ、ぎゃああああ」
あわてて角を曲がってみます。ですがもう誰もいませんでした。
あの刺客の姿も、腕の本体も。
床には血の染み一つ、破れた布や抉れた床などの、戦いの跡すらありません。
まるで最初から、何もなかったような。まるで私一人で夢でも見ていたような。
茫然としていると、ひらりと一輪の薔薇がおちてきました。
幾重にも重なる、血のように紅い花弁。
確か、さっきまで殿下とご一緒していた、テラスのお茶会のテーブルに飾られていたものです。ぱさりと音を立てて私の足元に落ちたそれを拾い上げます。そして慌てて周囲を見回しましたが、やはり誰もいません。
「幽霊……?」
首をひねりつつ、未練がましくうろうろ周囲を探っていると、馴染みの傭兵たちが階段を駆け上がってきました。
「お嬢っ、なんか悲鳴が聞こえたっすけどっ」
「うわ、どうしたんですか、その恰好!」
はっとして自分の姿を見ます。
華麗に避けていたつもりですが、どうも刺客の刃がかすりまくっていたようで、ドレスのあちこちが破れてボロボロです。よくもまあ、無傷ですみましたね、私。
ですがこれであの一連の出来事が白昼夢でないことが証明されました。
急いで戦いのプロである傭兵たちに話します。
刺客も、助けてくれたらしき実体のある幽霊も。それらがすべて一瞬で消えた謎も。彼らなら私が見落としたこともきっと見つけてくれるでしょう。
どう話していいかわからなかったので、とりあえず時系列に添って順に話していきます。
「ということで、相手の顔は見てないのだけど。ただ、最初に襲ってきた刺客のほうは、構えの型にくせがあったんです」
繰り出される攻撃をよけようと、懸命に見つめ続けた刺客の姿を思いだします。短剣を両手にもち、身をかがめた様子はまるでとぐろを巻いた蛇でした。
「あんな体勢だとふつう力が出ませんよね、なのに平然と構えをとっていて」
実演してみせると、レオが眉をひそめました。
「それ、テオドラの人間じゃないですか」
「え?」
「私は一時、テオドラの某所に所属していたことがありまして。その時に見た密偵たちの構えに酷似してますね、それ」
テオドラ、それはこの領と境を接する隣国の名。そして兄が駆け落ちした王女の出身国の名です。
それが何故、今、ここで出てくるのでしょう……?




