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31.夜の来訪

閑話ではありませんが、ラストにラヴィル殿下視点が入ります。

「お前のほうから訪ねてくるとは、いったいどういう風の吹き回しだ?」


 扉をたたくと、夜着姿の妙に艶っぽい殿下が出迎えてくれました。

 怪訝そうに眉をひそめたお顔が色気だだ漏れです。


昼に見た妙な夢と芽生えた疑惑のせいもあって、眼のやり場に困りつつ、酒瓶の入った籠を掲げてみせます。


「先刻は伯爵とのお茶会を邪魔いたしまして申し訳ありません。お詫びをしてからでないと落ちついて眠れなかったものですから」

「ほう、明日は雪かな。お前が素直に謝罪するなど」

「……入ってよろしいですか?」

「ああ、これは失礼した。どうぞ。レミリア嬢」


 殿下が意味深に笑って体を引きます。こちらの目的を見透かされているようでさらにおちつきません。


 彼の横を通り抜けて、部屋に入ります。心臓がやたらと大きく脈うっています。

 さあ、ここからどうするか。

 攻めあぐねていると、殿下が暖炉にあゆみよられました。秋の夜は少し肌寒いです。暖炉には火がおこされていて、湯の入った鉄壺が灰に埋められていました。


「少し待っていろ」


 殿下が鉄壺を火掻き棒でつついて取りだすと、窓まで運んでぐらぐら煮えたつお湯を外にぶちまけました。

 ぎゃああと野太い悲鳴が落ちていったのは気のせいでしょうか。


「……殿下、まさか刺客ですか?」

「ただの幽霊除けのまじないだ。用意しておいてよかった。それよりさっさと荷物をおいたらどうだ、重いだろう」

「え?」

「酒を届けてくれたのだろう? ならテーブルに置いたらどうだ」


 ……今、この人は何と言いました?

 重いだろう? まさか気づかっているのですか、あの意地悪王子が? 


 その時、あの夢と同じで、また何かが記憶の底をよぎりました。幼い頃、重いだろう、貸せよ、と手を伸ばしてくれた天使、あれは……。


「ぐふうっ」


 思わずうめいてしまいました。陛下? 殿下? 駄目、記憶が混乱しています。


「……おい、どうした。変なものでも食べたのか、何を身もだえているんだ、お前は」


 殿下が奇妙な生き物を見るような眼をなさいます。困りました。殿下の顔をまともに見ることができません。


 だってもしあの夢が真実なら、私は無実の殿下をずっと意地悪と思っていたことになるのです。なんという不忠、なんという恥。してもいないことで無実の人を嫌うなど、私の方こそ意地悪令嬢です。


「いや、だから。重さでもだえるくらいならさっさと籠をおけ。ちっ、貸せ、落とすぞ、あぶなっかしい」


 殿下が後ろめたさで悶える私の手から籠を取り上げて、中身を出します。酒瓶とグラスを二つ。

 殿下が形の良い眉をいぶかしげにつり上げられました。


「二つ?」

「そ、その、いろいろありましたが、これを機会に殿下と腹を割って話したく……」


 と、言う口実で酔いつぶしに来たので、さらに後ろめたく。私はもう顔を上げられません。二重三重に恥ずかしい。

 殿下が確実に眠りこけるのを見届けるためお嬢も一緒に飲んでください、がんば、とアナと傭兵たちに手渡された一式ですが、やはり持ってくるのではなかったです。不自然すぎます。


「……お前、わかってやっているのか? いや、何でもない」


 殿下が何か言いかけて、ふいと顔をそらせます。お互い、テーブルにグラスと酒瓶をおいたままつったって、明後日のほうを見たまま沈黙します。


「……」

「……」


 ああ、気まずい。

 耐えきれずもぞもぞしていると、殿下がため息をつかれました。


「そう緊張するな。どうせアナにでも言われて、マチルダ嬢が夜這いに来ないか見張りに来たのだろう」


 す、鋭い。


「相変わらずわかりやすいやつだな。無理はしなくていい。お前が出て行けば鍵をかけるから、安心して帰るといい」

「でも」

「その酒はバルトロが用意したんだろう? この辺りで採れる蜜酒だ。結……いや、祝い事があった夜に当事者二人が飲む酒で、滋養は高いが含まれた薬草のせいで悪い意味で元気になる。夜に飲むものじゃない。腹を割って話したいなら、昼につきあってやるから」


 言われて、ほっとしたような、すべて見透かされっぱなしで悔しいような。


 でも気まずい任務を放棄できるならそれに越したことはありません。昼の再戦を胸に誓って、私は酒瓶とグラスを回収しようとしました。


 が。


 今までになく緊張していたからでしょうか。体中の筋肉ががきごきに固まっていたようです。

 身を傾けたとたんぐらりと立ち眩みのような感覚が襲ってきて、私は酒瓶を突き倒す形でテーブルに倒れこみました。


「危ないっ」


 殿下が支えてくださったので私は倒れずにすみましたが、見事、瓶は床に落ちてしまいます。

 瓶が砕けて、中の酒が飛び散りました。


「うわ、し、失礼しました、殿下っ」

「いい。明日になればバルトロが清掃する。それより動くな、足をおろすと怪我をする」


 そのまま横抱きにされて、暖炉前の椅子まで運ばれます。


「ちょっと待ってろ、脱げた室内履きをとってくる。裸足じゃ帰れんだろう。……駄目だな、二つとも酒で濡れて、硝子片までついている。履くのは無理だ。俺の予備では……さすがに大きいな。階段もあるしよけいに危い」


 少し考えられた殿下が、よいしょとまた私を横抱きになさいます。


「部屋まで連れて行ってやるからおとなしくしていろ」

「え? いえ、それはさすがにっ」


 酔いつぶしに行ったのに、抱っこされて御帰還とはあまりに情けない。アナの生ぬるい目が想像できて、私は思わずじたばた暴れました。


「うわっ、おい、暴れるな」


 体勢が整っていなかったのでしょう。殿下が重心を崩されました。床に倒れこみそうになってそれでも私をかばってくださって。

 気が付くと、暖炉前のラグの上に、殿下の膝に乗っかる形で、私は座り込んでいました。


 ――――初日の玉座の間の再現です。


  ***


 いったい何が起こった。

 予想内とはいえ、いきなりの来訪に落ち着いて対処し、丁重に送り出そうとしていたはずなのに。


 俺の上に乗り上げた形で、彼女がきょとんとしている。

 大きなまん丸い緑の瞳が、俺を意地悪と誤解していなかった頃の無邪気なあいつ。俺が一目ですべてを持っていかれた赤ん坊の頃と全く変わっていない、澄んだあの頃と同じ瞳が、驚いたようにぱちぱちとまばたきしながらこちらを見上げていて。


 俺はごくりと息をのんだ。


 人がせっかくお前のためを想っていろいろ耐え、大人な対応をしてやっているというのに、何がしたいんだ、このレムルは。


 俺は深く深くため息をついた。


 なあ、もういい加減、我慢するのをやめてもいいか……?



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