32.一夜の結末
閑話ではありませんがラヴィル殿下視点です。ラストにレミリア視点が入ります。
閑話の時系列が追い付いたので、今後はこの形が多くなると思います。ご了承ください。
俺はため息をついて、額をおさえた。
俺の膝にちょこんと乗ったレミリアは、緊張のあまりか完全に固まっている。どかすにはそのやわらかな体にふれなくてはならなくて、今の俺では難しかった。
せっかく俺が自分の初恋をあきらめて、こいつの初恋の人を助ける気になってやったのに、好意を無駄にする気か。
ちょっと腹が立ったので、頭をつかんで両手でぐりぐりなでてやる。
「わ、殿下、何をなさるんですか」
「何って、いじりやすいところにいるお前が悪い」
やっとレミリアが動き出した。じたばた暴れる。それが可愛くてやめられなくなる。
玉座の間でもそうだったが、髪が間にあって互いの肌が直接触れるわけではないここなら、遠慮なく触れられる。それにこんな乱暴なふれあいなら、彼女もいつもの意地悪と思ってくれるから、妙に意識させずにすむ。素の彼女を見せてくれたことにほっとする。
だが最初からこうだったわけじゃない。
ちりりと不満が胸を焼く。
初めて会った赤ん坊の頃、四歳になった彼女と再会した頃。
あの頃の俺たちは、こんな悪戯のふりをしなくても触れ合えた。寂しさを感じた時、自然と手をつなぐほどレミリアも俺のことを信頼してくれていた。
あの時の小さな手の温もり。手だけでなく心を、全身を温めてくれた小さな彼女。今でも忘れられない。忘れたくない。だから……。
「あの時から、俺は……」
なんだろう、自分の口調が変わった気がした。越えるまいと決めていた線を自分が越えようとしているのが分かった。
やっと俺の腕の中に帰ってきてくれたレムル。
まだ記憶が混乱したままで、俺のことも警戒しまくっているが、それでも欲しいものは欲しい。
兄やアナの煽りにのるのは癪に障るが、俺が手にしていいだろうか、彼女を。
そう考えると、自然、彼女にふれる手つきが変わる。意地悪なガキのものでなく、恋する娘を前にした男のものになる。
さすがにその変化にはレミリアも気づいたのだろう。暴れるのをやめて、眼を瞬かせる。
逃げるかと思ったが、彼女は、ふと、何かに気づいたように眉をひそめた。
それから、一生懸命。記憶を探るような顔をしはじめる。
「……あの。私って小さな頃、こんなふうにいじられるだけじゃなくて、普通に撫でてもらったこととかありました?」
「何?」
「その……、私、気のせいかもしれませんが、記憶が混乱しているみたいで」
思わず息をのんだ。
彼女の記憶の混乱は、彼女の心をまた追い詰めることになってはまずいからと、本人には告げないでいるとディーノから聞いている。なのに、何かに気づいたような彼女。
もしや自力で思い出してくれようとしているのだろうか?
期待が生まれる、同時に、もし違っていたら、と怖くなる。
だからそれには答えずに、逆にたずねてみる。
「……なあ、お前、まだ俺が嫌いか?」
レミリアはまだ強固なトラウマに囚われたままなのか、何も答えない。それが今の彼女の答えなのだろう。まだ駄目だ。かなりゆれているようだが、彼女の中では、俺はまだ意地悪殿下のままだ。
「……そうか。まあ、無理はしなくていい」
それでも苦手な俺のところまで来てくれた。兄上に言われたからだけではなく。
「お前が本当に俺たち兄弟の仲を心配してくれてくれているのはわかってる。だが……、伯爵は親族だ。邪険にはできない」
真面目な話をすると、やっと彼女が顔を上げた。この話題なら応じてくれるらしい。
「困った相手だが、俺と親睦を深めようとしているだけだ。追い返せば俺のほうが困った人扱いだ、違うか。お前は今、俺の悪い噂を払拭しようとしてくれているんだろう?」
本当のところは、こちらから招き入れたのだが、それを言えば事情を知らないレミリアはまたむきになる。だから表向きの理由だけを告げる。
「それに伯爵が言った通り、立場の違う調査役が複数いたほうがお前も皆を説得しやすいだろう。だから俺があいつらの相手をしていても怒るな、な?」
今のままでも十分彼女は伯爵を興奮させる当て馬になってくれている。俺たちの劇の役割を果たしてくれている。が、本当のことを言うと、芝居の下手な彼女では相手を警戒させてしまう。伯爵は馬鹿だが、それでも人間観察ができないほどではない。だからこれ以上は言えない。
(まったく、兄上もよりにもよって何故こいつをよこした)
兄の思惑はわかるが、俺は中立性のある官吏で、それぞれ違う派閥の者を数名、と指定したはずなのに。都は遠い。今さら人員の変更はできない。巻き込みたくなかったカストロフ家だが、もう巻き込むしかない。
黙ったままの彼女の頭をなでる。彼女がこくりとうなずいた。
ため息がでた。
真面目に対すれば素直な彼女のことだ、こうなることがわかっていた。だから、ちゃかして彼女を避けようとしたのに。こんな素直な彼女を見ると昔を思い出してしまう。彼女を他の家には渡さないと、婚約証明書にサインした頃の俺を。
なんてことだ。昔は俺がレミリアを振り回していたのに、今は逆になっている。いや、あの頃から、初めて会った赤ん坊のころから振り回されているのは俺の方か?
「……なあ、本気になっていいか?」
そっと尋ねる。
「お前のためなら……癪にさわるが、兄上の策にのってやってもいい」
「陛下の、策……?」
ああ、とだけ答えて顔を見つめると、彼女がとまどった。
「……えっと、それは殿下が都まで来てくださると言うことですか? そして婚約破棄に応じてくださると」
「いいや」
きっぱりと拒絶する。
もう破棄には応じてやらない。その代わり、
「提案が、あるんだが」
俺はにっこり笑って言った。
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そして。
その翌日のこと。
(どうして、こうなったの……?)
私の前には、ラヴィル殿下が悪魔の笑み全開で座っておられました。
実にうれしそうに一口大にきったタルトを刺したフォークをこちらに差し出しています。
「ほら、どうした、好きだろう? 食べろよ、レミリア」
断り切れない黒いオーラ。こちらが恥ずかしくて嫌がっていることが分かっていてよけいに薦めてくる、虐めっ子殿下全開です。
「恥ずかしがることはない。なんといっても俺たちは恋人同士なんだから」
そう、今の私たちは昨日見た、マチルダ嬢のようなバカップルと化しているのです。
殿下の提案とやらのせいで。
(こ、この人はほんとうに何を考えているんですかっーーーーー)
分かり合えたと思ったけれど、やっぱり分かり合えていない。
私たちの間には深い溝が存在しました。




