10.城の一夜
窓の外は墓場でした。
(くっ、わざとですね)
必死にごまかしましたが、まだ幽霊嫌いが治っていないことは殿下にはばればれだったようです。
悔しい。
だいたい私がこうなったのも殿下のせいなのです。昔、殿下が言い出した肝試しで、あやまって王家の墓所に閉じ込められて。特にその後、涙でぐしょぐしょになった私を出しに来てくれた殿下に抱きついてしまったのは黒歴史です。
「滞在に必要と思われましたものは一揃い用意いたしておりますが、足りないものがあればどうかお申しつけください」
客間まで案内してくれた執事が頭をさげます。
その後退した白髪頭に見覚えがありました。
「久しぶり、バルトロ!」
「おお、この老人めの顔を覚えていただけていたとは、光栄ですな。レミリアお嬢様」
バルトロがしわだらけの顔で笑います。
昔からラヴィル殿下に仕えている人で、宮殿の彼の部屋に遊びにいくと、いつもにこやかに迎えてくれて、おいしいお菓子とミルク、それに臨場感にあふれた楽しい話でもてなしてくれたものです。
「レミリアお嬢様から手紙をいただきましてから、今日の日を心待ちにしておりました。殿下も自ら厨房にメニューの指示までなさる有様で」
「ああ……、やっぱりあの罠の数々、歓迎しておられたのね」
「殿下は遊び心のおありな方ですから」
あの槍衾や弓矢の罠を遊び心の一言で片づけられてはたまりません。思わず遠い目になってしまいますが、バルトロは微笑ましそうな顔をくずしません。
「……前から思っていたのだけど。バルトロは殿下に甘すぎない?」
「これは手厳しい。ですがあのように楽しげな殿下は久しぶりで。お諫めするなどとてもとても。何しろここは寂しい所でございますから」
バルトロがふっと笑うと窓の外を見ます。陰気な光景が広がっていました。
もうすでに陽も落ち、黄昏時。宵闇の中、白い骨のような枯れた針葉樹が風に揺れています。さすがにぎゃあぎゃあ騒いでいた烏はねぐらに帰ったようですが、かわりに怖しげな狼の遠吠えが響いてきます。
「ご存じのとおりこの城は隣国テオドラとの境にございます。山脈をはさんで西と東、この森はたびたび戦場となりました。防衛の拠点となったこの城も幾多の血を吸い、何度も城主が変わった因業の城でございます」
バルトロが指し示す眼下の墓場には、破壊され、うち捨てられた廟墓の残骸がありました。
支配者が変わるたびに、死者の館も上書きがなされたのでしょう。
「あの木々の枯れ具合も五十年前の騒乱のおりに延焼したためと聞いております。多くの兵の骸が根元で腐り、新たな木々が芽吹かなくなったのだとか」
蝋燭を顔に近づけて語るバルトロが、眼下に広がる墓場よりもリアルに怖いです。
「因縁深いのは外だけではありません。この城の内部も。テオドラの手に落ちるたび、そして我がエルシリアが取り戻すたびに改築がなされ、長き間に忘れ去られた秘密の牢に、今もなお、繋がれたまま朽ち果てた者の遺骸が残っているとか」
「で、でもそれは過去のことでしょう? 有能なあなたのことです、入城した時にきっちり隅々まで調べたのでは……」
「いえいえ、私の手になどおえません。やはりこの城は出るんですよ」
「……で、でる?」
「ですから出るんです、幽霊が、わんさと」
蝋燭を両手で握りしめ、バルトロがこちらにずいと顔をよせます。そういえば芝居っけのあるバルトロは楽しい話で人を笑わせるのも得意でしたが、おどろおどろしい怖い話で人を泣かすのも大得意でした。
「夜回りの衛兵が不思議な影を見たり、メイドが苦しげな声を聞いたり。広間に飾られた剣や甲冑が夜の間に血まみれになっていたり。殿下の寝室が泥まみれになっていたこともございました」
「そ、それは……」
「おかげで使用人が居つかず、都から連れてまいった者もほとんど姿を消しました。急きょ、近隣の村から人を入れたのですが長続きせず。里帰りした者たちがおもしろおかしくこの城のことを話すので、新たななり手もなく。今ではもうほそぼそと。くっ、蝶よ花よとあまたの家臣にかしずかれるべきエルシリアの王弟殿下が暮らされる城とは思えません。なんと恐ろしい……」
「そ、その、蝋燭で顔を下から照らさないで、あなたの顔のほうが恐ろしいと……!」
ですがここがそんな不審な城なら問題です。ラヴィル殿下は王弟という御身分。王位継承順からして、まだ世継ぎのいないリヒャルト陛下に万が一のことがあれば王となる尊い身です。
ここにいる間だけでも傭兵たちに城を見回ってもらったほうがいいかしらと考えた時、妖艶な声がわってはいってきました。
「まあ、この方がレミリア様ですの? なんてお可愛らしい」




