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1.えっ、私、婚約してたんですか?


 若干十六歳の娘に広大な領地と私兵を有する侯爵家の当主が務まるか。


 厚かましくも陛下の情に訴えても、他の者にいろいろ言われるのは承知のうえ。

 ですがこれでも父母の死後、おとなしく机の前に座ってられない体育会系兄を助けるべく、侯爵家の影の当主と言われるだけの実務はこなしていたのです。昔からの使用人たちも力を貸してくれるし、何とかなると思います。そこをアピールしなくては。


 と、いうことで今日の私は気合が入ってます。


 一族の特徴である長い白銀の髪は大人っぽく結い上げて、幼く見られがちな緑の瞳にもいつもの大きな丸眼鏡ではなく、ちょっと視界が狭いけどできる女感のする細めの銀縁のものをつけて。


 何より身にまとうのはインク染みだらけの事務服に腕サックではなく、カスタロフ家の銀と緑。


 エメラルドのように深い碧と雪のような白。鮮やかな青緑の上着に胸元を飾る淡雪のような繊細なレース、剣帯と細身のズボンは白。侍女たちが大急ぎで縫ってくれたカスタロフ家の正装、勝負服です。


 男装は入り婿だった文官肌の父に似てちょっと寸足らず……、いえ、親戚のお茶会で叔母様方に〈狼と栗鼠〉〈熊とヒヨコ〉な兄妹などといわれる小柄体形には似合っているとは言い難いですが、これは比較対象が悪い。あの馬鹿でかい兄と並べばたいていの人類はちっちゃく見えます。


(と、いうことで。どこからでもかかってきなさい!)


 誰と戦ってるんだという突っ込みは置いておいて。

 自分に気合を入れて前を見ます。


 まっすぐに伸びた馬車道の先に、優雅なエルシリア王国の王宮が見えてきました。

 広い庭園にたたずむ三階建ての宮殿は、秋の黄金に色を変えた庭園を背景に、両翼を広げた鳥のような左右対称の造りと、華麗な装飾をほどこされた円柱の並びが美しい。眼福な光景です。


 が。

 馬車はぐるりと遠回りをすると、人の少ない裏門についてようやく止まります。何しろ今は人目をはばかる身。陛下の配慮か、ポーチには顔なじみの侍従が待機していて、苦労なさいますね、と言いたそうな顔で案内してくれます。招き入れられた先も正規の謁見の間ではなく、王の私的な執務室。

 

 重厚な扉が開いた先には、うずたかく積まれた書類に埋まるようにして一人の青年が座っています。


 エルシリアの若き王、リヒャルト陛下です。


「やあ、よく来たね、レミリア」


 兄があれだけのことをしでかしたのに、優しく微笑んでくれる彼の瞳はけぶるような菫の色。ふわりと額に流した栗色の髪に優雅な物腰。


 陛下は木漏れ日のさす森か、優しい春風のような風貌をしておられます。優しく穏やかなのは姿だけではなく性格もで、大変誠実で懐深い。理想の王そのもの。

 それでいてそこはかとなく大人の艶やかさというか、男の色気が漂っていて。こんな時でなければうっとり鑑賞したくなる、何を隠そう私の初恋の人です。


 というより偶像? 

 何しろ今も素敵ですが幼い頃から本当にできた人で、他の男子みたいに癇癪を起しているところなど見たことがありません。

 からかわれている女子がいればそっと手を差し伸べ、喧嘩をしてる男子がいればさりげなく双方の顔が立つよう仲裁する。

さすがは未来の国王と、六つや七つの幼児時代から包容力が半端ない方なのです。私世代の女子はほとんど皆、この方に憧れていたのではないでしょうか。


 でも。執務机ごしに見る陛下のお顔は、前にお会いした時より確実にやつれて見えます。

 たぶん一因は我が家にあると腰が引けながらも、ついつい心配で確認してしまいます。


「……陛下、少しお休みになられてはいかがですか。睡眠や食事はきちんととっておられますか?」

「はは、大丈夫だよ。……といったところで、このありさまでは説得力はないね」


 陛下が書類の山を見回します。

 病没した先王の後を継いで即位して二年。もともと王権の強い国ではないことも災いして、なかなか思うように進んでいないらしいのです。


(な・の・に! 兄様ったら!)


 心労を増やしてどうする。


 ついつい兄を責めてしまいますが、そういう私も陛下の厚情に縋りにきたわけで。罪悪感で顔があげられません。そんな私に楽にするようにと言うと、陛下が一枚の古びた紙を差し出しました。


「君の用件は分かっているのだけど、先にこちらを見てもらえるかな。実は君の代替わりには我が王家にも関わる問題があってね」


 目の前に広げられたのは古びた羊皮紙。瀟洒な飾り文字で何やら細かに書き込んであります。


「驚かないで聞いて欲しい。これは私の弟、ラヴィルの婚約証書だよ」

「ラヴィル殿下の?!」


 その名を聞いて、陛下の御前なのに思わず顔をしかめそうになりました。


 ラヴィル殿下は陛下と同じく王家の王子で幼馴染。

 が、陛下が淡い恋心を教えてくれた人なら、こちらは男性への苦手意識を植え付けてくれた、大変、近寄りがたい方なのです。


 陛下の弟君だから当然美形で。幼い頃は天使か、と女官たちが大騒ぎをし、美しい宗教画に慣れた神官長すらが彼の前に出るとその場に膝をついて礼賛しそうになる、整った顔立ちの方でした。


 が、中身は外観と正反対。


 悪魔か、と言いたくなる狡猾で意地悪な人だったのです。

 

 彼は女官や貴族たちに悪戯をする時は、自分の手は汚さず、私や兄をさんざん手下としてこき使ってくれました。それがばれて、しかもばらしたのがラヴィル殿下だったと知って、私がどれだけ悔しく、気まずい想いをしたことか。


 私が家業の手伝いを理由に社交界デビューをすっぽかした理由の一つには、大人になってさらにグレードアップしたであろうこの人と会いたくなかったというのがあります。


 そんな性格最悪の人がいったい誰と婚約したというのか。

 眼をつけられた相手を気の毒に思いつつも、好奇心からいったい誰と、わくわく陛下の手元をのぞいてしまいます。


 が、眼にした途端に私は自分がびしりと固まるのを感じました。



 そこにはしっかり、私の名前が書かれていたのです。



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